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マーダー・ライド・コンフリクトPart4/6

前回までのマーダー・ライド・コンフリクト

 彼は人を驚かすのが好きだった。
「マジで興味が湧かねぇ」
 少年だった。
「[さっさとやれ]」
 空が見えた。
「オウシュン、アイツの耳はいらないのか?」
「[いらないよ]」
 ヒバリはとにかく、この目の前の異常者に一刻も早く消えて欲しかった。


 僕達は負荷が許容量を越えると壊れ始める。人を殺す、という行為はどうしたってストレスが掛かる。壊れ始めると、徐々に他の奴等と混じっていく。モザイクのように。知らない誰かの記録が入り交じって「自分」を見失いそうになる。自分の輪郭がぼやけていき、最後は体の奥へと溶けていく。そうなると、どうなるのだろう? 僕が消えるわけではないだろうけれど、今みたいな自由は無くなるんだろうな。嫌だな。上野でやってる展覧会に行きたかったんだけどな。負荷が掛かり続けて壊れ始めると、意識が途切れやすくなる。意識が途切れると、情報の洪水がやって来る。他の連中がしてきたことや、黄峻が持っている記憶の海が襲ってくる。僕を溶かしていく海が。
 くだらない夢を見ないでよ、黄峻。思い出に浸るな。センチメンタルに浸るなんて気持ち悪い。そんな資格、お前には無いだろ。

「黄峻は昆虫採集が好きなのか?」
 [八歳離れた兄が黄峻の部屋に入ってきて、標本で埋め尽くされた壁を眺めて言った。黄峻はアサギマダラの展翅をしながら首を横に振った。標本を作るための道具は全てこの兄が彼に買い与えたものだった。黄峻は自分のことを何一つ誰にも知られたくなかった。誰にも。家族にでさえも。]
「黄峻。兄さんは今日お前の学校に行って担任の先生と話をしてきた。お前は問題を起こしやすいと言われた」
 [背の高い兄は立ったままそんなことを言うので、黄峻は威圧感を強く感じた。だがそれを噯にも出さない。黄峻は黙々と学習机の上で蝶の羽を整えている。兄は構わず続けた。]
「小学校は社会の基礎的要素を学ぶ場所だが、お前が行きたくなければ行かなくても構わない。好きにしなさい」
[兄はいつもそうだった。家族の選択に文句を言うことはない。それが自分の不利益にならなければ。十二歳年上の、もう一人の兄のほうはあまり顔を覚えていない。彼はさっさと家を捨てて出て行ってしまった。]
「黄峻、担任の先生はお前のことを『嘘つきで気味が悪い』と言っていた。『毎日話すことに一貫性が無い。まるで別人みたいに振る舞う』とも」
 [黄峻は誰にも「自分」を知られたくなかった。だから毎日振る舞いを変えた。好物も、嫌いな給食のメニューも、授業の成績も。誰にも「自分」を認識されたくなかった。他の誰かに「自分」がどんな人間なのかを判定されたくなかった。それを許すことが出来なかった。]
「黄峻、お前は誰にも『自分』を知られたくないのか?」
 [兄は人の頭の中を推測して、まるで覗いたように言い当ててくる。それはとても嫌な特技だと黄峻は思う。黄峻は兄の問いに答えない。その答えさえ知られたくない。返事をしない黄峻に、兄は声を荒げることなどしない。ただ肯定する。]
「黄峻、人間は元々相手によって人格を切り換える生き物だ。だからお前もそれで良い。余りにも辛ければ、切り離してしまっても良い。他の誰かに肩代わりさせてしまっても良い。『自分』を見せたくないのなら、その内側に隠れてしまっても良い。お前のしたいようにしなさい」
 [兄は、「そうすべきだろう」と思って行動する。その時に最大限の最善を尽くす。誰にも分かち合えない黄峻の望みを理解しないまま肯定する。黄峻が母親のようにならないようにするために。自壊してしまわないように。「そうすべきだ」と思ったからだ。黄峻の目の前に難易度の低い道を指し示して、「好きなようにしなさい」とだけ言うのだ。]
「うん、兄ちゃん」
 [黄峻は兄に与えられた言葉をお呪いだと思った。黄峻が死ななくても良いようになるお呪いだ。兄に家族を愛する気持ちなど欠片も無いが、最善を与えようとする。「家族」という共同体を保全するために。]
「黄峻、蝶ばかりを標本にしているな。こんなに沢山、よく熱心に集めている」
 [兄の独り言のような言葉に、黄峻は漸く返答した。]
「標本はもう作ったらだめ? お父さんが怒るからやめなきゃいけない?」
 [父は無闇な殺生だと黄峻のコレクションにいい顔をしていなかった。直接注意することはしないが、遠回しに指摘することがある。黄峻はいつもそれを無視していた。兄は父とは真逆だった。]
「いや。他に好きなことが見付からなければ続けなさい。虫でも、獣でも、それより大きな生き物でも」
 [兄は黄峻の奥深くにある本当の望みを察しているようだった。黄峻はコレクションを蝶ではない別のものにしたかった。蝶の羽で代用して、自分を抑えていた。本当は、「人間」でやりたかったのだ。黄峻はずっと、人間を殺したかったのだ。自分でも理由など分からない、底の無い飢餓に似たその欲求を、ずっと抑えていた。ずっと抑えていたんだ、黄峻は、「俺」は。]


