何でもやってたらTAになった人【そこらへんのゲーム関係者 vol.9】
こんにちは、そめ吉です!「そこらへんのゲーム開発者」今回は芸大で彫刻や美術の知識を学び、3D背景アートのアルバイトからディレクターやテクニカルアーティスト(デザイナーとエンジニア、両者の技術を理解してチーム間の橋渡しを行う職)、そしてUnityのエバンジェリストと職を移していった大下岳志さんにお話を伺いました!それではどうぞ!
こんにちは、大下岳志と申します。
ゲームの開発会社でグラフィック制作、TA(テクニカル・アーティスト)業務などを18年近く続けた後、2024年2月までユニティ・テクノロジーズ・ジャパンでエバンジェリスト/アドボケイトという役割を担当していました。今回は私の経歴を紹介させて頂きます。
テーマ1. あなたはなぜゲーム業界に?
私は子供の頃から絵や工作、模型やゲームなど、とにかく何でも作ることが大好きで、大学は京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)で彫刻を専攻しました。
残念ながら当時あまり真面目な学生ではなかったのですが、美術で学んだことやそれまでの趣味を活かし、在学中から模型原型師などの仕事をしていました。そして将来はプロの立体造形作家になろうと、割と本気で思っていました。
ですので、大学卒業後しばらくはいろいろなアルバイトをしながら作品作りや展覧会などをしていたのですが、もちろん生活はかなり厳しく、食べるものや光熱費にも困るような毎日でした。
そんなある日、大学時代の先輩がいいバイトがあるよと誘ってくれまして、それが京都のゲーム開発会社、株式会社トーセでのアーティスト職でした。
作品提出と面談を経て無事に採用されましたが、気軽なシフト制のアルバイトを想像していて、入社直前になってはじめて毎日出社すると知り、大慌てで準備をした記憶があります。
テーマ2. その後はどんなことを?
そんな感じの入社だったので、ゲーム業界への意気込みなどが全くない、まさにバイト感覚でのキャリアスタートでした。ただ今になって思い返すと、この気負いのなさが柔軟に業務に取り組めるコツだったのかもしれないと感じています。
入社後は研修を受け、3D背景アーティストとして初プロジェクトに入りました。美術について全般的な勉強をしてきた事や、直前までのハードモードな生活経験などもあり、ゲーム開発の仕事は最初から気持ちに余裕を持って出来ていたと思います。
職場では上司や同僚にも恵まれ、アルバイトから正社員、管理職へと短期間で引き上げてもらいました。業務も徐々に実制作からアートのリーダーやプロジェクト管理などが増えましたが、その中には進捗の悪いプロジェクトの改善を手助けする、という仕事もいくつかありました。
そうしたいわゆる”火消し業務”は概ねハードワークで、開発者としての戦闘力を高めてくれましたが、それをいくつか経験する中で「炎上するプロジェクトにはどれも似た特徴があり、その要因を事前に潰したり、定期的にチェックすることで発生を抑える事が出来るのでは?」と考えるようになりました。
そして部署内で新しいプロジェクトが始まる際には、事前にワークフローやパイプラインの最適化を考案、実施するようになりました。おそらくこのあたりが、自分のTAとしてのキャリアのスタートだと思います。
ただ、当時はまだTAという役割はあまり一般的ではなく、私も自分の業務がどういう職域のものなのかを悩ましく感じていました。そのことを何となくSNS書き込んだところ、他社の方から「それはTAですよ」と教えて頂き、そのままの流れで当時盛り上がりつつあったTAが集まるコミュニティにも加えて頂きました。
そこには現在も交流がある各社の凄腕TAが勢揃いしていて、惜しげもなくいろいろな情報、ノウハウが共有されていました。そこで得たものを自分の業務に活かしたり、逆に自分の経験を共有したりということを繰り返しながら、徐々にTAとしての自信がついていったように思います。
またTAのコミュニティに参加したことをきっかけに、他社の開発者との交流や社外での活動も増え、その結果ゲーム開発者カンファレンスCEDECやGCCの運営委員にも加えて頂きました。
それらの運営委員では業界内外のトップランナーの方々とお話する機会も度々あり、何より委員会のメンバー自体が各分野の突出した方ばかりだったので、大変な刺激を受けました。
そして、そこで広げられるいろいろな議論や雑談に加わる中で、ゲームの開発技術はゲーム以外にも広く応用できて、世の中にもっと役立てられるものではないかと考えるようになっていきました。
その考えは日増しに強まり、自分自身もそれに関わり貢献したいと思うようになりました。そして18年お世話になったトーセを退職し、すでに産業分野でも利用が始まっていたゲームエンジン「Unity」を開発、販売しているユニティ・テクノロジーズ・ジャパンに転職しました。
Unityでは主に、グラフィックス機能を紹介するエバンジェリスト/アドボケイトの業務を行っていました。カンファレンスでの講演やYouTubeの動画などで、Unityの機能とその使い方をわかりやすく伝え、より多くのユーザーに「使ってみよう」という気持ちになってもらうというのがメインの仕事で、その詳細はほぼ個人の裁量に任せて頂いていました。
私はTAだった頃の経験を活かし、機能紹介と同時に「それが開発現場のどういう場面で有効か」、または逆に「日々の業務では学ぶ時間が無さそうな知識」などを織り交ぜたプレゼンテーションを作る事を心掛けていました。これらの多くは今もUnity Learning Materialsで観て頂けると思いますので、ご興味があればぜひご覧ください。
紹介する対象はやはりゲーム開発向けが中心ではありましたが、稀に建築業界などに向けて講演させて頂く機会もあり、当初の目論見も少しは果たせたのではないかと思っています。
Unityで働いている方々も本当に個性的かつすごい能力を持った人ばかりで、入社当初はついて行けるかとても心配でしたが、結果的には約5年間、とても楽しく働くことができました。
テーマ3. そこらへんのゲーム関係者として楽しかったこと
「ゲーム関係者として楽しかったこと」として真っ先に思い浮かぶのは、才能あふれる魅力的な人達との出会いと交流です。この業界には能力も人格も素晴らしい方がたくさんいて、そういう方々と出会えたこと、今でも度々話したり食事をする機会があることで、自分の人生は本当に豊かになっているなぁと感じています。
ゲーム業界に入りたての私はどちらかというと「個人での制作が自分の中心にあり、ゲーム開発はそれを支える手段」と考えていたと思います。しかしゲーム開発の現場で多彩な人々と出会う中で、少しずつそんな人達と一緒に何かを作ることや、そういう人達がいる業界の発展に貢献する事に、楽しさとやりがいを感じるようになっていきました。担当する業務が背景アーティストからリーダー、ディレクター、管理職、TA、そしてエバンジェリストに変わっていく中でも自分の中で常に前向きでいられたのもこれが理由かもしれません。
またそれと同時に、いろいろな人の考えや視点から影響を受け、やりたい事も自分の作品を作るということから、社会や生活をより良いものにするお手伝いをしたい、という事に徐々に変わってきたように思います。
今回のお話は初志貫徹とは真逆の、日和見的なキャリアと言えるかもしれませんし、あるいは歳を重ねる事による一般的な心境の変化の範疇かもしれませんが、これからもあまり自分はこういう人間だと限定せずに、出来る事、求められる事に応えていきたいと考えています。
この記事を書いた人
大下 岳志|@ost_51
https://learning.unity3d.jp/speaker/takeshi-oshita/
大下さん、ありがとうございました!
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