艶やかに光る滝のようなその黒髪は、一度見たものの心を離さなかった。人々は、見るたびに、その髪に吸い込まれてしまい、その中にあった顔のことなど忘れてしまうのであった。といっても、人々がその姿を見ることができたのは一年に一度きり。
一年の中で最も月が大きく輝くその日の祭りの時に、御簾ごしにその姿を垣間見ることができるのであった。彼女の御髪が切られずに、新たな一年を迎えられたことは、その国にとって素晴らしいことであった。大きな厄ごとが何もなく、平穏無事であったという証であったから。
乃子の1日は、上等な金色の絹を巻き付けた檜枕に頭を乗せるところから始まる。寝殿の中の一段高くなったところにある寝台は、すべて唐から取り寄せた絹糸で編まれた滑りのよい寝具でできている。お付きのものたちは、枕から反対側に伸ばされた御髪を、東の方から取り寄せた椿の油を、多すぎず少なすぎずの、ちょうどよいくらいを丁寧に塗り、小一時間かけて、すっかり整える。御髪に塗り込まれた油が、染み込むのを感じながら、じっと天井の木目を見ていると、いつの間にか夢の中に入っていく。こうして、乃子のお勤めが始まるのであった。
乃子はまず、関係のある部署に呼ばれて顔を出す。すると、そこで問題を提示されるので、そこから必要な別の部署にその問題についての提議を伝えに顔を出す。このようなことを数回繰り返しているうちに、あっという間に終業時間が近づいてくる。乃子の生まれた時から一度も切られたことのない御髪は、いくつかある部署を行き来できる大切な通路である。このようにして、地上の人々が眠っている間に、乃子が足を運んだいくつかの関係部署間の小さな諸問題を解決して歩き回ることで、乃子が眠りにつく頃、雄鶏がけたたましく鳴き叫ぶ朝に地上の人々は平安無事に目を覚ますのであった。
人々は、なぜ平穏無事に爽やかな朝が来たのか、誰も知る由もなく、また考えることもなく、当たり前のように、気持ちよく朝を過ごしている。このようにして、御髪は日に日に伸びていくのであった。
いつものように、乃子が眠りに入る準備をしていると、新入りのお付きのものが、新しく御髪のとかす際に柘植の櫛をどのような角度で入れるとよいか教えてもらいながら、櫛を入れた。その時、乃子は微かな違和感を感じた。
その晩の乃子は、いつものように、関係部署を回ることができなかった。ひどく疲れるのだ。いつもは5〜6カ所回ることができるのだが、1〜2ヶ所回るのが精一杯。これでは、部署間の調整に怠りが出てしまう。
人々のいつもの朝に、雄鶏が寝坊して鳴かなくなり、カエルが卵を産まなくなった。カエルの卵のない田んぼは、いつもより栄養分が少なく、また、大雨が続いたせいで、多くの苗が根付く前に流されていった。
乃子の所属する天界管局は、これは、夜の世界での問題が生じた証であると判断し、乃子の御髪を切るという決定を下した。
問いただすと、乃子が違和感を感じた時に、御髪を入れた新入りの者は、月の物の最中であったとのことだ。お付きのものは、月の物の最中には、土に降りてしまうものを持っているとして、決して御髪を触れることは許されていなかったのだ。
こうして乃子の御髪は、生まれて初めて切られることになったのだ。
御髪を切る儀式の日、浄められた乃子はまっさらな絹の衣に身を包み、御髪もいつものように整えられた。太子によって、見事に磨き上げられた御髪刀が、吸い付くように見事な黒髪に入り込み、切り裂かれた時、宮中を見守る人々は、無数の龍が空に還っていくのを見たという。
髪を切られた乃子は、流島にて、正気の戻らぬまま最期を迎えたという。
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