萩田頌豊与【東京にこにこちゃん】

東京にこにこちゃん。劇団です。

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最近の記事

シュガーシュガー・ヤーヤー・プーティーシュー

小中高までは、あまりにもパッとしない学生生活だった。 イジメられていたとかではなかったけど、只、本当に何もなかったのだ。 大学に行く目的も理由も特になかった。 何かしらの理由が欲しくて、サザンになるんだと言って青山学院を2回受けて失敗した。その果てに行き着いたのが和光大学で、特段行きたかったわけでもなく入った。それでもやることがなかったので、サザンになるんだと言って全音楽サークルを回った。楽器は弾けないけど歌わせてくれ!と言う一本槍のみで回ったので、厄介者だと思われ、たらい回

    • 羊のことが忘れられない

      最近、羊を覚えてしまったので、羊のことしか考えられない。 新しい遊びを30過ぎて覚えると抜けられなくなると言うが、本当だと思う。 〜すると〜になる。という根拠のない説に対して真っ向から「そう言う通説は全て嘘だ!お前は嘘つきだ!黙れ!喋るな!痴れ者!お前は痴れ者だ!」と一貫した態度で接してきたが、この説は本物だだ。30過ぎて覚えた羊は、歯止めが効かない。 特にラムしゃぶ。ラムしゃぶは覚えちゃダメだ。今もお腹が空いて仕方がない。 2歳からラムしゃぶを知ってさえいればこんなことには

      • 夜の雑文

        文字を流していく。脳内で生まれ、今思ったことを脈略もなく、只書いていく。 これを文字を流すと呼ぶ。そんな言葉はないけど。流していく。 以下、文字流し。 下北沢に僕しか知らない店がある。世で、僕だけが知ってる店。 前はもう一個あって、下北の激安クレープ屋の前にバインミーという店があって、本当に美味しくて好きで「ここ!!俺だけの知ってる店!」と、中々押さないと誓った僕の認定印を押し、うかれ、騒ぎ、愛し合い、こそこそと通っていたのだが、劇団どろんこプロレスの勃起崎さんがTwitt

        ¥100
        • 『ゲラゲラのゲラによろしく』稽古日記#4

          稽古の帰り道。 役者さん達と帰っていて「こっちが駅かな?」と安易に呟いたら、お爺ちゃんが。「駅はね3つ目の道、右。」と、教えてくれた。 「ありがとう。お爺ちゃん」と言いながら、稽古の感想などを言っていたら、お爺ちゃんが僕たちのパーティに参加していた。 ずっと歩幅を合わせて歩いてくるお爺ちゃんを気にしながらも、くだらないことを話しながらしばらく歩いていたら「ここ!ここを右折!」と言ってお爺ちゃんはパーティからいなくなった。 ドラクエⅦのキーファを思い出した。途中で踊り子の女に惚

          『ゲラゲラのゲラによろしく』稽古日記#3

          体育館で少年たちがドッチボールをやっていて、稽古場の前からそれがたま見えるので、決勝で当たるライバル校の様で見ている。 「今の球、俺だったらキャッチできたけど。ってね。」 以下日記です。よいしょ! ・木乃江さんが、古代ローマの騎士みたいな目出し帽を被ってきた。 僕自信、エルデンリングとかでしか見たことがなかったので斬新だった。 あとこれは口にしていなくて、帰りしなに江原くんがその例えを出して、はしゃいでいたが、俺の方が先に思いついていたので、この例えは俺のものである。

          『ゲラゲラのゲラによろしく』稽古日記#3

          『ゲラゲラのゲラによろしく』稽古日記#2

          引き続き前半固め。 最初は大学の教室借りて、尾形と遊び半分でやっていたのに、こんな凄い役者に囲まれてやってるんだなと、ふと思う。 何も成長してないけど、本当にやり続けて良かった。 まだ食えない。こんな凄い人たち出てるのにまだ食えない。シンプルに嫌になる。と稽古中思っていたら、シーンを見逃した。 なんか感想言わないと、と思い「そのままで!」と言った。 以下雑感。幸あれ! ・近藤さんの父親役が凄い。 笑いを交えた先にある哀愁が滲み出てきた。父ちゃん。 休憩中に近藤さんが「そん

          『ゲラゲラのゲラによろしく』稽古日記#2

          『ゲラゲラのゲラによろしく』稽古日記#1

          本日稽古1日目。ど緊張。 何回やっても自分の脚本が人様に読まれる事に慣れることはない。言い過ぎなことを言うが、恥部を見られるのに等しい。これは言い過ぎなので等しくない。 脚本が未完本。 誤魔化し誤魔化しやろうと思っている。 良い感じの演出とか考えてるふりをして誤魔化していきたい。「今日の稽古分だけとりあえず刷りました!残りは出来てるけど、後送ります!」の、スタンスで逃げ切りたい。そう考えております。 以下雑感。Yeah! ・初めての方が青年団の近藤強さん。初対面では

