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息子の涙が止まった理由|#ねるまえノートDay24

2022.1.4 Day24:与えられているもの| #ねるまえノート
『「ねるまえ」ノート』(横川裕之著)に、夫と息子師匠7歳と一緒に取り組んでいます。49日間のワークをやっての氣付きの記録です。

1日サボると、その罪悪感でさらにやる気が落ちちゃって、記事をためちゃいました。改めて復活です。

この日のハイライトはやはり、息子の涙の発表ですね。最初のところ飛ばしちゃってもいいです(笑)

目の前にある全てが与えられている

前日のワークでは、自分で手に入れてきたものもたくさんあると気づけました。けれど、手に入れることができたということは、それらが目の前に与えられていたから、それを選んで手に入れたり経験したりすることができているんだと思いました。

1人では生きていないし。この命だって、父母、祖父母、もっともっと遡ってたくさんの命を繋いでくれてきたことで、与えられているからです。

そのような中、私が経験していることや私の目の前で起こることは、誰でも同じわけではありません。みんな違います。

つまり、経験や目の前で起こる現象は、他の誰でもない、「私に与えられた経験であり現象」なわけです。

だとしたら、その与えられているものを活かさないと、今あるものを使って行動していかないと、バチが当たると思いました。

あるものすら使いきれていないのに、ない物ねだり、ない物探しをしている場合ではありませんね。あるものを活かし切る方法を考え、行動にし続けることこそ、生まれ持った役割を果たすことと繋がることなのではないでしょうか。


息子師匠、分からないことはやりたくない

息子師匠7歳のお題は「成し遂げたこと」。でも「成し遂げた」ではどんなことなのかよく分かりません。そして、分からないのに、書こうと言われると、途端にやる気メーターが急降下。鳴き声になって、「何書けばいいの?」「分からんもん」とやらないモードに突入します。

終わりまで頑張ったことを書いたらいいよ。

と言うけど、もう分からないモード。思考は自分でシャットダウンしてしまって、「分からない」の一点張り。

歩いて学校に行ったのも成し遂げたことだよ。
この前テストで100点取ったのも頑張ったやん。
ねるまえノートを今日まで書いたのも成し遂げたことになるよ。

と、書きやすそうな例えを出しても、「えー、分からん」と。そのまま書けばいいのにと思うけど、もうそんなことよりも、やりたくないの方が勝ってる状態です。だけど、「じゃあもうやめる?」と言うと、それも嫌。ある意味パニック状態。

まずは、かーちゃんが言ったことをそのまま書いてみな。

としつこく伝えて、渋々書かせました。

みんなに励まされて

クラブハウスの発表も、「もう嫌だ」って言っていました。なんとか5個まで書いていました。

せっかく書いたし、みんなに伝えたら?

と言うと、少し考えていました。でも、分からないし…と涙が。そう言う時もあるしなあと、クラブハウスに参加の皆さんに「今日は言いたくないそうです」と報告。すると、参加してるみんなから

どこが書けないの?
書きたくないの?そんな日もあるね。
何個書いたの?
5個も書いたの?
すごいね〜。
おばちゃんより多いよ〜。いやおねえちゃんだよ。
そんな書いたの?
聞きたいな〜。
5個何を成し遂げたの?

って温かく共感や見守りや励ましの声がいっぱい届きました。今日は言わない感じかなと思っていたら、少しやる気になって、涙声で、発表しました。

・算数テストで100点を取りました
・ねるまえノートを21回もしました
・学校に登校できた
・目が痛くても玉ねぎを切りました
・おもちゃを片付けました
・大掃除で学校がきれいになりました

うん。うん。
すごーい!
えらーい!
おお、いいね〜!

一つ言うごとに、みんながいっぱい褒めて励ましてくれました。すると、だんだん涙が止まって、もっと言いたくなってきて、最初1つしか書けなかったのに、クラブハウスのルームが終わる頃には11個も書いて、増えた分を発表していました。

一緒に取り組む仲間の存在って、本当に大切でありがたいです。
めげそうになっても、折れちゃわないように支え、見守ってくれる。そのことにも気づかせてもらいました。

よっこさんからツッコミをもらったのは、「大掃除で学校がきれいになりました」のところ、「きれいにしました」だね。と。(こうすることで、自分がしたことだということを、自分で認める思考が身に付きます)
ここをケアしていかないと、大人になってからでは、なかなか変えられないとのこと。早速書き換えました。

その時のアーカイブはこちら。息子師匠のやりとりは、51分20秒あたりからです。(パソコンからも聴けます)

彼の気づきや感想

ねるまえノートの記入欄には、この経緯を気付きとしてまとめました。

いっぱいかけました。かくまえは、めんどくさいとおもいました。だから、かんがえていませんでした。かいてみたら、いっこかけました。おかあさんが、「みんなにつたえたら」といったし、みんなが「ききたい」っていってくれたから、ぼくもはっぴょうしたくなりました。
はっぴょうしたらなきたいきもちがなくなって、あまりなみだがでなくなりました。そして、つづきをかけました。かけてよかったです。
つぎかくときは、めんどくさいとおもってもすぐにやります。

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子は親の背中を見て育つ

私の背中を見て育っている彼は、正解を求めがち。割と自由にさせてきたつもりな中でも、「それはダメやろ」「それよりこっちがいいんじゃない」と、やってみたことを認める前に、私の価値観にはめてきたことも多かったなと反省しました。

まずは浮かんできたことをどんどん書くこと。それを認めることを、やってきます。


クラブハウスにて開催の【「ねるまえノート」を一緒にやってみよう】ルーム。21時からスタートです。興味ある方はぜひ聞きにいらしてください。(クラハ内で「ねるまえノート」で検索)


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