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『紫陽花と欲』

もし、全てをわかってくれる人がいたら。


じめじめとした灰色の風が私の身体をなぞるように吹き抜けていく。
その風の色に導かれるように視線を移すと、そこには赤紫に彩られた紫陽花が咲いていた。
「あじさい...」
吸い込まれるように、ゆっくりとそれに近づくと、刹那、実体を帯びたような感覚を足元に受け、そちらに意識を持っていかれた。
「濡れっちゃったな......あ。」
一粒の水滴が紫陽花から水たまりに落ちた。その様子にひどく興趣を覚えた私は、しゃがんで観察することにした。


また一雫。
漆黒のコンクリートのくぼみにできた水たまりに水滴が落ちる音。そして同心円状に波紋を広げ、やがて消えてなくなり、漆黒に紫陽花が映るだけとなる。


今度は二雫。
最初、同心円状に広がる波紋はやがて、お互いに干渉し、歪んだ形を見せた。だが、皮肉にもその後に浮かぶ紫陽花はいっそう綺麗に見え、私は欲がでた。


紫陽花をゆすり、たくさんの水滴を落とす。
「あ...。」
美しい同心円状の波紋は見る影もなくなり、凄惨の思いに襲われた。その思いを掻き消すように、私は空を見上げた。
「雨...。どうして...。」
しかし、無念にも、その侵略者の勢いは段々増すばかりで、私が水たまりの中の紫陽花を見ることはもう叶わなかった。
私は独りで煩悶して、その場を離れられないでいると、水たまりの中に透明な傘が見えたことに気がついた。


「探しましたよ。」
「何か美しいもの、ありました?」


私は彼に事の一部始終を伝えた。
「私が悪いのです。知りたいと思ってしまった、私が。」

「それは、イデアかもしれないですね。常に、その恐怖と戦っているのでしょう?僕もあなたも同じです。」


同じと言われ、私は考えた。本当に彼と見えている景色は同じなのだろうか、それともやはり私より先の何かが彼には見えているのだろうか。そんな私の思考を見透かしたかのように彼は続けた。
「...でも、僕はもうその恐怖さえ、感じ取れなくなってしまったのかもしれません。」
また、同じ誤ちを。私は何度繰り返せば気が済むのだろうか。たった数分前に同じことをしてしまったばかりではないか。

「風邪、ひくと困りますので。帰りましょう。」


彼の思考が私の思考を完全に包含する。それで、それだけでいいのだ。きっと。




※フィクションです


では、次の機会に。

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