長唄 高尾懺悔
高尾太夫といえば、松の位の代名詞とも言える花魁ですが、、どのようなお話でしょうか…!
あらすじ
浅間物の傍流を成す舞踊劇の系統。曽我の世界に八百屋お七と高尾とを絡ませて傾城高尾の亡霊が現世に姿を現し、去し日の追憶、今の地獄の責めの苦痛を物語る趣向で凄味の中に派手さもある曲です。
傾城 高尾
「傾城」は「けいせい」と読みます。
漢書に「一顧傾人城 再顧傾人国」と美人を表現したことに基づいたもので
「君主の寵愛を受けて国(城)を滅ぼす(傾ける)ほどの美女」を指しています。
それが後に遊女の最高の位を表す「傾城」になりました。
すごい表現ですよね😳城を傾かせるほどの美女…私も会ってみたいです!
そして【高尾太夫】といえば吉原の筆頭ともいえる最も有名な遊女の源氏名として、吉野太夫・夕霧太夫とともに三名妓と呼ばれています。
時の最高の遊女に与えられる大名跡なんですね。
ちなみに、京都の紅葉の名所「高雄」にちなんで、歴代の高尾太夫は紅葉🍁をトレードマークにしていたそうです。
そのような大名跡の名をもつ(おそらく栄華を極めたであろう)高尾がなぜ亡霊となって現れたのか…
遊女という生き方
前述で高尾は名跡で代々受け継がれた名前です。
本曲「高尾懺悔(たかおさんげ)」は
伊達騒動で失脚したことで知られる仙台藩主・伊達綱宗に身請けされた、通称「仙台高尾」と考えられているそうです。他に想う人がいたために藩主になびかず、その後斬殺されたとされている人物です😱
その「高尾太夫」が亡霊となり過ぎし日の遊女つとめの様々な悲しさ、苦しさを訴えます。死して尚、地獄の責苦に合う責めの振りに、廓の華やかな舞台の裏側に壮絶な物語があるのだと訴えかけられている気がするのです。
実際のところ、華やかな表とは裏腹に、遊女の殆どは何かしらの理由で売られてきた者たちで、吉原は女の牢獄でした。そういった側面を描いた舞踊は無いに等しく、この「高尾太夫」は【苦界と呼ばれる廓から逃れたいと切望する遊女】のいわば象徴的に描いた物語ともとれます。
最高位の太夫を通して、遊女の苦しみを歌う、この演目はそういう意味で惹きつけられる曲だといえます。
曽我の世界との関連
あらすじでは曽我の世界と八百屋のお七と絡ませて、とありますが何のことやら💦ですよね。
これは、元々本曲が「七種若曾我」という曾我狂言の中の三番目に高尾の亡霊を登場させた「高尾さんげの段」という物語があったから、なんです。
その物語の中から高尾の亡霊の部分が独立して現在の「高尾懺悔」の形になったのです💡
立方(たちかた)
藤間美琴(ふじま みこと)