絵本とわたしのついた嘘 #3000字に込めた偏愛
お久しぶりです、安野ニツカです。
さて、長い間が空いてしまいましたが、そもそも2年前の夏から、『王さまの本棚』と銘打って、こんな企画をしておりました。
『2020年8月8日の誕生日のこのツイートにスキが付いた数だけ、本を紹介してきます。』
そしてそこからカラストラガラさんに背中を押していただいて、一冊一noteで始まったのが『王さまの本棚』でありました。
ところがわたくし、以下のnoteにおいて重大な勘違いをしていたことがつい最近明らかになりまして。
本当に……自分の記憶力が三流なのをいいかげん自覚して、裏付けなりなんなりしなきゃという……。
ついた大嘘というのが、こちらのnoteにおける、下記文言。
ところが、先日丸の内オアゾの丸善で愕然としたのですが、『ホッツェンプロッツ』シリーズの絵を描いたのはホルツィングではなく、フランツ・ヨーゼフ・トリップという人だったのです……。
というわけで、ここにお詫びして訂正いたします。
『ホッツェンプロッツ』の絵を描いたのはトリップで、日本語に訳されているプロイスラ―とトリップの組み合わせの本も、『ホッツェンプロッツ』の他にも、丸善のプロイスラ―の棚にはありませんでしたが、出版されています。
プロイスラ―とホルツィングの組み合わせの本も、『クラバート』、『みどり色のつりがね』の他にもあり、こちらは丸善にもありました。すごく読みたい。
さて、わたしの偏愛というのが、上記のように、絵本・児童文学でありますが、これは根底にやはり、子どもの頃の母の読み聞かせがあったように思います。
『講談社おはなし絵本館』という……36歳のわたしが子どものころに出版されていた本ですから、30年くらい前でしょうか、そのくらいに出ていた全24巻の絵本シリーズがありまして、それがね、いま思ってもすっごくよかったんですよ。
爪に火を点すような生活ではないとはいえ、札束を扇にできるほどの余裕もなく、一冊1000円以上する全集を買い集めて読んで聞かせてくれたところに、母の生真面目なことろが表れていて、ちゃらんぽらんなままその母の年齢を随分追い越してしまった娘としては、思い返すに背筋の伸びる思いがします。
夫はインフラ系激務のため地震や台風なんかの居てほしいときほど出社せねばならず、一人ぼっちでわたしと妹二人の娘を守らなければならない母。妻になることも母になることも初めてであったなか、どれほどの不安があったことか。
かーさんありがとう。
(とーさんについては、激務に任せて妻と娘を放置していたわけではなく、背中を見せたり話し合ったりできちんと育ててもらったので、とーさんにも、ありがとう。)
閑話休題、この『講談社おはなし絵本館』がけっこう独特で良いのです。
まず、よそでお目にかかったことのない物語が含まれているところ。
『よぶこどり』というお話をご存じでしょうか。これは、あえてweb検索をかけていないのですが、ざっとまとめると、こんな物語です。
ちょっといま泣いてるから待って。
ふう!
「めでたしめでたし」で終わるお話ばかりでなく、かなしいお話も容赦なく入っているのがこの全集の特徴です。すんごい好き。
あと、『ごんぎつね』で知られる新美南吉に、もう一つのかなしい物語があることをご存じでしょうか。題名は、『きつねとぶどう』。といっても、『イソップ童話』のアレではありません。本当にかなしくうつくしい物語を、黒井健の絵が優しく彩ります。
わたし、ごんぎつねは黒井健よりも土臭い絵で読みたいのですが、これは黒井健で読みたい派なんです。どんな派閥なんだ。
同じく新美南吉の『てぶくろをかいに』は、いもとようこだった気がします。いもとようこは、わたしが初めて名前を認識した画家で、子どものころその『イソップ童話』がとても好きだったのですが、そうでない時期を経て、やっぱりいもとようこかわいいじゃないか……!という時期を迎えています。オタクに歴史あり。
『ころころまるぱん』や、『やぎのブルーセ』についてお話ししましょう。
前者はわたしが敬愛する瀬田貞二訳の、『おだんごぱん』で有名です。
後者も、わたしがたいへん敬愛する瀬田貞二訳の、『3びきのやぎのがらがらどん』で有名です。
そうなんです。いずれもマイナーな訳が採用されているのですが、贔屓目に見て、
(※贔屓目に見なくても、ではない)
すっごく良い訳なんです。
『ころころまるぱん』は、まるぱんが道を転がっていき時の歌を、平坦に『まるぱん、まるぱん、どこいくの?』と読み上げるのではなく、『まーるぱーんまーるぱーん、どっこいっくの?』なんて、節をつけて歌ってくれたのがうちの母。そう、彼女、なぜかおはなしと読み聞かせがたいへん上手。なんで……
かわいい嘘をつくのもうまいので、何度騙されたことか。
それはともかく、これはもう、とても楽しいですね。子ども大喜びです。とにかくお気に入りで、一緒に歌っていたことを思い出します。
『やぎのブルーセ』、これは原語
(※どこの国の物語かは知らないのですが、あえて検索しないようにしています。)
に近い訳なのではないかと思っています。なぜなら、ブルーセをがらがらどんと訳した瀬田貞二は、外国語を日本語に寄せる名手だから。
あまりに『ブルーセ党』なので、がらがらどんをきちんと最後まで読んだことがないのですが、締めのめでたしめでたしに当たるフレーズが、ただのめでたしめでたしではなかった気がするのですよね。これは元本屋バイトとして立ち読みがとても苦手なので、すっごくあいまいな記憶でお話ししています。
対して、ブルーセのほうの締めのフレーズは、『すにっぷ、すなっぷ、すぬーと』といいます。30年経っても覚えているものなのですね。記憶力が三流で大学受験は失敗したのにね。
やぎの名前がすにっぷ、すなっぷ、そしてすぬーとというのか、どこか異国の言葉で、めでたしめでたしのことをこう言うのか、それはわかりません。
ただ、こういう『あいまいにしておくべきこと』って、あると思うんです。
『調べればわかるのだけど調べなくてもいいことを、ずっとあいまいにしておいたら、自分の人生にとって最良のときに知ることができる。』
というのが、わたしの幸運のジンクスなんですよね。
結果、読んだ本の自分と同じ悩みを抱える主人公が同い年だったり、意外な本の翻訳家が共通していてうれしくなったり、一年間レポートを追い続けた読書オフ会に初めて参加したとき、隣に座った男性と結婚することになったり。
押しつけがましいスピリチュアルは苦手なので、おすすめするわけでも何でもないのですが、人生はセレンディピティに満ちていますね。