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春がきた。
春の陽気は息が詰まる。
キンキンに冷えてる冬の方が、
空気が澄んでて、
息がしやすい。
春は明るい時間が延びてて、隠れにくい。
夜が長い冬の方が、なんだか動きやすい。
夏は、誕生日がある。
今年は28歳になる。
28歳になったらどうとかはないけど、
27CLUBにちなんで言うなら、
27歳で死なずに生き延びた、
ロックンローラーにはなりきれない。
いつからか、毎年、誕生日には、
とりあえず○歳まで生き延びた、
と思うようになった。
これは大好きなバンド、w.o.d.のボーカルサイトウさんが、いつかのTwitterで言っていたことだ。
とりあえずここまで生き延びた、
と思えたら、
生きた、よりも、そこまで生きた自分を肯定できるような気がした。
耳が聞こえにくくなったり、
なんだか発疹ができたり、
お腹の調子が悪くなったり、
何にもしていないのに、涙が出てきたり。
心の調子が体に顕著に出てきてしまって、
焦りもあったし、さらに落ち込んでしまった。
ちょうどそのタイミングでflumpoolのライブに行くために帰省した。
駅に迎えにきてくれた父の運転で帰った。
次の日は母と3人でまた父の運転する車で買い物に出かけた。
その時私は助手席に乗っていたのだが、
なんだか話しながら、
めちゃくちゃ涙が出てきて、
でもさとられんようにしていたけど、
流石に横に座っている父に涙が出てたことは、
バレてたかもしれん。
そのことについてはなにも言及されんかったし、
いつもよりも大人しい私に母も何か感じたのか、
なんかあったの?と聞いてきたけど、
母には何もないと返した。
普段通りにしてたけど、
たぶんなんだか察されていた気はした。
今東京に帰ってきて、
とりあえず帰省する前よりは気持ちが浮かんだ。
環境に恵まれすぎている。
私は死ぬまで感謝しないといけないんだ。
友達といる時は、楽しい自分がよくて、
楽しいために楽しくいたから気がつかなかったけど、
1人になったり、流石に両親の前で、
楽しくいないと!という気持ちはなかったので、
気持ちの糸が切れそうで涙が勝手に出たりした。
不安を相手にぶつけたりしたくないけれど、
そういう自分を受け入れてくれるのか、
長く一緒にいる中で、
そういう不安でどうしようもない自分も自分だと、
伝えないとなと思う人がいて、
それで受け入れてもらえるかわからないけど、
伝えることが私の中の誠意かなとも思った。
自分を隠し続けとるくせに、
人のことは知りたがりは、
卑怯なんではと、思ってしまった。
一緒にいたい人と一緒にいたいけど、
自分を受け入れてもらえなかったらどうしようという不安がものすごく襲ってきてしまった。
でも、もしその時はその時だから、
まずは伝えることに意味があると、
今は思う。
考えていることを言葉にするのは難しい。
自分を肯定してくれる存在に感謝して、
穏やかで優しいところが好きで、
楽しい時間は一緒にたくさん過ごしたいし、
辛い時は、受け止めてあげたい、
寄り添うだけでも、できることはしてあげたい、
と思う。
できれば、長く一緒にいたい、
大事な人とも友達とも。
見送られるよりは見送りたい。
ちゃんと感謝伝えよう。