 ビクン、と体が突然落下するような揺れに襲われて僕は目を醒ました。いつの間にか眠っていたらしい。ここは何処だろう、と周囲を見回す。レーンに、電子掲示板とモニターには既視感があった。ボウリング場だと分かった。ボウリング場にいる。どうしてだろう?
 僕はレーンにあるベンチに座って寝ていたらしい。何かを抱えていて、なんだろうと見ると知らない男の生首だった。
 なにこれ。酔っ払って一升瓶抱えるみたいな奴じゃないんだけど、僕。ニック、ちょっと説明してよ。ニック、ねぇってば。
「うるせぇな。携帯見てみろよ」
 素っ気ないニックの言う通り、僕はスマートフォンを取り出す。画面に『ヒバリ:二度とやるな』という表示が出ていたのでタップしてみる。見慣れないアイコンのアプリが開いた。メッセージアプリらしい。チャット画面にはヒバリの名前が表示されていて『ふざけるな』という一文がある。その前はこちらから送信している。一枚の写真だった。
 死体と肩を組んで自撮りをしている笑顔の黄峻だった。死体の顔は見たことがある。ヒバリに紹介された標的の一人だ。半グレのボスとかいうチンピラ。見事に死んでる。滅茶苦茶に殴られた後に銃で額を撃ち抜かれている。僕は慌てて自分の服を見た。返り血がべったりとついていた。最悪な気分だった。よく見ればこのレーンは「13レーン」だった。
 ニック、今日はずっと運が悪いんだよ。嫌になるね。
「そりゃテメェが寝てるからだろうが、サト。自分の仕事も出来なくなったのか?」
 ニック、優しいね。心配してくれるんだ。
「死んじまえ馬鹿野郎」
 ゴメンね、ニック。
 僕はスマートフォンを仕舞って長い溜息を吐き、半グレの頭を遠くへ放り投げた。床に落ちて転がる音が響いた。死体は他にも沢山あった。半グレの仲間達だ。お気に入りのコートが汚れてしまったので僕は本当に気が滅入ってしまった。それに古着は高い。買うのは結構勇気がいるのだ。
 脱いだコートを手に持って、リュックを背負い、僕はボウリング場を出た。地元で愛される、というよりは経営不振な雰囲気のボウリング場。受付カウンターの向こうではみすぼらしい中年が死んでいた。黄峻が殺した。銃で眉間を一発。
 僕が寝ている間に「誰が何をやったのか」なんて分からないけれど、結論はいつも同じだ。「黄峻がやった」。外の人達はそう思う。僕らは思わない。僕らのうちの誰かがやったのだろうと分かっているから。黄峻は臆病だからこんなことしない。馬鹿みたいな話だけれど。
 僕はさっさと外に出る。快晴だった。時計を見れば昼過ぎだった。僕の体は傷だらけだったから、あんまり服を脱ぎたくない。でも黄峻は傷跡や刺青のような「特定される痕跡」を嫌うので、あんまり気にしなくて良い。でもやっぱり嫌だな。早く家に帰りたい。
「タクシーでも呼ぶか」
 ニックがそう言い、僕は賛成した。スマートフォンで登録している番号に発信する。すぐにオペレーターらしい女の人の声がした。
『お電話ありがとうございます。黒タクの配車を手配致します。電話は切らずこのままお待ちください』
 住所を聞かれたので、近くの電柱に書いてあった住所をニックが読み上げる。それから数分の内にタクシーが来た。ビートルのような丸っこい形の黒いタクシー。静かな運転と密閉性と「車内で何が起きても目的地まで走り続ける」というポリシーが人気の理由だ。僕も好きだ。たまに仕事する時にも使う。車の中で相手を絞め殺したり撃ち殺したりしても運転手がそのまま走り続けてくれるから。
 黒いタクシーは静かに停車して、後部座席のドアを開ける。
『配車が完了しました。ご利用ありがとうございます』
 通話を終えて僕はタクシーに乗り込んだ。運転手は何も喋らない。
「よぉ、ドライバー。AFNにチャンネル替えてくれよ」
 ニックが行き先を告げる。黄峻が寝床にしてる家だ。車は静かに発進する。僕は体を座席に預けて、リュックの中身を確認する。財布に、スマートフォンに、拳銃に、替えの弾倉に、ナイフに、注射器に、筋弛緩剤に、ロープに、ペットボトルに入れたガソリンに、ライターに、千枚通しに、針金に、結束バンドに、と色々な仕事の道具。
 弾倉が減ってるから後で補充しないといけない。ボウリング場の後片付けはヒバリにお願いしよう。クリーニングは経費で落ちるだろうし。ヒバリにボウリング場の清掃をメールで頼んで、用が済んだ携帯はマナーモードにした。なんだかとても疲れている。窓の外に流れていく景色をぼんやりと眺める。
 昼下がりの街並みが窓の外を流れていく。集合団地の寄せ集め。商店街。幹線道路。沢山の人達。駐輪場で立ち話をしている若い主婦達。
 あ、見てよニック。最近の井戸端会議は電子煙草吸いながらやるのが流行なのかな。
「知らねーよ。母親なんか何時だってストレス溜まってんだ、煙草ぐらい吸うぜ」
 でも電子なら火が出ないから子供は押し付けられても火傷しなくて済むね。根性焼きって熱いし痛いし。
「その代わりママの口がドブみてーな臭いになるけどな」
 ニックも禁煙すれば良いよ。服が臭い。
「死ねカス」
 僕は目を閉じる。眠りたい。家に帰ったら寝よう。そのまま目が醒めなくても良い気がする。瞼の裏に死体が浮かぶ。ボウリング場の死体。通り魔の死体。ヤクザの死体。その前の仕事の死体、もっと前の仕事の死体、ニックの死体、僕の死体。僕が死んだのは寒い時だったけど、すぐに虫が湧いた。指は全部折られて、顎も砕けて、鼻は削がれて焼かれた。太股に打たれた釘は二十本を越えた辺りから数えていない。僕を拷問したのは黄峻だ。僕が死んでいく様子を観察しているのは黄峻だ。死んだ僕を眺めているのは黄峻だ。僕はもうすぐ死ぬ。二度目の死だ。嫌だな、あんなの一回で十分なのに。頭が痛い。
[限界だ。そろそろ新調しなくては。]
 煩いんだよ、黄峻。黙っててよ。まだ僕は起きてる。
「寝るのか? サト。仕事しろって」
 煩い煩い。僕は頭が痛いんだ。ニック静かにしててよ。
 マナーモードにしたスマートフォンが震えている。ヒバリからだろう。無視する。どうせ文句だ。

