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第22章 おひさま荘の銀河に

「美優ちゃん!」

「十三さん、老けた?」

「もうっ!!」

赤紫色の腰エプロンをつけた美優ちゃんは、ちょっとふっくらしたほっぺをニッとあげて、あの時みたいにいたずらっぽく笑っていた。

「今年は遅咲きなんだって」

美優ちゃんは、花壇のユリの花を優しく触りながら、ちょっと照れてるみたい。

「美優ちゃ〜ん」

花壇に小さな女の子が走ってきた。美優ちゃんは、その子の目線に合わせるようにしゃがんでその子を見た。

「美優ちゃん、ユカちゃんがまた、けんかしてる!」

「えー!! まったくぅ」

美優ちゃんは、立ち上がると、その子の手を取って、ゆっくり走って行った。途中振り向いて、マリーに向かって手招きした。マリーは慌てて、美優ちゃん達を追いかけた。

プールの脇の登り棒のところで、まだ幼稚園児くらいだろうか。けれどガタイの良い女の子と、いかにもヤンチャっぽい、これまた幼稚園児くらいの男の子が互角に闘っていた。

「ほらほらほら」

美優ちゃんが二人を引き離すと、男の子が、

「ユカが先に殴ってきたんだ!」

と鼻水垂らして、美優ちゃんに抗議。負けじと、そのユカちゃんも、

「コウタが登り棒の上から唾吐きかけたからだろ!」

と、またそのコウタくんに殴りかかりそうになったのを、美優ちゃんが制止した。

「コウタは、なんでユカに唾なんか吐いたの?」

美優ちゃんは、またコウタくんの目線に合わせてしゃがんで、エプロンのポケットからティッシュを出して、コウタくんの鼻水を拭いてあげていた。コウタくんは、

「こいつ、嘘つきなんだ! こいつの母ちゃんも俺の母ちゃんも、悪いことしたから、だから、もう迎えに来ないって。どっか、悪いことしなくなるまで出られない場所に入れられちゃったから、迎えに来ないって、嘘ついたんだ!」

そう言って半べそ。ユカちゃんは、美優ちゃんを睨むと、

「だって、おじちゃんが言ってたもん!託児所にいつも来てたおじちゃん、言ってたもん!」

と言って泣き出した。美優ちゃんは、ユカちゃんとコウタくんの頭を優しく撫でると、

「悪いことなんかしてないよ!あのおじちゃんから見たら悪いことなのかもしれないけど、美優ちゃんから見たら、あなたたちの母ちゃんは、一生懸命だった。何かの本に書いてあったよ!一生懸命生きとる奴に悪い奴はおらへん!って」

と言って、二人を抱きしめた。マリーは、立ち尽くしていた。この三人の会話が何を表しているか、分かっていた。

「わたしも、ぎゅうしてほしい」

マリーの横に立っていた女の子が、マリーの手をぎゅうっと握った。マリーは、しゃがむと、

「お名前は?」

と聞いた。その女の子は、ニッコリすると、

「サチだよ!」

と言って、マリーの首に抱きついた。マリーは、サチちゃんを、ぎゅうっと抱きしめた。まだ、小さい。何もかもが。マリーは、鼻がツンとした。


「よ、四人暮らし?!」

「そう! 四人暮らしにしちゃ広すぎでしょ? 」

美優ちゃんはケタケタ笑っていた。そして、

「昼間は、ご近所の蘭子さんが来てくれるから」

と、家庭科室を覗いた。白い割烹着を着たおばあちゃんが、お鍋をまぜまぜしているのが見えた。

「蘭子さん、今日、一人増えたから、六人分でお願いします」

「はいよ、はいよ」

美優ちゃんが、その蘭子さんに声をかけると、蘭子さんは、こちらに向かってオーケーサイン。マリーが会釈すると、ニッコリ笑った。

「ここが、今夜寝る場所ね! まだ宿とってないでしょ?」

美優ちゃんが聞いた。

「え?う、うん」

話がどんどん展開していき、マリーはついて行けてない気もしたが、なんだか気持ちはホンワカしていた。よく分からないけど、この校舎らしき建物に、美優ちゃんは、三人の子ども達と住んでいるらしい。

「ここ、座敷わらし出るよ!」

「出るよ!!」

くっついてきた子ども達が楽しそうに言った。

「ほ、ほんと?」

マリーが恐る恐るコウタくんに聞いた。両鼻からまだ鼻水垂らしながら、コウタくんは嬉しそうに頷いた。


「貸テナントだったの」

子ども達がやっと寝た後、ベランダで美優ちゃんが言った。秋の夜はもう寒い。寒いから、夜空には星がいっぱい。

「学校も貸テナントになるんだ?!」

マリーは、驚いたように言った。美優ちゃんは、そんなマリーをニコニコして見ている。あの頃と何も変わらない。ただ、変わったのは、服装くらいかな?だって、あの美優ちゃんが腰エプロンだなんて。マリーは、ふふっと笑った。

