愛情表現としての料理

私の母は私にひどいことをしてきたと再三書いているが、母親にされたこと全てにそう思っているわけではない。
厳しく生活に必要なことを教えてくれたおかげでいろんなことができるようになったし、人生に役立つ経験談も聞かせてくれた。
してもらってよかったこと、感謝していることはいくつもある。
その中の一つに、毎日手作りのご飯を用意してくれたというのがある。
母は専業主婦としてプライドを持っていたり、貧しくて既製品を気軽に変えなかったという事情はあったにせよ、毎日休むことなくご飯を作ってくれた。外食は年に数回だったし、大きくなるまで冷凍食品を食べたことがほとんどなかった。
私は小さい頃から母の作るご飯が大好きだった。
単純に料理のスキルや味の好みもあるが、それだけではない。
褒め言葉を言わず、スキンシップも苦手な母からの愛情を感じられる、数少ないものの一つが手作りのご飯だったのだ。
幼少期は特に、愛情として受け取れるものは私にはそれくらいしかなかった。
厳しさも愛情だと母は言ったけど、小学生の私には愛情だとは思えなかった。
どんなに怒鳴られてビンタされた後でも温かいご飯は出てきた。
その度に、家族として暮らすことを一応許されてるのかなと安心できた。
話は変わるが私は幼児期にはコックさんになりたいと言っていた。
料理なんかしたこともなかったのに。
小学生になってからもシェフになりたいとか言ってみたり、卒業文集にはパテシエになりたいと書いたりした。
初めて1人で料理らしい料理をしたのは中学生の時だった。
それまで何も作れなかったくせに料理人に憧れていたのは間違いなく母の料理から愛情を感じていたからだ。
どんなに傷つくことを言われて、私なんて生まれて来なければよかったんだと闇に沈んでも、ご飯が出てくると存在が許されたような気持ちになった。あれは魔法のようだった。
だから手料理に高い価値を見出したのだと思う。
大きくなってから知ったが、母は料理が好きじゃないらしい。メニューを考えるのも苦手だと言っていた。
あんなに色々作れるのに?
と、かなり衝撃的だった。
独身時代はインスタントラーメンばかり食べていたとも聞いた。
きっと自分だけならずっとそれでよかっただろう。お酒好きで食にはそれほど興味もなさそうに思えたから。
でも母は頑張ってバリエーションを増やし、季節の食材を取り入れ、庭で野菜も育てて、生活が苦しい時もお腹を満たせるように工夫して、一生懸命苦手な料理をやっていた。
夫のためでもあっただろうけれど、私たち子供のためでもあっただろう。
それはおそらく、ストレートな愛情表現が苦手な母なりの歴とした愛情表現だったのだろうなと今は思う。
結局私はシェフにもパテシエにもなれていない。でも料理が大好きな主婦になった。
目が見えないのと手先の不器用さが合わさって母ほどはうまく作れないのだけど、数年前母に料理を振る舞ったら珍しくダメ出しをされずに普通に食べてくれたから、そんなに下手ではないと信じている。
家庭の安らぎに一役買えるような、愛情が伝わるような手料理が作れる母でありたい。
夫は比較的既製品を食べて育ったと言っていたけれど、今は一応私のご飯で満足してくれている。ありがたい話だ。
我が子には褒め言葉やスキンシップ、一緒に過ごす時間を大切にして愛情を伝えるのはもちろんのこと、愛情表現ツールの一つとして美味しいご飯やおやつを作ってあげたい。
せっかく母から受け継いだのだから。
まあ、それはあくまで理想の話。
生まれてきた第一子は食に興味がなさすぎる偏食ボーイ。
なんという皮肉か。
無理強いも押し付けもしないけれど、いつかこの愛情が伝わったらいいなと願っている。

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nico
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