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【リレーエッセイ】#08「人生のために生きよう(遠藤周作)」 渡部麻実(近現代文学)

女性が自分の生を生きるために

 小学生のとき、男女雇用機会均等法が制定されました。社会に出るころには日本は大きく変わり、性を意識することなく、ただ人として、生活も人生も自分自身でプロデュースするのが当たり前になっている予定でした。ところが予定はいつまでも予定のまま。大学入学前にバブルも崩壊し、私たちの世代は、就職超氷河期と名づけられました。
 何にでもなれそうな気がしていたそれまでが風に散り、夢をみることと現実を知ること、可能性を信じることと身の程をわきまえることとのあわいに、自分の未来を想定し直すことになったとき、私はあらためて、女性であることができるだけ自分の手足を束縛しない仕事に就きたいと強く意識しました。
 私が、いま、ここにいるのは、運と偶然によるものですが、別の道に進んでいたとしても、家族を増やしていてもいなくても、きっと別のどこかで、いまのように働いていただろうと思います。

本に浴する

 私は、いつか登ってみたい屋根を、近所にいくつか持っているような子どもでした。比喩ではありません。得意な科目は算数。好きな科目は理科。国語とはおよそ縁のない小学生でした。
 ところが、我が家にはルールがありました。図書券・図書カードで購入できるものは自由に買ってよいというルールです。当然、本屋さんにはよく行きました。そういう私が大好きになったのは、本そのものというより本が山のようにある空間とその空気感です。書物が仕事と切り離せなくなったいまも、机上に大量の本を並べ、その前に腰をおろすと、温泉好きの友人がお湯につかった瞬間について語る感想とそっくりな気持ちになります。
 最近私は、研究の軸の一つを遠藤周作や堀辰雄の旧蔵書・手沢本の調査に置いています。つくづく、本に満たされた空間が好きなのだと思います。

肌に合うか合わないか

 親戚が集まると理系だらけ。文学をする人間は珍種。マジョリティは医師。そのようななかで「文学部って何するの?」と尋ねられると、「それって何かの役に立つの?」と聞かれたように感じられます。もっとも、役立つかどうかを価値判断の基準にするのは洗練されていないと、個人的には思いますが……。
 おまけに私は中高の6年間、理科系の部活に所属していましたので、高校の担任の先生からは、本当に日文が第一志望でよいのかとご心配をいただきました。第一志望文学部、第二志望理学部で間違いないと答えると、ちなみに法学部に興味はないかと尋ねられました。高校進学時の面接で将来は弁護士になりますと豪語したのが、なにかの記録に残っていたのでしょう。
 それにしても「第一志望:日文」は、おしつけがましさのカケラもない物静かな担任が、つっこみを入れたくなるような進路なのでしょうか。私自身には、日文への進学に不安や躊躇いはありませんでした。高いリテラシーは、居心地のよい椅子を見つけて座るため、世知辛い世の中をできるだけ快適に生きるための強力な助けになるからです。加えて人生にとってより重要なのは、4年間をどう過ごせたのか、自分の学びをどれだけ充実・満喫できたかであり、4年間、何を学ばされたかではないでしょう。
 「まかりまちがっても、他人の意見や社会の動きに応じて自分の肌にあわぬ科は選ばぬことが大切なのです(遠藤周作)」。先のことを考えすぎて足取りを重くするより、やる気の引き出しをめいっぱい開けられるもの、自分に向いていそうなことを選ぶのがよいと思います。