夜空を仰ぐように見上げている美優ちゃんの横顔は、美しくて、儚げで。やっぱりあの頃の美優ちゃんだった。美優ちゃんは、

「わたし、学校嫌いで、あんまり行ってないんだけどさ。この学校は、なんか、一目で好きになったの。なんと言っても、柵がないからね!」

と嬉しそうに無邪気に言った。

「なんで柵がないんだろう? 学校なのに危なくないのかな?」

マリーが聞いた。美優ちゃんは、

「たぶん? だけど。わたしは、その校長先生に会ったことがないから予想だけど。先生は、子ども達を信じてたんだと思う。この学校の子ども達は、花を踏まない優しい子ども達だって。その証拠に、花壇には季節ごとに、きれいな可愛いお花がたくさん咲くの!」

そう言って、また、

「わたしも、子ども時代に、そんな先生に出会いたかったなぁ」

と、小さく独り言を言っていた。その顔が寂しそうだったから、マリーは、

「ね、あの子達、ぜんぜん寝なかったね!絵本5冊も読み聞かせして!」

わざと楽しそうに言った。美優ちゃんは、またニコニコして、

「ハーメルンの笛吹き。あの子達、なぜか好きなんだよね。コウタなんてハーメルンの笛吹き男が、子ども達を、どこか楽しい場所に連れて行ってくれると思ってる。ほんとは、こわーいこわーいおはなしなのにさ」

と言った。

「美優ちゃんは、怖くない方のハーメルンの笛吹き?」

マリーが言った。

「さあ?」

美優ちゃんは、そう言うとまた、いたずらっぽく笑って見せた。

「あの子達のお母さんて?」

「そうだよ...」

しばらくの間、沈黙が続いた。静かな森の上は、まるで銀河。汽車の汽笛が聴こえてきそう。

美優ちゃんの方から話し始めた。

「ね、知ってる? むかしむかしのおはなし」

美優ちゃんは、吸い込まれそうな銀河に向かって深呼吸した。そして、

「昔、江戸時代の終わりに、アメリカの黒船が下田や浦賀にやって来て、日本はそれまでの鎖国をやめて、外国と盛んに貿易をすることにしたでしょ。その時に、日本の偉い人達は、各地に政府公認の売春宿を作ったの。なぜだと思う?」

と言い、美優ちゃんは、マリーを見た。マリーは首を傾げた。美優ちゃんは、ゆっくり頷くと、

「日本の清廉潔白な淑女が、外国人達に傷物にされないために、日本の聖女を守るために、あえて、売春宿を作って、外国人達の性のはけ口としたの」

と言った。マリーは寒気がした。気候が寒いからではない。身の毛がよだったのだ。美優ちゃんは、更に続けた。

「日本が昭和時代の戦争に負けて、またアメリカ軍が日本を占領しようとした時、日本の偉い人達はまた、各地に政府公認の売春宿を作ったの。それも同じ理由。日本の淑女聖女を守るため」

美優ちゃんは、別に憎しみを込めるでもなく、悲しみの声を出すわけでもなく、淡々と話していた。

「じゃあ、売春宿で働いてた女性はなんなの? って思ったんだ。売春宿で働いてた女性は、淑女でもなく聖女でもなく。同じ女からも下に見られていたってこと?」

美優ちゃんは、誰に言うでもなく、そう疑問を投げかけていた。

「美優ちゃん...」

マリーは、何を言ったらいいのか分からず。

「ごめんなさい。誰かを責めたいわけじゃないないの。わたしが、ここに来た理由を話したかっただけで...」

美優ちゃんは、マリーを見るとまた、ニッコリした。これも変わらない。辛い話をする時にも、こうやって笑う美優ちゃん。

「わたしは、昔の、借金のかたに、売春宿に無理矢理売られて来たような、そんな可哀想な女の子ではないかもしれないけどね。ちゃんとお給料も貰ってるし、お客さんは、わたしに恋してやってくる。だけどさ、時々、ちょっと寂しくなって、わたしも、そのお客さんに本気になる時があったりして...。いっぱい褒めてくれるし、言葉でもたくさん愛の表現をしてくれるから、つい錯覚しちゃう時があってさ。だけど、つい浮かれて、SNSなんか見ちゃったら、楽しそうな家族写真とか、彼女とイチャつきあってる写真とか? 日付を見たら、わたしのこと、愛してるって抱いた翌日に婚約したとかね。見なきゃいいんだけどさ。つい見ちゃってさ。そんな時、思うんだ。わたしも、むかしむかしの売春婦。政府公認の淑女聖女を守るために、男にあてがわれた、同じ女からも見下された女なんだなって...」

美優ちゃんは、「はあ...」と、なんだかわざとらしい大きなため息をついて、また、マリーを見て笑った。

「確かにお金はたくさん貰えたけど、女として、そういう生き方に疲れたんだ。だから、稼いだお金、ぜんぶ、ここで使うことにした。何だか別になんていう志もなけりゃ、目的もなけりゃ、なんにもないけど、この子達、可愛いし、いっぱい笑って大きくなってほしいって、ただ、それだけ」

美優ちゃんは、マリーを覗き込んだ。

「泣いてんの?」

「な、泣いてなんかないわよ!」

マリーが、美優ちゃんを見ると、美優ちゃんは、またあのいたずらっぽい顔をして、

「十三さんてさ、柳川さんのこと好きでしょ?」

と言った。

「え?」


続く

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