          『ゲラゲラのゲラによろしく』稽古日記#1

          どッきん⭐︎どッきん⭐︎メモリアルパレード配信

          春は別れの季節です。 語呂が良くて素敵な言葉。有名な誰かの言葉でしょう。ヨーロッパの哲学者あたりだと思います。 今作は真っ直ぐ愚直な物語です。驚くくらい直向きな主人公の気持ちに重なります。一切ぶれずに真っ直ぐ貫きます。 2年の延期。お客様仲間からの応援。色んなエネルギーが相まって、相当な熱量を帯びた作品になりました。そんな作品が出来たことは僕の誇りです。そして支えてくれたお客様には本当に感謝です。ありがとうございます。 物語は最後は必ずハッピーエンドにすると、毎回のた

          どッきん⭐︎どッきん⭐︎メモリアルパレード配信

          東京にこにこちゃん感染症対策

          東京にこにこちゃん『どッきん⭐︎どッきん⭐︎メモリアルパレード』 開催時期が近づいてまいりましたので、感染症対策をまとめました。 ご来場予定の方、ご不安のある方は是非ご一読の上、ご協力をお願い申し上げます。 【お客様へのお願い】 ・体温計測  当日は受付にて体温を測らせていただきます。37.5度以上のお客様にはご観劇頂けない可能性がございますので、余裕を持ってのお越しをお待ちしております。  当日、熱がある、体調が悪いなどの症状がある場合には、ご一報頂けましたらすぐにキャン

          東京にこにこちゃん感染症対策

          ロビン少年の無人島漂流記

          1日目 こんにちは。こういうのって挨拶から始まるんだっけ?ごめんごめん。 僕自身、こういうの書き慣れてなくて、僕は友達からはロビンなんて言われてる。本名はロビン・スチュワート。中学生。僕は冒険部の1年生で、あ、まず最初に、なんでこんなことになったのか説明させて。 実は僕、冒険が好きなんだ。それで、小学生の時から夏休みの間、グレゴリー叔父さんの屋台でホットドッグに、マスタードやらケチャップやらを塗って、お客さんに渡す仕事で貯めたお金で、ヨットを買ったんだ。本当は昨日冒険に出るつ

          ¥100

          母と漫画の話

          漫画を教えてくれたのは、母だった。以下漫画の話。漫画あんま分からないよ!という方、すいません。我慢してください。以下たくさん固有名詞出てきます。 幼少時分。毎晩、母は絵本の代わりに「シティハンター」と「ドラゴンボール」のセル編を読み聞かせてくれた。「シティハンター」は中期から後半前までの、人情話がメインになる話をチョイスしてくれていた。エンジェルダストは省いた。 「ドラゴンボール」に関しては、そもそもその前を知らないので大変だった。悟空は心臓病で居ないし、知らない、訳わか

          ¥100

          ミッシェリーの魔法

           −物語の中で、観客が最も魔法にかかり易い時間は、最後の10分である。– この言葉は、イギリスの喜劇作家ミッシェリー・K・ブラントンが遺した名言である。 今回は【物語の魔法使い】と呼ばれた彼女の名言と共に、物語に宿る魔法について探っていきたい。 あまりこういう言い方をすると偉そうになってしまうので嫌だが、演劇に携わっていて彼女を知らない人は、いないだろう。 それほど彼女が演劇界に残したものは偉大であり壮大だ。 かくいう私も彼女の作品構造には心酔しきっているし、私から言わせ

          ¥100

          剣道の話

          小学4年生時分。 親にむりやりに剣道をさせられていた。本当に嫌だった。牢獄だと思った。 確か初めて収監されたのが冬で、冬に裸足になって地面を足で踏み鳴らす意味がわからなかった。あと大きな声出すのも意味がわからなかった。なんで刀で襲うのに前から大きな声出して襲うのか?後ろから背中切るだろ普通。 本当に滑稽だと思った。まず声で個性を出すやつが嫌いだった。 いやあああ!!!で良いのに、きょええええ!!と言う先生がいた。 そいつの一派なのか、生徒にも数人きょえええ!!の血筋がいた。今

          あの日の落書きの話

          以下、大学時分の話。 とにかくうちの大学は治安が悪かった。 簡単にいうと、部室があるサークル棟はスラム街と呼ばれていたし、学生自治区だったので、基本24時間学生がうろついていた。法など存在しない場所だった、 多目的練習室という部屋が、学生ホールの隣にあった。 学生ホールとは、主に学生たちがライブや演劇イベントなどを行う際に使用する場所で、私はそこの管理をする役職に就いていた。余談だが、もうやりたい放題であった。一応なんかサークル同士が話し合って使用する日にちを決める会議

          【音楽批評】代官山POPsの衰退と今を活かす音楽

          音楽シーンを語るには、私はあまりに無知で不器用だ。 だが、その時代背景をなぞる事は出来る。 『代官山POPs』 70年代を生きた人間なら、聞き馴染みのある言葉だと思う。 70年代初頭。ニューウェーブに乗りやって来た音楽カルチャー達。 そのブームを牽引したのが代官山 POPs(以下、DP)。これは紛れもない事実だ。 そのジャンルを作り上げたミュージシャンは諸説あるが、私は『BAD RISPECTS』のフロントマン、湯口一之介だという説が1番有力だと思っている。 溝

          【音楽批評】代官山POPsの衰退と今を活かす音楽