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とある夫婦の妊活のはなし

「これ、金玉ちゃうで!!」
初めて同性に睾丸を触られた日、僕は衝撃の事実を知らされた。

1.初めての妊娠

26歳で高校の同級生の花子(仮名)と結婚した。
花子との馴れ初めは下記のnoteに。

二人とも地元の大阪を離れ東京で働いていたこともあり、すぐに子供がほしいとは思っていなかった。そのまま1年が過ぎ、大阪に戻って義父の会社に入社することが決まった。東京生活もあと3ヶ月、そろそろ子供も…思った時に花子が妊娠した。思った以上にあっさりと。

そして妊娠が分かってすぐ花子は流血し、切迫流産を告げられた。
私は転職前の無職だったので病院にも常に一緒についていった。流産という言葉の重みに動転したが切迫流産は流産とは違う。安静にしていれば安定するかも、とのことだった。この時は正直自分が父親になるイメージはなかった。
安静にし、翌週に病院に行くと「お腹の赤ちゃんは亡くなっていますね。流産です」と告げられた。
ややこしいのだが、実はこの時の診断は誤診だった。最初に病院側が最終月経の月を1ヶ月誤って入力し、実際は妊娠5週目なのに「9週にしては成長してない」という診断をされた。病院に対する信頼を失った。

結局、胎児は育たなかった。

流産の処置がされる日、花子と、大阪からきてくれた花子の母とともに病院に行った。大きな悲しみを見せる2人を横に、あまり大きな感情が湧かない自分は人の心がないのかなと思った。
ただ、処置が終わり、まだ麻酔の混乱が残る花子が「ごめんね…ごめんね…じゅんちゃん…ごめんなさい…」と泣きながらストレッチャーで運ばれているのを見た時、花子がどれほどの想いでこの数週間を過ごしてきたかを知り、涙がこぼれた。
妊娠初期の流産は胎児の染色体異常が原因だと書いてあるものを読み聞かせても、花子は自分を責めた。最初に流産と言われてから誤診と発覚するまで3日間あったが、その間つわりが終わらないことに疑問を持たず、悲しみを忘れるために夜中まで仕事し、お酒を飲んでしまった。お腹の子供からのメッセージだったのに気づけなかった、自分が死なせてしまったと責め続けた。

2.アッシャーマン症候群と妊活開始

大阪に戻った後、いつになっても花子に生理が来ない。総合病院に行くと「ここでは診断できない」と大学病院への紹介状を渡された。大学病院では「アッシャーマン症候群」と診断された。

アッシャーマン症候群(あっしゃーまんしょうこうぐん)とは、子宮内膜がなんらかの炎症を起こし、子宮内組織同士がひっついてしまっている状態のことを言います。子宮内腔癒着とも言います。

産婦人科・内科 加藤クリニックHPより

流産の処置が原因と考えられる、と聞いてあの病院がますます嫌いになった。不妊や流産、無月経の原因になるとのことで、処置が行われた。

アッシャーマン症候群の処置は大学病院でも症例がなく、成功するかは炎症の状態次第と言われた。

無事アッシャーマン症候群の処置は済み、数ヶ月の安静後に妊活を始めた。
私は自然に妊娠すると思っていた。前回はあっさり妊娠出来たから。なにも重たく考えてなかった。だが、私は知らなかったが花子はもう子供はできないかも知れないと自分を責めていた。
結局、半年経っても妊娠はせず、花子から不妊治療クリニックに行こうと言われた。これまでの経緯もありもちろん賛成した。「行ってきたら良いよ」

「いや、あなたも検査受けてよ」

一度目の妊娠がスムーズだったので自分の精子は問題ないとの考えから出た言葉だったが、不妊治療を他人事のように捉えてたと思う。自分の精子は問題ないことを明確にしておこう、という気持ちで検査を受けに行った。

不妊治療クリニックのとあるスペース

クリニックに行くと半透明のカップを渡され、指示された1畳ほどの部屋に入る。古いDVDとテレビがあるだけの部屋で半透明のカップを片手に…
詳細は割愛するがなかなか体験出来ることではない。ただ、精子にとっては良い環境ではないのでは?と思う。

