夫婦間の違いは補い合えば力になり、否定し合えば障害になる

私と夫は育った環境も趣味も得意なことも、考え方さえも違っている。
たとえば夫はこのような文章を書くことは好きではなく、計算したりプログラムを書く方が好きだ。
私は本を読んで勉強したり考察したりするのが好きだけれど、夫はとにかく手を動かす単純作業が好きだ。

何もかも正反対の私たちは、育児や家庭運営という共同プロジェクトを行うのに適しているのではないか、と思うようになった。

初めはお互いの考え方や価値観が違いすぎて分かり合えないことを嘆いていた。
夫に対して、
なんで自発的に育児のこと勉強しないの?
なんで子供と出かける時持ち物や子供の服装を考えられないの?
なんで何事もギリギリになってからやるの?
なんで子供と出かけようとしないの?
と、不満ばかりだった。
言わないだけで夫側にも私への不満はあるだろうなとは気づいていた。
なんでそんなに細かいことばかり気にしてるの?
とか、
そっちが分かってるなら自分で考えろと言わずに全部教えてくれたら早いじゃん!
とか。

せっかくの夫の育休の間、私たちは頻繁にすれ違い、空気は重かった。
ホルモンバランスや母乳育児がうまくいかないストレスもあり、私は常に夫にイライラしていた。育休なんて早く終わればいいと思っていた。

子供が1歳をすぎた頃から夫への育児の不満は減っていった。
夫が育児に慣れて来たのもあるが、私自身の考え方の変化も大きかった。

完璧主義の母親に育てられた私は、何もかもできるようにならないといけないという先入観を持っていた。
学生時代は、全教科100点とれないと勉強できるとは言わないと親にいつも怒られていた。
だから不得意なことがあってはいけないと思うようになってしまった。
自分自身にできないことがあるのが許せなくて仕方なかった。
そしてその完璧主義を心理的距離が近い夫にも向けてしまっていた。
そのうちに夫がどんどん疲弊していくのが分かった。
イライラしてばかりいる私の顔色をうかがって過ごしているように見えた。
その姿が母親の機嫌をうかがう自分の幼少期と重なり、このままじゃ家庭が壊れるとハッとした。

その日から夫がしてくれたことや夫の良いところに意識を向ける努力をした。
偏食気味の息子にどうにかご飯を食べさせようと工夫してくれてるなとか、毎日割り当てられた育児のタスクは確実にやってくれてるなとか。
当たり前にせず、一つ一つ見落とさないように注意した。

次にそれぞれが完璧になるのではなく、得意な方が引き受ければいいと考えるように意識した。
夫は情報を集めたり考えたりするのが苦手だから、得意な私が子供の服装を考えたらいいし、持ち物も私が提案したらいい。
反対に私の苦手なことも夫に任せればウィンウィンになる。ストレスも軽減する。
これこそ、何もかもが正反対な夫婦の強みだ。

タイプが違う両親がいる家庭は子供にも良い環境だと思っている。
両親共に神経質で細かかったらきっと息苦しい。
かと言ってどちらも呑気であまり考えないタイプなら子供の将来の準備や健康管理に問題が出てくるかもしれない。
正反対な両親がいることによってバランスがとれそうである。
私自身も母がイライラして不機嫌な時はマイペースな父に救われていた記憶がある。逆に計画性のない父だから、あれこれ考える母がいなかったら家庭は回らなかったはずだ。

最後に、世の中にはいろんな人がいることや、考え方が違っても仲良くやっていけるということを子供に学んでもらうことができる。
子供にとって最初に経験する社会は家族だ。
生きていくための最初のロールモデルは親だ。
私たち夫婦がお互いの性質を活かし合って暮らしている姿を見せることで良い影響を与えられればと願っている。

いいなと思ったら応援しよう!

nico
よろしければサポートをお願いします。 今後も質の良い情報発信ができるように努めて参ります!