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Why Do I Run? 【答えは風に吹かれている】

タンブリングウィードが目の前を横切る。大きさは直径70~80cmだろうか?西部劇の決闘シーンで緊張感を煽るように、突如荒野に姿を表し、転がり去って行く、あの丸い小枝の塊だ。始めて見たときには、思わずマカロニウェスタンのテーマが頭に鳴り響き、クリント・イーストウッドの姿が目の前に浮かんだ。

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(トレイルを不器用に転がるタンブリングウィード。まだ丸くなりきっていない)

俗にセイジブラッシュと呼ばれる、背の低いトゲトゲした植物。枯れた幹の細い部分が強風に煽られ折れる。転がり始めた枯れ木玉は周囲の小枝を絡み取り、雪だるま式に丸みを帯びながら膨らんでゆく。時折どこからともなく飛んでくるこの物体。数十センチから1メートル程度のものが多く、麦わら帽子のように軽い。しかし、強風で勢いづいたものが脚など体の露出した部分に当たると、かなり痛い。前触れなく、空を舞って襲ってきた猫に引っ掻かれたような感じだ。痛みもさることながら、気持ちが萎える。

冬場はガラガラヘビに襲われる心配は無いが、フライングキャットならぬ、フライング・タンブリングウィードには要注意だ。

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(春先から夏にかけてよく見かけるガラガラ蛇。これは未だ子供)

周囲には幾重にも連なる薄茶色の丘。極度の乾燥で草木は枯れている。南カリフォルニアの1月。本来であれば雨季。大地は春に向かって少しづつ緑みを帯びてくる頃だが、ここ十数年、地球規模の温暖化のせいか、降水量が著しく減っている。四季を通して野山を走っているので、自然環境の変化は敏感に感じることができる。

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(バイク走行中に近所で見かけた転がる草。直径は29インチのタイヤより大きい)

夏の終りから晩秋にかけてサンタアナと呼ばれる季節風が吹く。乾燥した大地と北東からの強風は大規模な山林火災をもたらす。その規模は年々拡大しており、2020年にカリフォルニア州で焼失した面積は4百万エーカーにも及ぶ。その規模は、なんと関東1都6県の半分に相当する。この広大なエリアが一年間で焼失した。一昔前までは、山火事のリスクは秋口に限られたものだった。今では一年を通していつ大規模火災が発生してもおかしくない。頻度、規模双方とも年を追うごとに深刻化している。この先どうなるのだろうか・・・

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(見渡す限りカラカラに乾燥した大地が広がる)

そんな事を考えながら、今日もロサンゼルス郊外で乾いた土を巻き上げながら走っている。砂埃に覆われた草木の向こうには、奇妙な形の岩が横たわっている。バスケススロックと呼ばれ、西部劇やSF 映画など、数多くのハリウッド映画の撮影に使われてきた。岩を取り巻くように5km程のアップダウンに富んだ周回ルートがある。このトレイル、南はメキシコ国境から、北は遥かカナダ国境まで延々と続く、全長4,270kmのパシフィック・クレスト・トレイル、通称PCTの一部となっている。全行程を何ヶ月もかけて一気に踏破するスルーハイキングに挑むも者も少なくない。いつの日か挑戦してみたい。

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(SF映画スタートレックの一部もここで撮影された)


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(メキシコ国境からカナダ国境まで続くPCTの道標)

この奇妙な形の岩。その名前は、かつてバスケスというお尋ね者の隠れ場所だったことに由来している。アウトローの名はティブルスィオ・バスケス。1835年に当時メキシコの一部であった、カリフォルニア州のモンテレイにて生まれた。21歳の時に馬窃盗がもとで投獄され5年間牢屋で過ごす。その間、4回の脱走を試みるが失敗。出所後も窃盗、家畜泥棒、路上強盗など様々な犯罪を繰り返し、監獄と娑婆を行き来し30歳を超える頃には、北カリフォルニアでは有名な悪党になっていた。

悪事を働く一方で、メキシコ人に対する差別への反逆の象徴として英雄視されていたという。ギターを奏で華麗に踊るバスケスは女性に人気があったそうだ。賞金が掛けられ、お尋ね者となったバスケスが、逃げ場を求めて辿り着き、身を潜めたのがバスケスロックと言われている。39歳の若さで処刑されたが、今でもカリフォルニアではバスケスの名が残る地名が数多くある。

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冬の太陽は、東の空で昇るタイミングを見計っているかのように、遠慮気味にバスケスの岩々を照らしている。冷んやりとした空気と静寂に満たされたトレイル。走るリズムに合わせて、体中の細胞が生命の躍動を謳歌しているようだ。

