魚を採るために川に爆弾しかけてたのが70年前の話

僕は今、島根県の最西端に位置する津和野町という田舎で暮らしているのですが、先日ご縁あって、とあるおじいちゃんの昔のお話を聞いてきました。
インタビューは2時間。たくさんの話をしていただいて、書きたいことはたくさんあるし、なんなら本来聞きたかったことがちゃんと聞けなかったのでまた機会を改めて話を聞きに行くので、どんどんネタが出てきそうな感じですが、今回聞いて一番脳みそが回った話を一つ。

川に爆弾仕掛ける時代

昭和生まれ85歳のその方も戦時中を知る1人。小学校5年生の時まで戦争が行われていました。
「当時の同級生には、手が片方ない人もいた」なんて話をされるので「島根県の小学生にまで被害が及ぶほど過酷な戦争だったのか」とか思っていたら「魚を採るために川にダイナマイト仕掛けてたんだ。けどその時はなぜか爆発しなくて「爆発しねぇな」って触った瞬間に爆発しちゃって手がなくなったのよ」なんてことを言う。釣りはあんまりしなくて、この方法が普通、しかも結構簡単にダイナマイト手に入るって。

川に爆弾しかけて魚を採るっていう発想も、ていうか小学生が爆弾を簡単に手に入れられる環境も、令和に入った今の時代には全く想像ができないこと。コミカルな漫画の中でしか見ないようなシチュエーションは、70年前には小学生の間で簡単に起こってしまうようなものだったようです。

月28日働いてたけど、休日めっちゃ遊んでた

そんな時代の中で生きてきたおじいちゃん。
中学を卒業した後、実家の畑を手伝い農家として仕事をしていましたが、経済成長の波と共に大企業のアルバイト業務(工場勤務)がこの土地にも流れてきます。冬季は畑仕事が少なく人手をたくさん必要としないことから、そのアルバイトにも仕事に行くようになりました。
そこで得られるお金は、家計の支えとして大きく、また農家仕事よりも圧倒的に楽だったことから、隙あらばバイトへ向かっていました。

畑仕事の合間を縫って、アルバイト。あわせて月に28日くらいは仕事をしていたとのことなので「休みの日は家から出られないくらい疲れそうですね」と聞いたら「いや、町に出て食べ歩きしたり、片道30kmの道を自転車漕いで日帰りで遊びに行ったりしてた」と、楽しそうに記憶を思い返しながら話してくれました。月28日働いてる人の休日じゃない。

世界が広がっていった

話を聞きながら「このバイタリティはどこからくるんだろ」とずっと考えていた。なんとなく得た仮説は「自分が生きてきた世界と、違うことができるようになる”世界の拡張”が、刺激となり好奇心ひいてはバイタリティに繋がっている」というもの。

当時は、バスが普及され始めたり、アスファルトが舗装されて移動がしやすくなったりして、行動範囲も大きく変わった、と言っていた。
またこの土地でできる仕事の幅もどんどん広がっていき、資格の勉強をすればするほど、新しい仕事につくことができた。その方も、多様な資格を取られていて、いろんな仕事をされてきた。
あくまで憶測だけど、その方が中学生の頃までは「この土地で、畑仕事をして一生を終える」と、この世界を捉えていたのかもしれない。

しかし、戦争が終わり生活水準が向上し技術が進歩し経済が発展していき、取り囲む環境は大きく変わった。畑仕事をしない人生が、この土地に留まらずに生きていける未来が見えてきた。自分が捉えていた世界の、その先があると知り自分の手で掴むことができるなら、そのエネルギーはどこからかもしれず出てくるもの。
団塊世代に仕事人間が多いように見えるのは、こんな時代背景があるからかもしれない。

僕らが生きてる世界と時代

彼らが「畑仕事以外で生きていく」という道を切り開いてくれた時代から50年以上たった現代。
僕らの世代には「好きなことで生きていく」なんてフレーズが蔓延し、「働き方改革」という取り組みが始まっている。
仕事が選べるようになった時代は、50年前から始まっていた。だから今は生き方を選べる時代。仕事も、彼らよりも圧倒的に自由な選択肢があり、仕事以外の時間も充実させるような選択肢を取ることが推奨されている時代だ。

彼らが、自らの好奇心の赴くままに、仕事の選択肢を拡幅させて、土地を離れる可能性を増幅させ、結果的に下の世代の僕らに、より幸福な選択肢を提示してくれたように。
僕ら自身が幸福になりたくて足掻いて描く未来の選択肢は、きっとさらに下の世代に、より幸福な未来を提示できるんじゃないだろうか。

何に足掻いてるのか、何の道を切り開いているのかもよくわかっていないけど、それでも自分の直感が常識の外に出ろと喚くなら、それは自分自身と、これから生きる誰かを幸せにするのかもしれない。

時代が、どうやって進んできたか、という世間的な概要は、誰かがなんとなく教えてくれる。けど、その時代を生きてきた方たちが、何を感じて、どう生きてきたのか、全然知らない。
温故知新よろしく、僕らは先人から学ぶべきことがまだまだたくさんあるような気がしました。

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