精子の数値は思ったより良くなかった。精子の数は少ないが、精液量が多いのでカバー出来ている、というものだった。精子の数が少ないというのは意外だった。性欲とは関係ないのか。

そして診察室に入りおもむろに医師による触診を受けるのだが冒頭のシーンに戻る。

「これ、金玉ちゃうで!!腫瘍や!」

自分が28年間ずっと金玉だと信じていた2つのうち1つは金玉ではなかった。医師に促され自分の睾丸を触ると、たしかに一つはとても硬く、そして大きい。え、そういうもんじゃないの?
「いつからこうなってた?」と聞かれても分からへん、だって、他の人の睾丸触ったこと無いし…。
花子にも聞いてみた。「あ…大きいかな?とは思ってた」

3.グッバイゴールデンボール

精巣腫瘍が悪性か良性か、は取ってみないと分からなかったため、急ぎ手術することになった。
不妊治療のクリニックから総合病院に送られ入院した。半身麻酔での手術だったため、意識がありながら金玉、もとい腫瘍が切除された。麻酔科医は美人な女性だった。なぜこういうときに限って…?
手術後、花子から切除した金玉の写真を見たがただの赤いグロテスクな塊だった。グッバイゴールデンボール。
1週間の予定だったが麻酔の影響で髄液が漏れて3週間休んだ。その間、花子からは結婚する友人に向けたプレゼントのLINEスタンプを描けと指示された。座るのもしんどいのに…

寝込みながら作ったLINEスタンプ

4.ホルモン治療と鍼治療

その間も子作りは続いたがなかなか出来なかった。花子は卵胞が育ちにくい状況にあり、女性ホルモンを増やす薬を飲んでいた。この頃から花子のメンタルは狂い始めた。人と会うのが好きな花子が人に会うことを拒否し始めた。

子供がいる集まりは参加しなくなった。大阪に戻ってきたのに子どもがいる旧友には会わない。花子の姉が出産のため里帰りしても会いに行かなかった。家族のLINEも見なくなった。

「もう辛い…前を歩く親子を見ると蹴飛ばしたくなる。そんな自分が一番嫌い」

ここまで追い込まれている花子を見て「もう妊活やめよう。子供がいなくても幸せになれるよ。親がなにか言ってきても俺が言い返すから」と声をかけた。後継ぎを期待する花子の親と喧嘩しても絶縁しても良い。花子には笑っていてほしい。

「でもじゅんちゃんは『こどもは3人ほしい。親父みたいになりたいと言われる男になりたい』って結婚式でも言ったよね」

追い込んでたのは親ではなく自分だった。過去の自分の言葉に花子は縛られていた。もちろんそういう夢はある。三人兄弟の末っ子だった自分は当たり前にそんな家族を夢見てた。そんな当たり前が、花子を孤独に、奈落に落としていた。

妊活は継続した。でも出来なかった。大きくて最先端の治療が受けれそうなクリニックに通った。デジタル化が進み診察はスムーズだったが、それも花子には辛かった。毎回変わる医師、1時間待って1分の診察。やさしくも冷たい対応にメンタルはボロボロだった。
花子から「妊活専門の鍼灸院に行きたい」と言われた。なんだそれ、と思った。妊活に鍼灸関係あるのか?、と疑問だったがそれで少しでも気分が変わるなら、と思い了承した。

鍼灸院から帰ってきた花子の顔は明るかった。鍼灸院の夫婦がしっかり話を聞いてくれたことで、今まで心に詰まっていたものが少し出たようだった。鍼灸院、私が果たせなかった、花子の精神を開放する役割を担ってくれた。久しぶりに花子の明るい顔を見た気がする。

この頃から妊活してることを外にも言うようになった。花子が仕事を休むこともあり「妊活しています」と伝える機会が増えた。私も同僚との雑談の中で妊活してると言うと「私もしてたよ」「二人目の時にした」という話が返ってきた。経験している人が思ったより多いことがわかった。それを花子に伝えると、少し表情が和らいだ気がして嬉しかった。

