感動を表現することはできない

旅行先の美しい風景に感動し、写真を撮ったりするのはよくあることだと思う。最近の僕は情報収集に勤しんでいるから、つい言葉や文章を抜き出してGoogleドキュメントに保存している。ふと思い出したときに、確かめられるようにである。忘れた頃にもう一度、感動できたらいいなと思う。

しかし、次にそれを見たとき、同じように感動することはない。今の自分とその時の自分は別人だし、見た景色のまんま写真を撮ることはできない。そして目をつけるところが全く同じ、ということにもならないだろう。視野の広さに対し、焦点はごく僅かなことに気付いているだろうか?

だから絵には工夫が必要なのである。その時と全く同じものを用意しても意味がない。同じところに注目できるよう、何に起因した感動なのか見極める必要がある。もっとノイズを排除して、もっと焦点を強調してあげなければ気付かれないかもしれない。他人に見せるのなら、なおさらのことである。

未来の案内人を作っている。あるいは標識や目印といってもいいかもしれない。感動を一言で表せられないから、その背景や文脈、ストーリーを描いて導かなければならない。間接的な表現で行わなければいけない。そうしたものが絵や小説、音楽として生まれている。豊かで素晴らしいことだと思う。



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