時折、なぜ走っているのだろう、と考える時がある。西部劇のアウトロー達は追っ手から逃れるために常に走っていた。

私は元来、根性がないと言うか、物事を継続する事が苦手な性分だ。学生時代の部活では、中学・高校ともにきつい練習に耐えられず途中で退部した。学業も仕事も似たようなものだ。

走り始めたのはひょんな切っ掛けからだ。遡ること10数年前。米国本土最高峰ホイットニー山へ登る誘いを受けた。一緒に行く仲間は皆フルマラソンをサブフォーで走るランナーたち。迷惑を掛けないようにと、トレーニングのために苦手なランニングを始めた。


決行日の直前にパーティーのリーダーの家族に不幸があり、登山は中止となった。折角トレーニングに励んだのに・・・と、やり場のない気持ちを鎮めるために、勢いで申し込んだのが、近所で開催されるハーフマラソン。レース当日は10kmを超えたあたりから膝が痛みはじめ、最後は足を引き摺りながらゴールした。完走の喜びか、膝の痛みのせいか、ゴール後は年甲斐もなく泣いた。ハーフマラソンではあるが、今まで辛いことを避けてきた私にとっては一大事であり、達成感は極めて大きかった。

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ハーフの次は当然フル。ということで、数カ月後に控えていたロサンゼルス・マラソンに申し込んだ。冬の寒さを堪え(と言ってもロサンゼルスの冬なので、たかが知れているのですが)つらいトレーニングを重ね、土砂降り雨の中で初マラソンを無事完走した。その達成感もさることながら、何事も途中で投げ出す半端モノだった自分が、マラソンランナーというアイデンティティーを得たことが、たまらなく嬉しかった。


その後、殆ど泳げないにも関わらず、無謀にもトライアスロンを始めた。新たなチャレンジを成し遂げるたびに、自らのアイデンティティーは、マラソンランナーから、トライアスリート、アイアンマン、トレイルランナーと変わっていった。そして、進化してゆくアイデンティティーは、大きな自信となると共に、誇りへと変わっていった。


新型コロナのパンデミックが始まる数ヶ月前、念願の100マイル(160km)を走り切った。現在のアイデンティティーは、100マイル完走者を意味するハンドレッド・マイラーだ。レース前までは究極のチャレンジと考えていた100マイル。レース後、数日が過ぎ、足腰の痛みから開放された頃には、アドベンチャーランナーという、次なるアイデンティティーに思いを馳せる自分がいた。

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(バスケスロック周辺のトレイル。まさに西部劇の世界)

数百キロと言う想像も及ばないような距離を走るアドベンチャーランナー達。彼らの中には、薬物やアルコール依存症に苦しんでいた者も少なくない。依存症に陥る人には、物事をとことん突き詰める性質がある。薬物やアルコール依存から逃れるために走り始め、皮肉にも走ることにのめり込んでしまい、次から次へと過酷なレースに挑戦するランナーも珍しくない。薬物と比較すると極めて健康的ではあるが、度が過ぎればランニング依存症と呼ばざるを得ない。家族を顧みず、国内外のレースに明け暮れていたために、大事なものを失う羽目になった、という話も時折聞く。

What are you running from? 「何から逃れるために走るのか?」という問いをよく耳にする。また、それとは逆に、What are you running for ? 「何に向かって走っているのか?」という問い掛けもある。

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(風は止むことなく吹き続ける)

健康のため、ダイエットのため、あるいは依存症を始め、辛い過去やストレスから逃れるため。走り始める理由は、ひと様々だ。然し、そこには走ることによって得られる強い肉体、癒やされる心の痛み、そして克服できる過去がある。


何かから逃れるために走り、そして新しいなにかに向かっている。私自身「なぜ走る?」という問いに対する答えは見つかっていない。理想とする自分に少しでも近づくために走り続けていることは間違いない。しかし、その「理想」の輪郭は未だボヤケている。

「走ることは楽しいか?」と問われれば、楽しい瞬間はあるが、大半は辛いというのが答えだろう。また、「走ることが好きか?」と問われれば、ランナーである自分は気に入っている、と答えるかもしれない。


走っている時に、五感が研ぎ澄まされ、周囲がいつになく美しく見える瞬間がある。疲労を感じることもない。所謂、ランナーズハイ。「イン・ザ・ゾーン」 あるいは「フロー」とも呼ばれる状態だ。

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丘の上にコヨーテが4匹。ランナーに警告を発するように甲高い声で吠えている。時折襲ってくるタンブリングウィードを躱し、自然の営みを肌で感じながら走るトレイル。今日は「ゾーン」に入れるだろうか。


「なぜ走る?」今一度、問う。

「答えは風に吹かれている」。その答えを風の中に探すべく、今日も走る。明日も走る。明後日は寒いからサボってしまうかもしれないけど、その次の日は、また頑張って走る。 

Life is good with blowing wind !

By Nick D


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