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2021 射手座の言葉 絵本作家 M. B.ゴフスタイン┃特別な才能を与えられた存在だと理解する、ひとりひとり、誰もが

占星術における12サインは、12か月の季節の移り変わりに照応し、その時期に感じやすい心のテーマがあります。心理占星術家nico (ニコ)が、古今東西の著名人の言葉から12サインそれぞれの象徴を見出し、心理的葛藤と成長を考察したエッセイ。

2021射手座期は、児童書でありながらスピリチュアルで哲学的なストーリー、幻想的で独自の作品世界をもつアメリカの作家・M.B.ゴフスタインに注目。 楽天的で陽気、拡大と発展など、華やかな言葉で飾られがちな射手座像に疑問を投げかけます。

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ゴフスタイン最期のことば

コネティカット州ダンベリーにて 訪問者との会話の抜粋

ねえ、私、良い人生を生きたと思うの。
素晴らしい、人生を。
12月20日には77になるのよ。
死ぬことは構わない。まったく。
別れたくない大切な人たちはいる、もちろん。
でも―――
死は、私の友達。
死と、希望。
希望。
何かをもっと、もっともっと。
良くするために、闘うの。

特別な才能を与えられた存在だと
理解すること、ひとりひとり、誰もが。

あなたは何百万もの才を授かっていて、
そこから自由に選べるの。
だから大急ぎでどんどんやらなくちゃ
でないとすべてを使いきれないから。

私はクリエイティブなんかじゃない。
むしろその逆。

真実があって私はその気配を感じるの。
だから私はその真実を明らかにしなくちゃいけないの。
私も創られたもので、私もまたいろいろなものを創った。

私たちみんなの存在が、真実を顕わにする。
一本の木が、一枚の葉を出現させる、それこそが真実。
鳥が留まりさえずる枝をつくる、それこそが真実。
(ああ、私はなんて素晴らしい時を生きているのか。)

あなたがなすべき仕事がまだ、残されている。

ねえ、よく聞いて―――
私たちはそんな物語を紡いでいくのよ。

射手座の言葉


M. B.ゴフスタイン

1940年12月20日、アメリカ・ミネソタ州セントポール生まれ。射手座に太陽、水星を持つ。

大学で美術、小説、詩作を学んだ後、ニューヨークでイラストレーター、画家として活躍。1980年『画家』でニューヨーク・タイムズ年間最優秀児童絵本賞受賞。


* * *


 支配星・木星の影響だろうか。9番目のサイン・射手座には、基本的に拡大、発展、成功、栄光、希望といった華やかな象徴が押しつけられている。何事もやりすぎる傾向があり、ときに尊大でひとりよがり、ときに楽天的で陽気な性質を持っているということらしい。

 しかし、これらの象徴も例のごとく、あまりピンとこない。


 たしかに、「なんとなく楽しそうにやっている射手座」的なタイプの中には、このような世俗的な豊かさを享受しているように見える人たちはいる。


 だが、本気で太陽サインを生きている人たちのほとんどが、むしろ9番目のタロットカード「隠者」のイメージ――内へ内へと向かう探求、繊細な感受性、シンプルで無駄のない表現――を体現している。本当におもしろいくらいそうなのだ。

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 そして、その表現にはいつも暗さと明るさの両面が存在している。というより、むしろ、暗さの中から明るさを引き出そうとしている、といったほうが正しいかもしれない。暗さの中にある希望、それが彼らの生きる力になっている。


 考えてみればそうなのだ。

 蠍座で私たちは、死に近いものを、絶望、挫折、喪失、痛み、悲しみといった暗さを体験した、またはそれに限りなく近いものを見聞きしたはずなのだ。

 そして、射手座の段階で再び顔をあげ、また新しく「生」を始めようと決心する、その生きる力=希望が射手座のエネルギー源になっている。

 だから、暗さと共にあるサインであり、それゆえに己を生きるために必要なものだけを手に、より真実に、より美に、より本性に近づこうと歩みを進めていくサインなのだ。


 死を目の前にした、ゴフスタインの上記の言葉には、まさに射手座らしいワードが散りばめられている。


 彼女は、繊細なペンのタッチと、選び抜かれた少ない言葉で描かれた小さな絵本(縦横12センチほど)をこの世に贈り続けた。

作品を制作する際、用紙を前に、彼女は余分なところが一切なく、あるべき形になるまで待ち続けるという。

彼女は言う

伝えたいことはすべて自然の中にある。
「選んだことが」、いったいどんな本にしてもらいたいと思っているか、じっと耳を傾けること。
この世にあるべき真実の姿を見つけ出すこと。

 ゴフスタインは子供の頃、本があまりにも素晴らしいものだったので、人がつくったものだと思えず、「神様がくれたもの」だと思っていたという。

物語や言葉は考え出すのではなく、すでにこの世のどこかにあるものを「見つける」ということである。

世界にあるものは神聖なものであり、世界が私を豊かにしてくれる。

 そして、やがて私も世界を豊かにすることができる、ということなのだろう。

 こういった世界に対する謙虚な捉え方、考え方が、まさに社会サインらしさなのかもしれない。


 私たちはここ射手座期で、いったんこれまでの占星術的な射手座の象徴を、あれこれ手放してみる必要があるかもしれない。

 仰々しい射手座の象徴を手放し、私たちをとりまく世界に静かに目を見開き、耳を傾けてみてほしい。


 たしかに私たちは、思い通りにならない人生を生きている。自分のこともそう、他者との関係も仕事も、人生で体験するいちいちが理想どおりにはいかない。けれど、実際、本当にそうなのだろうか。

この世界は、私たちに必要なものがすでに用意してくれている。それを見つけられるかどうかは、私たち次第なのではないか。

 私が求めていることは、本当に私が欲しいものなのだろうか。それは誰かの欲求であり、私の欲求ではないのではないか。

 ないないとないものばかりを嘆き、あるものに少しも目を向けられてないのではないか。


「私も創られたもの」だとしたら、「一本の木が、一枚の葉を出現させる」ように私だって、「いろいろなものを創」ることだってできるのではないか。

 「特別な才能を与えられた存在だと理解すること、ひとりひとり、誰もが。あなたは何百万もの才を授かっていて、そこから自由に選べる」と本気で信じてみたらいいのではないか。


 鳥が留まりさえずる枝をつくる


 私の中の「何百万もの才」のうちのひとつがそんな素敵なものをつくることができたら、それこそなんと素晴らしい人生なのだろう。

 そうしたら、つまらない世俗の成功など、どうでもいいではないか。

 そんな物語を、私たちは紡いでいく機会をこの世界からもらっているはずなのだ。


 ゴフスタイン作「画家」という絵本には、このような言葉がつづられている。

画家は神のようなもの
神が彼を創ったのだから
つつましく、強く、
だが限られた日々、
あたえられたいのちを
彼は使いはたす

ゴフスタイン著「画家」より

 またゴフスタインは自宅の外壁にこんな言葉を彫っている。

小さな家、大きな庭、数人の友人、そしてたくさんの本


 彼女が愛したわずかなものたちに囲まれて、彼女は77歳の生涯を閉じた。

 さて、私はどんなふうに人生を終えたいだろうか。


 射手座期、私たちは、私たちそれぞれのあるべき姿を目指し、あたえられたいのちを大切に生きていく、そんなことを意識して過ごしてみたいと思う。






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