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ガマンは毒

先日やっと再販になった桜林直子さんの『世界は夢組と叶え組でできている』を購入した。
少しずつ読み進めているものの、自分に当てはまる内容になると衝撃を受けて(大袈裟な言い方になるが大袈裟でなく)、考え込んでしまってなかなか進まない。

今のところ読んでいて特に腑に落ち過ぎたのは、『ガマンの鎧を着ている人』という項目だった。
ガマンを強いているのは他でもなく自分自身であるし、ガマンを続けている自分を肯定すると、怒りだけが残るという。

本当にその通りで、私は誰にも「お前はガマンしてコレをやれ」とは言われていなかった。
私以外やる人いないよね、仕方ないよねと、勝手に状況を読んで引き受けていた事がほとんどだったように思う。
そして引き受けた後に残る違和感。なぜ私がいつもこんな役目を引き受ける事になるの?となって、そんな状況にさせて知らん顔している周りの人が悪いと思っていた。
これが私の毒の感情。

今思えば、周りの人はやってくれる人がいれば楽だし、やってくれるって言うならやってもらおうという程度だったのだろうと思う。
そして、周りが当事者として目の前の問題について考えなくなる状況を作り出していたのも、表面上は機嫌良く引き受けているように見えている私だったのだろう。
周りの人にとっては問題無しの状態だったという事か。

私はかなり長い間、怒りを抱えて生きてきてしまった。
そんな自分が嫌で仕方なかった。
私がどうしたら怒りを手放して幸せになれるのか。
人が叶えてくれる事でもないし、人のせいにしていても何も解決はしない。

勝手に状況を読んでガマンをしてはいけない。
考える必要のある事は、周りと助け合いながら解決方法を考えればいい。
そんな、普通にすくすく素直に生きている人にとっては何言ってるの?当然じゃないの?という事にやっと気付けた。

そして、今まで周りに相談せずにひとりで勝手に引き受けてきた私は、おそらく周りの人を信用していなかったのだろうと思う。
どうせ協力してくれないでしょ。
私がやっちゃった方が早いでしょ。
問題解決が得意になっちゃっている私の方が良い結果になるでしょ、なんて感じに。
その事実に気付いて、心底自分の事を思い上がった嫌な奴だったなと感じた。

そんな可愛げの無い人間よりも、人にちゃんと助けて下さいと言える人間でありたい。
私が今までそういう人間じゃなかったから、誰も率先しては助けようと思わなかったのでは?とも思う。
私がいつも怒りながらも問題解決をし続けてきた生き方はこれまでだ。

大変な時は助けを素直に求められて、人に助けてもらえる、そして自分も人に寛容になって協力し合える、そんなこれからの自分を目指して生きていく事にしようと思う。

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