夢の国
はろう。クラン辺利田です。
お元気でしたでしょうか。
先日、やらなくちゃならんことを全て放り投げて夢の国に行ってきました。海の方です。
アトラクション・フードを適度に楽しみ、日々の運動不足がたたって夜にはクタクタになっていました。
まぁ、疲れたし、アトラクションも充分楽しんだからショーでも見ようかと思い、早々に場所を確保して休憩していました。
ここで突然の申告なのですが、アテクシは夢の国の映画をほとんど見た事がありません。
原作の方を児童書籍で読んだから、大まかなストーリーは知っている、というくらいのあさーい知識です。親が夢の国よりもジ○リ派閥でしたので、あえて避けるというよりはそれを知らないので選択肢として挙げない、と言った方が正しいのかもしれません。
そんなこんなあって、遊園地としての期待はしていても、特にショーなどのキャラクターの存在ありきなものをあえてみようとはしていませんでした。
本当に気まぐれだったのです。疲れたから、美味しそうなフードが買えたから、景色の美しいここを一望できるところがまだ空いていたから。アテクシはショーを初めてしっかり見ることになりました。
結論から申し上げましょう。
夢の国とは、実に正しい呼称でありました。
夢、夢とはなんでしょう。多分願いのことです。なりたいもの、したいこと、ほしいもの。
いつもどこからか湧いてきては、我々が捨てているものです。
夢の国のショーに本当にいいの?と言われている気になりました。
やりたいことなんかない、と思って、実際やりたいことなんかないと思っていたんです。今でも思いつきやしません。これから先の人生を、どうにかして生きなくてはという思いだけで生きています。
でも、多分、小さい時はあったんです。
小川で綺麗な石を拾いたい。空を飛びたい。家族と楽しいことがしたい。
いわゆる頭の仲がお花畑だった時。アテクシの世界は綺麗だった。毎日、このまま目が覚めなきゃいいのにと無理やり目を閉じる必要なんかなくて、朝に無理やり体を起こしてなんかいなかった。
明日が楽しみで夜に眠るのはおしくて、朝は出来るだけ早く起きたかった。足元はスキップで、目の前には花しかなかった。
これって本当に忘れていいものだったのでしょうか。当たり前にあるはずだった幸せが今や苦痛になりました。
今が不幸せであるということでは無いのです。ただ、夢がアテクシの中を満たしていた時、アテクシは間違いなく幸せだったのです。
夢の国はそれ、捨てちゃってのいいの?と問いかけてきました。
置いてきちゃいけないものだと頭は理解していたから、捨てるのは辛かったと思っていたから、理由はいくらでもあげられますが、なんだかこう、大事な部分をぎゅっとされたような気がしてアテクシは号泣しました。隣の人がこちらを見てギョッとしてしまうくらいには滔々と涙を流してしまいました。
追いかけたかったあの夢を、もう湧いてこない夢を追いかければよかったかも、また湧いてきてくれたらいいのに、と思ったのは初めてでした。
もちろん夢を追いかけることは幸せなことだけでは無いのです。夢の国は夢を追いかけた先に幸せしか待っていなかった世界を集めたものであって、夢を追いかけることを肯定できる人々しかいないことなどはとっくに知っているのです。
でも、諦めを覚えなければよかった。諦めを覚えた結果、何かを思い浮かべた時に不可能だと否定から入る人間になってしまったから。つまらない人間になってしまったから。
夢を思い出す国、確かにそれは夢の国でした。
本来楽しいはずのリゾート地にて、こんなことをぢっとかんがえてしまったからか、しばらく気分が沈みました。でも、今は何とか持ち直しました。元気です。
そんな感じの近況報告でした。
また近々、住む場所についての記事を書こうと思います。よろしくな!