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人生の岐路

私は50歳半ば。もうすぐ人生の選択を迫られる時期がやってくる。30数年勤めてきた会社に留まり、60歳定年を越え再雇用契約を結んで働き続けるか、又は、60歳を待たずして選択定年制を選んで早期退職し自分勝手に過ごせる環境を探すか。その二択である。前者も後者もそれぞれに一長一短がある。「敷かれたレール」を走り続ければ波風は少なく、慣れ親しんだ環境でこれまでに培った経験を活かして働くことも可能だろう。しかし、賃金は少なくなる上に、これまでの後輩が上役となり支配するようになる。手放しに居心地良い時間じゃないことは覚悟しておいた方が良いだろう。一方で、「再出発」に舵を切ったら、誰に遠慮もせず自分の好きに時間が使える。就業規則もない。業務命令もない。自分の考えで全てを決めることが出来る。だが、収入は0からのスタートになる。これまでの社会経験が即、収入に繋がるとも思えない。

これまでの経験を活かせるのか?

「敷かれたレール」か「再出発」か。賢い選択は?実のところ今のQOL(Quality Of Life)を維持することは「敷かれたレール」の延長線上の収入では実現不可能だ。だからと言って「再出発」を選択すれば収入維持のための大きなストレスを背負うことになる。家族4人と愛犬1匹が食べていける収入を確保するためには、安泰の「敷かれたレール」も不安というストレスが伴う「再出発」もどちらも選び辛いのが今の正直なところだ。

選択の時間は残りわずか・・・

でも待ったなしで時計の針は進んでおり選択決断を下すまでの残り時間が確実に減っている。収入のことは一旦置いておいて、気持ち・希望はどちらなのか?それは「再出発」だろう。そう考える理由は、第一に一度しかない人生は謳歌したいし、このまま全て生活の糧だけのための時間で人生を終わらせたくないから。第二に再雇用というこれまでの延長で働くならば後輩諸氏が上役となり、指図され、評価されるのにはプライドが許さない。第三に心身ともに老いを感じ始め、組織の中の一員として職務を果たす自信がなくなっており、自分自身のペースで出来る仕事に憧れているから。

話しを収入に戻そう。今は70歳まで働くのが当たり前の時代である。延長に甘んじるのであれば収入の低下も必至でQOLも比例して下げる必要が出てくるだろう。今のQOLを維持し、且つ、充実した人生の後半戦を楽しみたいのであれば、しばらくのストレス同居を覚悟し新たな挑戦という道がおのずと決まってくる。

フリーランスでやっていけるか?

ここからが問題だ。再挑戦のために何を準備すれば良いか。資金も人脈もない。使える資格も運転免許ぐらいしかない。あるのは一つの考えだけだ。「自分を大切にする」ということ。低収入な仕事でも、面白いこと、楽しいことを複数やればそれなりにまとまってくる気がする。一つにこだわったり、固定化する必要はないと考えている。「再出発」のその先の選択肢は再就職ではない。私の場合はフリーランスと決まっている。そうじゃないとマイペースで出来る仕事を選択できない。就業規則も業務命令もなく、自分の考えで全てを決めるためには再就職はあり得ない。安易な考えかもしれないが自分を一番大切にするためにもそれこそがこだわりだろうと思う。こうして文字を書くことも嫌いではない。エッセイストも仕事に出来ればと思っている。「こんな文章で?」と笑われるだろうが。

何でもやってみて良いと思う

人のためとか、社会のためとか綺麗ごとばかりで自己犠牲を美徳とする風潮の中で育ってきた世代だから、自分を大切に考えることを意識し始めたのは最近のことだ。面白いこと、楽しいことと言ったらそれは自分自身が好きなことだろう。食べることが好きだから「お弁当屋さん」もいいと思う。旅行が好きだから旅日記を書くようなブロガーもいい。幼い頃から人見知りだが、基本的に人と話すことは嫌いではないから営業の仕事も良いと思う。問題は何を売るかだ。楽しいことを考えて企画化して提案する。不動産業はどうだろう?仲介とか管理ではなく月極ガレージ業はイニシャルこそ大きな資金が必要だがランニングは5%の管理料と数年に一度の保守料(売上の15%程度)だけで済む。楽しくも面白くもないが、資金が準備できれば考えるべき収入源だろう。

安定した収入源は確保したい

残りの時間、面白そうなこと、楽しそうなこと、それでいて収入も得られるような仕事を探そうと思う。人の目や中傷は気にしない。他人が幸せにしてくれる訳ではないのだから。時間の配分も大切になってくる。低収入の事業に多くの時間は割けない。効率を意識し複数の事業を掛け持ちで運営しないとQOLを高めることは難しいだろう。体力、気力が続くかどうかは心配だ。
さて、何をやろう?