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「タイミングが良かった」くらいで結婚しないよ【婚活記録 #5】
こんにちは。
忘年会シーズンですね🍻つい先日も会社の同僚と呑みに。
そこで猛烈にモヤっとしたことがあり、でもその場では上手く返せなかったのですが、今朝起きたら言語化できたのでここに書き留めようの回です。
(ちなみに、本人に面と向かって言えない反論や顔出しで言えない愚痴を note で書く所業はマジでダサすぎてやらないと決めているので、週明けにはここに書いたことを、言った本人にはっきりお伝えすると思います。もちろん冗談めかして楽しく柔らかく、と言い方には気をつけるけど、ここに愚痴るだけなんてありえない。良くも悪くもそういう人間です👼)
さて、本題。
彼とは順調に時間を重ねて関係を深められているし、今後の話も具体的にしているので、大どんでん返しでも起きない限りこのまま入籍して、2 人の生活が始まるのだろうなと思っています。
これはほぼ確信に近いのだけど、だからといってそれを外に言うかは別。礼儀やマナー、品位云々の視点もあるけど、そもそも私は、奇妙がられるくらい極度の秘密主義なので、プライベートの話を会社でしない。訊かれても、回答を避けたと思われない程度に、でもめっちゃぼかしてミニマムで回答し、それとなく他の人に差し向けるタイプ。
なので、ましてやとてもデリケートで大きなことである結婚は、そういう予定であることはもとより、そういう相手がいることすらも言わない予定だったのですが、嘘はつけない人間なので、面と向かって「えっもしかして結婚するんです?」と言われたら、もう逃げられなかった(笑)
ということで、どストレートな後輩に負け、その場にいた数名が知ることに。
言いふらす面々ではないので、それ自体は由々しきことではないんですが、それを知った同期が先日の呑みの場で繰り返し私にかけた言葉が、ずっと引かかっていました。
それは、"タイミングがよかったんだねー!"
…わかる、わかります。この発言のどこが問題やねん、と思う人が多数派であることは理解しています。実際、「タイミングが良かっただけだよ」と言いながら幸せそうに結婚をふりかえる既婚者だってたくさんいる。
でもあれってポジショントークであり、結婚願望のある未婚への気遣いであり、ただの謙遜だと私は思う。
だって、冷静に考えて、
「タイミングが良い」くらいでは結婚しないしできないでしょう?
結婚に必要なことってなんでしょう。
私は未婚だし、結婚経験のある人だって己1人分の結婚しか経験できないので誰かが正解を語ることはできないけど、今のところ「決断力」と「覚悟」と「愛する力」(愛ではない)だと思っています。
「結婚は判断力の欠如による。
離婚は忍耐力の欠如による。
再婚は記憶力の欠如による。」
という有名すぎる言葉はあるけど、さすがにニヒリズム臭が過ぎると思うのは私だけでしょうか。"まともな"男女なら、むしろ決断の果てに結婚がある。離婚だって、(私は絶対にしないように日々パートナーと関係構築するつもりだけど)その多くは、夫婦でいる今より幸せになるための選択としてするのだろうから、忍耐力がないね★とか言われてもお門違いもいいとこだ。
"タイミングが良い"呼ばわりされるのは、例えば「彼に転勤の辞令が出たから」とか、「妊娠適齢期が差し迫っていたから」「家の更新のタイミングだったから」といったところだろうか。
でもこれ、タイミングはトリガーでしかなくて、どのケースにおいても、その外部要因に背中を押された形とはいえ「決断した」のだ。別にタイミングが結婚させてくれたわけじゃあない。
私は、6 月に彼と出会い、9 月に付き合い始め、年明けには親挨拶を経て同棲を始める。入籍日を話し合うところまで来ている。2 人が同じ相談所に入ったのも、申し込み申し込まれ、お互いがこの人だと確信してここまで来たことにも「タイミング」の存在は確かにある。運と言い換えても縁と言い換えてもいいが、そういうものあっての今だ。神に感謝の域。
実際、同期の彼女はこのとんとん拍子を聞くやいなや「決まるときは決まるよね~タイミングが良かったんだね!」を連発した。
だけど、もう一度言うが、タイミングが合うだけで結婚できたら、「したいのにできない」という人はこんなに溢れかえらない。もしそうなら、相談所の婚活だって、もっと成婚率上がるだろうよ。タイミングはひとつのきっかけでしかなくて、結局は「決められる」人が先に進むのだ。
※結婚したい人にとっては、「決められること」が結婚を意味するというだけで、例えば別れる決断だって立派な「決断」のひとつだ。別に結婚していない人が決断力がないとは一言も言ってないので、お間違いなきよう
20 代のうちに相談所で幸せになれる人が秀でているのは○○力
話を戻し、相談所婚活は、お互いに結婚の意思があり、活動できるという意味でタイミングはむしろ平場の恋愛より保証されているが、「決断力」による結果(成婚までの期間、そもそも成婚できるか)の差分は平場のそれより大きいのではと思う。
この人に申し込むか
この人の申し込みを受けるか
お見合いでどこまで踏み込もうか
仮交際に進もうか
仮交際を終了しようか、もう少し続けてみるか
この人と真剣交際に進もうか
この人とこの状態で退会に踏み込んでいいのか
エトセトラ、とにかく大小さまざまな決断を迫られ続ける。
ある結婚相談所の YouTube で、「20 代で相談所に入ってすんなり成婚退会して幸せになれる人は、決断力が違う」と言っていた。
私はまだ成婚退会していないけど、そう思う。結局、決められる人から幸せになっていく。決めた人に「本当にそれでいいの?○○かもよ?」と意味わからん煽りをしたり、「昔から断るのが申し訳なくて選べないの…」だのとほざいたり、幸せの青い鳥症候群で自分に酔ったり、どれも自由だが、幸せには一向に近づかない態度だ。
自己決定が幸福感に強い影響を与えることは、いろんな研究結果でも証明されている。
幸福感に与える影響力を比較したところ、健康、人間関係に次ぐ要因として、所得、学歴よりも「自己決定」が強い影響を与える
選ばないと、選ばれないです
そして、相談所婚活だと尚更かもしれないが、「決める」ことは、相手にとって「あなたを選んだ」ということを直截的に意味するし、相手にも伝わる。
仮交際の申込が来たら、相手はあなたと向き合うことを選んだということ。
真剣交際に至っては、他の可能性を捨ててなお、あなたと次に進むことを選んだということを、それぞれ相手に伝えることができる。
ライバルいっぱい、(あるかどうかもわからないが)可能性が妙に大きく感じられてしまうアプリや相談所恋愛こそ、選ぶ力が明暗を分けるし、そうやって決断できる人に魅力を感じるのは男女を問わないと思う。
選ばないと選ばれないし、
正しい自己理解と自己研鑽のうえに下した決断は、身を結んで、ちゃんと幸せになれる。
他人の幸せを、外部要因のおかげみたいに言うの、本当に失礼だからやめような、と思うが、そこを発端に一記事書けたのでまあいっか。
あと、もし結婚したいならなおさら、既婚者の「タイミングが良かった」「運が良かった」「なんとなく」「○○ならいつでも結婚できるよ~」を真に受けてはいけないと思う。ただの気遣いか、無責任な励ましだから。
外部要因を味方にこそすれ、それでもやっぱり最後に決めるのは自分。自分のアタマで考えて、決めて、望む幸せを手に入れたいと思う。
人生難しいネ
ではまた