第25章 白鳥の停車場
坂の上の駐車場に、美優ちゃんは車を停めた。
「賢治記念館見るでしょ」美優ちゃんは、ズンズン先を歩いて行って、記念館の入り口で、マリーに向かって、「はやくはやく」と手招きしていた。
本当に意外だった。美優ちゃんが、宮沢賢治記念館の展示物に見入っているなんて。美優ちゃんは、特に、最初の展示物、ガラスケースに入った、賢治さんの直筆原稿を長い時間かけて読んでいた。
星や鉱物が大好きだった賢治さん。小さな頃から石集めが趣味だったらしい。石は、地球が欠けたものだから、そう考えると、石も星の欠片。高価な宝石なんかよりも、河原にゴロゴロ転がっている、長い年月をかけて磨かれた石を、手に取って喜ぶ賢治さんが目に浮かぶ。
演劇が大好きだった賢治さんは、演劇用のおはなしも、いろいろ書いていた。一番有名なのは、ガラスのマントの少年のおはなし。
賢治さんの時代、東北地方では作物が育たずに、農家の人々は、貧しい暮らしを余儀なくされていた。賢治さんもよく通った遠野には、赤子の間引きや老人を捨てる姥捨山など、悲しい話が残っている。
質屋の道楽息子で、チェロを弾き、詩や童話の創作に耽っていたイメージもあったけど、岩手大学で地質学を学んできていた賢治さんは、晩年、肺の病に倒れるまでは、東北の土の改良に奔走していたそうだ。
マリーの目に留まったのは、賢治さんが教鞭をとっていた花巻農学校の生徒に送った『告別』という詩。
「わたしは、電信柱のおはなしがすき!」
記念館を出て、駐車場の向こうにある山猫軒に、2人で歩いて行きながら、美優ちゃんが言った。
「知ってる知ってる! きっと賢治さん、あのおはなし書いてたとき、好きな人がいたんだよ」
美優ちゃんが立ち止まって、マリーの腕を掴んだ。
「それって、シグナルとシグナレスじゃない?」
「ああ、そうか!」
マリーが頭をかいて笑った。美優ちゃんも笑った。
「そんなもん?」
「なにが?」
「だから、シグナルとシグナレスを書いてたとき、賢治さんは結婚したい人がいたってこと?」
美優ちゃんの目の奥は、キラキラして透きとおっている。
「そんなもんだよ。作家は、どうしたって、書いてるおはなしに、私的感情が出ちゃうもんなの」
マリーは、しみじみと頷いた。
「なんか、十三さん、作家みたいな言い方してる」
美優ちゃんは無邪気な顔してそう言うと、山猫軒の扉を開けた。
続く