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主は汝を守り給う - 『INDIKA』を見守る目
まえがき
本稿は、『INDIKA』(以下、INDIKA)をプレイした感想を記したものです。INDIKAは19世紀末のロシアを舞台とし、ロシア正教を信仰する修道女を主人公としており、その内容は宗教的要素を多く含みます。しかし一方で、本作のゲームとしての仕掛けは別段、宗教知識を前提としていません。本稿では主に既プレイヤー向けに、主に視点という切り口で本作の仕掛けを説明いたします。そのため、以下の記述では内容のネタバレを多分に含むことをご承知おきください。
破れた聖書を抱きしめるより
本編
まず、INDIKAにおけるカメラは3つに大別されます。
2D三人称視点
3D三人称視点
3D一人称視点
各々にどのような用途があり、なぜ使い分けられているか、それが物語全体にどう寄与しているかが、本稿の焦点です。
2D三人称視点
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ドット絵で描かれたグラフィックで、水中を落下する主人公インディカのシーンからINDIKAというゲームは始まります。直後にわかることですが、これは祈りの最中に微睡んでいたインディカの意識での出来事です。その後、何度か同様の描写が登場しますが、いずれも冒頭で簡潔に示されたとおり、すべてインディカの意識を描いています。それも、曖昧な。
INDIKAというゲームの最も明確な異様さは、フォトリアルな3Dグラフィックに挟まれる、この2D三人称視点です。通常の作劇手法としては、たとえばモノクロにする、画角を変えるなどして現実の出来事と区別するところを、本作ではレトロなピクセルアートを用いた2D三人称視点を採用しています。
その理由は第一に、フォトリアルな現実に対する、意識という抽象を描く上で、ビデオゲームらしい技法を用いているためです。後述しますが、本作はビデオゲームという文法をストーリーテリングに生かしており、こうした技法が効果的に働いています。
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第二に、過去に対する解像度の低さを表現するためです。冒頭のシーンこそ別ですが、インディカの過去を描く場面では必ず2D三人称視点が用いられます。そして、インディカの嘘が招いた死を題材としていながら、書き割り的に、なによりもミニゲームによって過去は描写されるのです。レースゲーム、プラットフォーマー、リズムゲーム……手を替え品を変え、過去はミニゲームによって描かれます。時代および舞台設定からして、インディカがビデオゲームをしていたとは考えられません。しかし、インディカはビデオゲームのように世界を単純化して認識しており、過去はそのように回想されるのです。冒頭で示されたとおり、2D三人称視点で描かれるのはインディカの意識下の出来事であり、過去の光景そのものではありません。
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また、ゲーム中のUI全般、そして後述する3D視点で入手できるポイントもピクセルアートで描かれます。これらは、いずれもビデオゲームのように世界を認識するインディカの意識を通した描写です。インディカにとって信仰とは、良き振る舞いや聖遺物の収集によって得られるポイントでしかなく、より善き人間としてレベルを上げるための経験値に過ぎないのです。
3D三人称視点
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ゲームプレイの大半は、この3D三人称視点で進行します。この視点とは一体なんなのでしょうか。通常のゲームであれば特段意識する必要はありませんが、INDIKAは複数の視点を使い分けたゲームですから、当然そこには理屈が存在します。
一人称視点と三人称視点の使い分けとして代表的なものが、前者が視点人物の主観視点であり、後者が客観視点であるというものです。平たく言えば、前者は意識によって捻じ曲げられている可能性があり、後者は事実です。しかし、INDIKAにおいて、この規則は成立しません。
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INDIKAでは、何の説明もなく、超常的な光景がさも当然かのように繰り広げられます。作中の登場人物は何も疑問を持たず、こうした異様を受け入れています。理由は簡単で、この景色は現実そのものではなく、意識を通して描かれているからです。
では、この視点は誰の意識なのでしょうか。主人公たるインディカは、常に見られる存在として、眼前にいます。そこで忘れてはならないのは、インディカの旅にはずっと道連れがいるという点です。
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作中を通じ終始語りかけるナレーター、その人こそ内なる悪魔サタン。インディカを見守り続ける視点は、サタンのものであり、そしてプレイした方ならご存じの通り、サタンとはインディカの作り出した心の中の存在です。つまり、自分自身を客観視するインディカこそ3D三人称視点の視点人物であり、故に意識の影響を受けた異様が繰り広げられるのです。
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インディカを時に誘い、時に罰するサタン。そのカメラでインディカを正面から捕らえると、まっすぐ目を合わせないよう、視線を泳がせることがわかります。これは明確に、異様なまでに、インディカの目はプレイヤーの操るカメラに生体しないように作られています。なぜならば、サタンは自己中心的なインディカの本性の一面であり、自信の偽善性を暴く存在であり、正視に耐えないからです。
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この自己を客観視する視点という仕掛けは、3D三人称視点で描かれる最後のシーンで明確に解き明かされます。前のステージにおいてサタンとしてインディカが描かれる無限ループの場面を除き、はじめてインディカとサタンが同じ地平に描かれます。自分を襲った男を撃退するサタンと、見守るインディカ。無論、これは現実の光景ではありません。
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次のカットでは、サタンに打ち倒されたように見えた男は、倒れたタンスの下敷きになっているに過ぎず、それはインディカの仕業であることが読み取れます。都合の悪いことを、自分の手を汚さず、サタンに任せたインディカの偽善的な認識なのです。あたかも、過去の回想において、ジプシーの男を父親に殺させたのと同様に。
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少し脱線しますが、この直前のシーンはポイントを失いながら、赤い水の中を沈むインディカとサタンの会話です。これは男に襲われるインディカの明瞭な意識下での心象風景であり、会話内容も物語の種明かしですが、本作冒頭のシーン、2D三人称視点で描かれた青い水の中を沈むインディカがポイントを稼ぐシーンと、見事に対比構造をなしています。このようにして、本作はラストステージへ入ります。
3D一人称視点
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ラストステージで、本作は唐突に、そしてはじめて、3D一人称視点を用います。これは前述した堕落を経て、見守る自己を失ったインディカの視点だからです。そして、鏡に映ったインディカの姿はサタンであり、サタンはインディカの心が生み出した存在であることが明示されます。
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本作で、ポイント足る信仰は、六角形で描かれます。それは冒頭で目覚めたインディカが見た祈りの燭台の形状であり、このラストシーンで振られる神器の形状でもあります。そして、堕落によって失われたポイントを際限なく稼げますが、最早意味はなく、レベルを上げても何の効力もありません。
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序盤で明言されていた通り、プレイヤーが導き、インディカが稼いだポイントの無意味さをまざまざと味わわされます。しかし注意が必要なのは、これはあくまでインディカにとってのポイントであり、信仰であるという点です。本作は、宗教的題材を扱ってはいますが、あくまでインディカという一人の人間の目を通した物語です。そのため、この場面において虚無なのは信仰一般というより、インディカにとっての信仰と捉えるほうが妥当でしょう。だからこそ、本作の物語を味わうのに宗教的知識や考察を別段、必要としないのです。
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そして鏡を通じ、はじめてインディカが自分自身を正面から見つめた瞬間、そこにサタンの姿は消えているのです。本作は、自己中心的で偽善的で、そんな自分から目を背けて他人を、信仰を利用してきたインディカという人間が、自分自身と向き合う物語です。故に、ここでゲームは終わるのです。
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あとがき
あなたよ祈りを捨てて