 目を瞑ったままラジオに耳を傾け続けて一時間以上が経った。車が停車した。
「サト、着いたぞ」
 結局眠れなかったよ、ニック。
 料金を払ってタクシーを降りたら雑木林の中だった。黄峻はこの仕事を初めて少しした頃に山の中に家を買った。その家に向かって獣道を進む。十五分ほど歩いて、家が見えた。大きくて古い家。日本家屋じゃなくて、昭和に建てられた、小さな洋館のように見える。もしかしたら前はモーテルだったのかも知れない。三階建てで、客間が四室あって、吹き抜けのリビングも地下室もある。駐車スペースもある。この家まで車で来れるのかと言えば無理だけど。
「明るく楽しく、地獄のような我が家」
 ニックのどうでも良い軽口を聞きながら、玄関のところまで来た僕は家の鍵を取り出す。大きな両開きの扉の周りをついでに確認する。侵入の形跡は無い。安心して家の中へ入ることが出来る。中に入ったらすぐに鍵を締める。靴を脱ぎ捨てる。主寝室にしている三階の部屋に向かいながら、駄目になってしまったコートはランドリールームに投げ込んだ。風呂は後で入ろう。
 ベッドのある部屋で一番大きな部屋が主寝室、ということにしている。シャワールームとトイレもあるし。部屋に入って、リュックを置いて、今度はクローゼットへ向かう。ウォークインクローゼットだ。黄峻は沢山の服を持っている。僕の買った服も入っている。替えの服を持って出る。服はベッドに放り投げた。
「サト、寝る前のお祈りは?」
 今からするよ、ニック。
 黄峻から課されている日課。この部屋で寝る時は毎回やらなくてはいけない。
 壁際に引き出しが大きな三段のチェストがある。幅は大人が両手を広げたくらいの幅がある。僕は一番上の引き出しを開けた。そのチェストは標本ケースのようにガラスで内側と外側が仕切られている。中に飾られているモノが空気に触れないようにするために。並んでいるラベルには人の名前が書いてある。
 二人の名前が書かれたラベルの上に並んでいるモノは、数十人分の人間の耳だ。右耳と左耳。行儀良く並んでいる。別々の人間の耳をそれぞれペア同士にして並べている。その中に、ペアの欠けた左耳がある。右耳があるべき場所には何もない。ラベルには一人分の名前しかない。もう一人、名前を書けるスペースがある。
 ラベルには「佐藤浩史」。僕の名前だ。
 僕達は自分の耳を眺めて、死んだ時のことを思い出す。自分の最期の瞬間を。そうして、僕達は黄峻を恐れる。隷属と自己同一性を保つための行為。黄峻への祈り。馬鹿みたいだ。
 僕は引き出しを乱暴に締めてベッドに歩いていく。布団へと潜り込む。何日も使っていないようなにおいがする。変だな、そんなに使ってないはずじゃないんだけど。まあいいや。
 目を閉じる。すぐに眠りに落ちる。此処でなら僕は眠ることが出来る。
 この家なら僕が寝ている間、「誰」が起きても良いから。

 マナーモードにしたスマートフォンの振動音が聞こえる。起きたら折り返そう。今はもう眠りたい。



つづく

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