時期はズレるが「隣の家族は青く見える」というドラマがあった。妊活がテーマの一つになったお話で、これをたまたま観てたことも夫婦間、外のコミュニケーションにはとても役立った。何より、ドラマになるほど悩んでいる人がいる、自分たちだけじゃないと思えたことでストレスがかなり軽減された。自分の妊活の理解も深まった。メディアの力は強い。

隣の家族は青く見える(2018年1月 フジテレビ)

5.崩れる

鍼灸院に半年通った。薬、検査、薬、検査というやり方を少し休み、心身を整えながら進めると、花子のメンタルは回復、体質もバージョンアップした。
毎月の落ち込みを軽減するために、「生理が来なかった、お寿司食べよう」「生理が来なかった、パラオにダイビングに行こう」と生理が来なかったことをポジティブに捉えれるようなイベントを用意した。
お互い辛い時にして欲しいことや、気をつける態度を紙に書いて貼った。

相手への要望を書いた紙。妻さんの要望多い

でも、タイミング法では上手くいかなかった。

少し遠いけど医師としっかりコミュニケーションが取れるよ、と鍼灸院から紹介してもらったクリニックに変えた。一から検査をやり直した。より深く検査した。その結果、花子の不妊の原因は、高プロラクチン血症と診断された。前に通っていた最先端のクリニックではホルモンが低い→ホルモン剤を服用する、という対症療法だったが、このクリニックは原因を追求してくれた。病院は、大小や知名度だけで判断できないと思った。

高プロラクチン血症の治療をすると、卵胞や子宮の状態は一気に良くなった。ここで再度タイミング法と人工授精に進んだ。

それでも妊娠はしなかった。状態が良かった分期待も高く、その落差にまた花子のメンタルが落ちた。終わりの見えない長い妊活に私もうんざりしてきた。結果、夫婦間の喧嘩が増えた。高プロラクチン血症のホルモン治療により花子が体調を崩し仕事を休むことが増えた。元々寝坊しがちな花子が体の不調を繰り返す姿に私はサボっているように感じてしまう。外では気遣う言葉をかけても家ではやさしさが持続しなかった。私が仕事で疲れて帰ってきてもそれ以上に疲弊している花子がいる家が辛かった。
タイミング法に戻したものの毎月、義務のような子作りが辛い。「この日とこの日、するから。出張入れんといて」と事務的に言われるのが辛かった。人工授精時には精子をカップに入れてクリニックに持っていく作業にも違和感はあった。

妊活に専念するため、花子は会社を辞めた。

それでも花子は疲弊していく。
近所の秋祭りで神輿を見ながら、花子が言った。
「毎月、生理が来る度にその1ヶ月を無駄に生きたと感じる」

この言葉で、私も崩れた。祭りの音が響く中で叫んだ。
「こんな状態ならもう子供なんて要らん!こんなんで子供できても嬉しないわ!」

結婚指輪に彫った「 Laugh with me」。辛くてもこの言葉のような人生を一緒に送りたいと思っていた。子供が出来なくても、笑いながら幸せに過ごしたいと思っていたのに、そんな努力も花子には届いていない、意味の無いものだった。そう感じた。
これ以上、花子の辛い姿を見たくない。そう伝えて、もう妊活を止める、と一方的に宣言した。
実際は、自分が辛かったから逃げ出したかった。落ちていく妻を支えれない自分が嫌だった。


この1週間後、妊娠が分かった。2019年10月、流産から2年と7ヶ月が経過していた。

ちなみに、先のやり取りがあったので花子は私に妊娠を言えなかった。喜んでもらえないと思ったから。夜に布団に潜りながらどう伝えようか悩んでいる最中、出血してしまったので、横で寝ていた私に申し訳無さそうに声をかけた。
「じゅんちゃんごめん。血出てきた。あ、妊娠してんねん。」