天候を表現する

 「死があたかも一つの季節を開いたかのやうだった」。堀辰雄『聖家族』の冒頭の一節です。なぜ、芥川龍之介がモデルとされる登場人物の葬儀の雑踏と混乱から幕開くこの小説を卒論のテーマに選び、大学院に進学しようと思ったのか。日文という選択に躊躇や不安がないことと、それを第一志望として積極的に選ぶこと、さらに日本近現代文学を専門にしようと思うことのあいだには、距離があります。その距離を詰めたのが何だったのか。どうもすっきり答えられそうもありません。
 小学生のころ、車椅子の弁護士が活躍するドラマを放送していました。その正義の味方っぷりがかっこよくて、将来は弁護士になろうと白い表紙の『ポケット六法』を読みふけっていました。もう一つ興味があったのはクローンです。当時は、クローン、バイオテクノロジー、核移植などの単語があふれていました。
 振り返るといくつかの夢があって、過去がほんの少しずれていたら、きっと異なる未来にいたのだろうと思います。選択しなかった夢のほうは芽生えたきっかけを覚えているのに、選んだ夢のほうは、明確なきっかけが思い出せません。それでも国語に親しみ始めたきっかけはよく覚えています。
中学の国語の授業の冒頭、全員で窓の外を見ます。そして5分程度の時間をもらい、〈天候〉について書きます。同じ時、同じ景色を見て表現しているにもかかわらず、46通りの天気ができあがります。現象はひとつなのに、それについての表現と、それが再構成するものはほとんど無限にあるらしい。現象そのものより表現の方が面白いと思いました。

遠藤周作…

  遠藤周作は、私がこれまでもっとも精力的に論じてきた堀辰雄の晩年の弟子です。私は遠藤の延長上に堀と出会いました。ところで出身中学には〈年間研究〉という課題がありました。大学で書く卒論のミニチュアのようなもので、テーマもアプローチも自由に選ぶことができました。そこで〈遠藤周作における純文学とエンターテインメント小説の関係性〉にテーマを定め、当時、東急プラザ渋谷の5階にあった紀伊國屋書店で、目につく限りの〈遠藤周作〉本を集めました。そのなかに、佐藤泰正や笠井秋生の遠藤周作論があり、これが文学の研究に触れた最初の体験です。〈小説作法〉という言葉や、フランスのノーベル賞作家、フランソワ・モーリアックの小説とその「小説論」も、遠藤周作の随筆によって知りました。モーリアック以外にも、ジュリアン・グリーン、ポール・クローデル、アンドレ・ジィドなどのフランス文学を、遠藤周作をとおして学びました。
弁護士やクローンとともに、私が興味を持ったのは近現代の小説とそれを批評することで、必ずしも日本文学ではありません。『ポケット六法』も、フラスコをパラフィルムで密閉することも、遠藤周作もモーリアックも、それぞれに興味がありました。そんななか、日本文学を選んだのはなぜか。強いて言えば、ここが日本だからです。日本文学なら、学びの最先端も研究の第一線も、日本に違いないと思いました。

好きこそものの……継続は力

 なぜ文学を専門にしたのか。結局のところ、すっきりした答えはなさそうです。ただ、えいやっと選んだあとは前を向いて進む、進めば景色が開かれるということは、断言してよさそうな気がします。
 小説の研究には、音楽、美術、科学、雑学、外国語……あらゆる趣味や知識が活かせます。文芸作品にはあらゆるものが登場するからです。これまでの学び、歩み、あるいはさまざまな経験に伴って存在した喜怒哀楽の感情など……。あらゆるものに、活かせる可能性があるということ、何かを無駄だと切り捨てずに過ごせることは、とても好ましいと思います。遠藤周作に『役立たず』という短編がありますが、役立たずという素材を一個の小説に変えられるのも文芸です。
 結果論になりますが、日文を第一志望にした過去の私に対して、正解だったと、これは断言したいと思います。理由は単純で、小説について調べたり考えたりするのは楽しいからです。加えて言えば、病と死に脅かされながら、自分の生も人の生も損なわないこと、いかに死ぬかではなくなるべく快適に生ることを目指す堀辰雄や遠藤周作が、私は好きです。そして、楽しい・楽しめるとか、好きということが、案外とても重要なのではないかと思っています。


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