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響心的「寂しさ」の解釈

こんにちは!
自称・社会不適合者のための、生きやすさ創造カウンセラー
響心(にこ)です!

ひとりを好むけど実は寂しがり屋
という、めんどくさい性質持ちの私。

「寂しい」と感じるのって
こういう仕組みなんじゃないか?と思ったものが
自分的にしっくりきたので、図解してみました。

最後に辿り着くのは「自分軸」のお話。
よかったらお付き合いください。

さあ!寂しい人、集まれー!!


私にも、ムショーに寂しいときがあります。
おそらく誰にでもあるんじゃないでしょうか。

そんな状態を可視化すると
こんな感じじゃないかと思います。


袋の中に入るものは人それぞれですが
何にせよ、自分以外のものを
まるで自分の一部として取り込もうとしている
状態。

これ、赤い境界線の範囲が
アメーバーのように際限なく広がっていくので、
どれだけ広げても満たされることがなくて
「もっと、もっと」と渇望してしまう。

何をいくら取り込もうと癒えることがないんですよね。

まるで、ジブリ映画「千と千尋の神隠し」の
カオナシさながら。

もっと持ってこーい!(画像出典こちら


適切に「つながり」を感じられて
過度な寂しさを感じない状態って、
きっとこんな感じなんだと思います。

2つの図の中で、人物を囲っている赤いエリアが
「自分軸」の範囲です。

先の図では
自分の範囲に他のものも取り込もうとしていますが、
これ、心理学的に「執着」とか「癒着」と言われる状態ですね。
自他の境界がないんです。

「境界を引く」意識って、とっても大事です。
自他の境界が引ければ、
自分の問題か他人の問題かを切り分けることができます。

寂しさは、人との関わりの中で起こることが多い気持ちですが
実は、自分の問題なんです。


カオナシは、お団子食べて全部吐き出して
大人しくなってましたが。

おちょぼ口でケーキ食べるカオナシ、かわいいよね〜(画像出典こちら

宮崎駿監督が「千と千尋」のインタビューの中で
「カオナシはみんなの中にいます」とおっしゃっていました。


寂しさって、例外なく誰もが抱えてるものなんですよね。
安心・安全な母のお腹の中から
外の世界に放り出されたあの日から。

母のお腹の代わりを外の世界に求めてしまうのも
ある種本能的なものなのかもしれません。

が、母のお腹の代わりは、自分自身しかなり得ません。
「自分で自分の機嫌を取る」という表現を
最近よく聞くようになりましたが、本当にその通りで、
自分とつながって自分を満たしてあげられるのは
他でもない自分なんです。

抱えている寂しい気持ちも、
まずは自分が寄り添って理解してあげましょうね。
そうすることで、自分の気持ちと思考がつながって
より自分軸が育ってきます。

後の図で手に持っているものは
単なるツールでしかなく、
それをどう使うかは自分次第。

結局は自分軸が大事なのです。


私も、自分の中のカオナシが顔を出しがちなので
今回は自戒をこめて書きました。
最後まで読んでいただきありがとうございました!


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響心(にこ)
受け取り下手な私は「与える」「受け取る」が今年の課題です。 「おまえにチップ与えてやってもいいぜ」という方がいたら、受け取る練習をさせていただけたらうれしいです、、! より良い記事やカウンセリングを提供することで還元できたらと思っています。