「うおーーーー!え?大丈夫?うおーーーーー!え?うおーーーー!大丈夫?」

6.感謝

流産の経験から、妊娠中も安心はしなかった。流血があった時は前回の記憶が蘇り非常に安静にした。妊娠がわかってからの9ヶ月も紆余曲折があった。

2020年6月 第一子誕生

初めて息子を見た時、ただただ可愛かった。これまでの苦労とか、感情とかどうでも良かった。そんなことは息子には関係がない。
ただ、花子には感謝した。陣痛から2日かかり、出血が多くて輸血しなければならない出産で、花子は疲弊しきっていた。
妊活を始めてからずっと、花子はボロボロだった。

花子曰く「妊活の時期を思うと出産は辛くない。頑張れば、最後は絶対に生まれてくることが分かってるから。ゲロまみれになってもな!」

諦めなかった花子には感謝しかない。

7.2人目の妊活

子育ては苦労の連続で、話しだしたらキリがないがなんとか息子は2歳になった。息子が乳離れしたことで、2人目の妊活を始めることにした。一人目が出来たことで自然に妊娠するのでは、と淡い期待を持っていたがダメだった。また不妊治療クリニックに検査に行った。2022年、不妊治療の保険適用が始まった年だった。

「だいぶ精子レベル低かった」

精子の検査結果を聞いた花子からのライン

精子検査の結果を聞いた花子からのラインは予想外だった。この3年で、自分の精子は恐ろしく数値が低くなった。性欲とは関係がないのか…。
反対に、花子の卵胞は大きく、女性ホルモンの数値は上がっていた。出産・子育てを経て体調が安定したのだろう。前回は花子、今回は私、夫婦でタイミングがなかなか合わない。

精子の質が悪いと、卵子にたどり着くサポートとして人工授精を行う。花子の排卵時期に合わせて通院、精子をカップに入れてクリニックに持っていき、花子が処置する。
一人目の時も経験したこの流れが、二人目は途端に難しくなった。不妊治療クリニックに子供を連れて入ることが出来ないのは、一人目の経験からよくわかる。そのため、託児所を併設しているクリニックを探したのだが、これがまず少ない。やっと見つけたものの、通い始めてすぐに託児所が閉鎖された。不妊治療の保険適用で患者が増え、託児所スペースを潰して診察室を増やすことになったらしい。複雑な気分だ。
保育所に預けていないため、急遽決まる排卵の予定に合わせ息子を預け先を探す。うちの実家か、自分が休むか…。月1回そんなことが起きるのは働く立場ではなかなか厳しい。

8.男性不妊と言われて

二人目の今回は明確に男性不妊が原因だ。先の「だいぶ精子レベル低かった」というラインを見た時、正直それほどショックはなかった。返信の通り「あらら」という感じ。
別に性欲は落ちていない。体に不調も無い。むしろ1つしかない金玉、頑張ってるのでは?と思ったくらいだ。
ただ、所見の「乏精子症」「精子無力症」という言葉を見た時、「あ、自分は無力なのか…」と感じた。

花子は数値は問題なかったが、卵管が狭くなっているらしく、卵管を広げる処置を行った。この処置後は6ヶ月間、妊娠しやすくなるそうだ。反対に言うと処置後6ヶ月を過ぎると妊娠確率は下がる。1回1回を無駄にできない。

そんな1回目のタイミングが、私が全社に対して事業計画を発表する日と重なった。
「8時30分までにクリニックに精子を持っていかないといけない」「もしくは私が行くから午前中は子供の面倒を見てほしい」
出来るわけがない。前夜までどうするか決まらなかった。発表の事前準備をしたかったが集中も出来ない。

「今回は止めや!なんでそんな事しなあかんねん!!集中させてくれよ!」声を大にして言いたかったが、言えなかった。
人工授精をしなければならないのは、あなたの精子レベルが低いから。花子からそんなふうに返されるかもしれないと思うと、言えなかった。

結局、当日は私が精子をクリニックに持っていってから発表した。花子は子供を預けに行ってからクリニックに行った。

ある日、花子が「今日、実家で今回はじゅんちゃんが不妊と話したら、ストレスかけてるかもなぁって言ってたわ」と言ってきた。正直、外で話すことについては特に気にならない。自分も友人などに普通に話すことは出来る。ただ、自分が気遣われる存在になったことに対し、もやっとした。

今回の妊活は、花子のメンタルは驚くほど落ち着いている。すでに子供がいることは大きい。生理が来ても、この1ヶ月が無駄とは考えなくなった。むしろ、また1ヶ月息子と思いっきり遊べる、とすら考えている。花子が安定していると私も落ち着く。家の中が明るい。
ただ、私は上に書いた小さなもやもやが心の中に蓄積している。不妊治療と仕事の調整を迫られる度に発生するもやもや、気遣われるたびに発生するもやもやは、その原因が自分の精子が少ないから、に帰ってきてしまうためもやもやの出口が無い。その状況は今も続いている。

ただ、男性不妊となったことで良かったこともある。花子はこれより更に大きな苦しみを2年以上耐え続けたと気づけたこと。どれだけ横にいても相手の気持ちを理解出来る想像力が無い私には、この機会がなければきっと気付かなかった。

9.最後に

これを書いている時点でまだ二人目の妊活は続いている。
一人目の妊活を振り返った時、色々忘れていたので妊活の最中の今、書いたほうが良いと思った。
この記事を書くきっかけはアッシャーマン症候群だった。花子がアッシャーマン症候群と診断された時、調べても情報がほとんど出てこなかった。症例が少ないため体験談がなかった。もう子供が出来ないのではないか、と不安になった。自分たちの体験が、妊活や不妊治療に悩む方の孤独を少しでも和らげることができればうれしい。

書いてみると多くのことがあった。妊活は努力が必ず報われるものではない上、終わりが全く見えない。努力の方向が分からないから、心が落ち着かなかった。だから、この過程を通して花子と私は家族として強くなった。元々なんでも話せる関係だったが、更に心も開示できるようになった。それは子育てにも生かされた。
私も、この妊活すべてを通して父になっていくのを感じた。

これは最終的に子供が出来たから言えるのかもしれない。ただ、途中にも書いたけど、子供がいてもいなくても幸せになりたい、笑い合っていたいと思いながら暮らしてきた。「子供がいるから幸せ、というわけではないし、子供がいないから不幸せということは絶対にない」ということは常に花子と確認してきた。

妊活の過程で、子供ができなかった場合のライフプランも話し、子供がいなくてもこんなに楽しくなりそうだと2人で想像した。子供の有無に関係なく、どうすれば楽しい人生を共に送れるのかを語り合えたのは、妊活という期間があったからである。
金玉を一つ失っても、男性不妊だと言われても自分は幸せだと言える。笑って暮らせる。

2022年から不妊治療、正確には人工授精や体外受精が保険適用となった。保険適用前の一人目の妊活にかかった費用はおよそ100万円。クリニックを変えたり、鍼灸院通ったり、色々回り道した。でも体外受精があったらもっと高かったと思う。これでも決して簡単に出せるお金ではなかった。
なぜ、子供を産もうとするのにこれだけお金がかかるのか、苦労しなければならないのかと、そういう部分も正直ストレスだった。人工授精、何回出来るか…ということも考えた。それが少しでも負担が減る機会につながると思う。費用についても、もし知りたいと思う方の参考になればと思い、最後に記載しておく。

このnoteは私がベースを書き花子が加筆した。加筆しながら「私のメンタルやばいやん…」と花子が言っている…。

わぁわぁ言うとります。お時間です。さようなら。

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千種純(三田理化工業_RACOON)
大阪市在住の89年生まれ 父親経営の中小メーカーに在職。 グロービス経営大学大学院卒業 事業承継や、組織の変革、文系から見た社内システムの構築について掲載予定 好きなもの:サッカー(ガンバ大阪ファン)、漫画(オールジャンル)