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サラリーマン家庭の三男が、神棚4つある家に婿入りしたら

「結婚したら一緒に会社を継いでほしい。ついでに苗字も変わってほしい」

当時付き合っていた彼女の提案に、22歳の僕は「うん、まぁええよ」と気軽に返事をして、妻さんの家に婿入りした。

その家には神棚が4つ、神様は7人いた。

1.はじめに

僕は、大阪の一般的なサラリーマン家庭の三男として生まれた。自分の家の宗派も知らなければ実家のマンションには神棚も仏壇もなかった。
妻(以後、花子)は、高校の同級生だった。大学4回生の時にアメリカ横断旅行に行った結果、付き合うことになった。
花子の父親が会社の社長であることは知っていたが、花子の姉が継ぐ予定だと聞いていた。花子に会社の話を聞いても全然知らなかったので、自分には遠い話だと思っていた。
しかし、花子の姉が会社を継がないとなり、話は変わった。次女とその彼氏(僕)に話が回ってきた。花子自身も自分が親の助けになりたい、という想いがあったが一人では自信がないので一緒に、と僕に声をかけた。

付きあって3年ほどが経過した25歳に結婚した。花子の希望通り(?)サプライズを用意し、涙のプロポーズとなったのだが、花子の友人にプランを丸投げしたことが即日バレ、なぜか呆れられた。そして今も根に持っている。
僕は会社、三田理化工業を継ぐことが大事だと考えていたので、自費で国内MBAに入学して自分なりに準備を進めた。だから結婚して家を継ぐ、というのは「ようは苗字が変わるんでしょ」くらいに考えていた。
ちなみに僕の旧姓は「種子」、新しい苗字は「千種」。
画数は変わらない。種の子が千の種になった、というネタが出来たな、くらいにしか思わなかった。

ヨコでもタテでも千種、種子

実親には恐る恐る苗字が変わることを伝えた。実親は「どうぞどうぞ、あなたの望むように。別に親子の縁が切れるわけじゃない」と軽くOKしてくれた。

こんな感じで婿入りが決まった。この程度の認識だったことは、良かったのか悪かったのか…

2.千種家の人々

千種家の当主は、三田理化工業の二代目社長である義父の千種康一。結婚した2015年当時は57歳(現在66歳)。義母も会社で働いていた。
義父の父、会社の創業者の千種喜作は2011年に亡くなっていた。千種喜作の父は早くに亡くなっており、千種喜作は10代で家督を継ぎ、21歳で会社を創業した。
義父の母(義祖母)は脚が悪くあまり会話も上手くいかない状態だった。
花子の3歳上の姉は愛知県で働き、そこで結婚した。いわゆる嫁に出た。

義父母は普段は大阪に住み、大阪で働いている。週末や年末年始、お盆の時期には千種家の実家である兵庫県三田市(さんだ)の家に戻る。もともとは三田の古道具屋で、立派な蔵がある家だ。

今回のお話は、ほとんどがこの三田の家で繰り広げられる。
そもそも千種家ほとんど大阪(と愛知県)に住んでいるのに休暇になると兵庫県三田市の家に移動するシステムもどうなんだ、とは思う(大した距離ではないけども)

3.いとこ煮事件

「お盆休みは三田に行くから」
三田理化工業に入って初めてのお盆休み、当たり前のように決まるスケジュール。2泊3日が最低ライン、とのことで「まぁそういうものか…?」と思いながら大阪から離れてゆっくりしよう、と三田へ向かう。

朝、起きると義父がお盆に陶器を置いている。「さ、いこか」と言われ付いていくと神棚にお供えをしている。そこで手を合わせる。それが7回続いた。神様が7人いた(神棚は4つ)。それに加え仏壇でお経を読む。

三田にも遊園地やアウトレットがある。出かけようとしたら義母に「この日は出かけたらあかんよ。お坊さんが来るから」と声を掛けられる。
「いつ来るんですか?」
「今年は15:00くらいに来るって言うてるけど前後するから。1時間くらい変わるかもしれんし」

30分刻みでお坊さんが檀家さんを回るらしい。すべての家でお菓子を出されるので時間が読めない。なにその家庭訪問スタイル。

実際、30分遅れてやってきた。シースルーの黒い法衣を羽織って汗だくのお坊さん。お経をしっかり読んで、いくつか話をして、お菓子も食べて帰っていった。ほんまに家庭訪問だった。

さぁ終わったので出かけようかと思ったら「もう一人来るから。お坊さん」と言われた。お坊さんのダブルブッキングってあるの?

昼にはお墓参りに行き、蚊に刺されながらお墓を掃除する。
夜には送り火、迎え火を焚く。そして御詠歌(ごえいか)を歌う。
御詠歌とは、お寺にまつわる和歌をゆったりとしたメロディで歌い上げるイベントであり、千種家では西国三十三番御詠歌というものを歌う。33か所分をゆったり歌うので、1時間以上かかる。これをみんなで歌う。

想像したゆっくりした時間はないまま、なんとか義父の後ろに立ちながらお盆のスケジュールをこなした。
けど事件は最終日に起きた。

千種家のお盆は食べるものも決まっている。「いとこ煮」という郷土料理がある。親子丼よりは広く、畑で取れたものを煮る、というかなり大きいくくりの煮物だそうだ。
全国に色んな形でこの料理があるし、きっとおいしいものもあるのだろう。ただ、千種家のいとこ煮は全然おいしくなかった。
義母は料理が上手だが、このいとこ煮は代々の教え通りに作っている。
僕も、想像と違う休みにストレスを感じてたので、勇気を出して言ってみた。
「これ、おいしくないですね」

それが火種となり家族で口論が始まった。代々続いているものだ。これが千種家の味だ。そもそもいとこ煮とお盆関係なくないか…。花子たちは伝統への経緯が足りない…。そんなんだから子供が出来ないんだ。

お盆のあり方や医学を超えた暴言まで話が及んだ議論は、最終的に「私だっていとこ煮好きちゃうわ!!」という義母の一言で、今後いとこ煮が出ないことになった。作ってる人も好きちゃうんかい!

4.正月帰宅事件

正月の過ごし方を義父母と話している中、花子が怒って三田から急遽帰ることになった。

お盆以上にスケジュールが厳しい千種家の年末。

12月28日 仕事納め
12月29日 大阪の自宅掃除。三田へ移動。食材の買い出し。
12月30日 お餅つき。大阪へ移動。実家(種子家)の集まり。
12月31日 正月飾り(家・会社)。三田へ移動。お墓参り。おせち作り。0時初詣。

予定がおせちよりも詰め込まれている…。休みですよね?
昔は親戚も多かったので手分けして進めていたのだろう。
これを義父、義母、花子、私の4人でこなさなければならなかった。大人だけならまだ、本当にギリギリ何とかなったのだが、2020年に我が家に長男が生まれたことによってバランスが崩壊する。

余談だがこの年末年始のスケジュールがなくなる時がある。それが喪中だ。喪中の時は正月の準備をしない。それが2021年、2022年と続いた。
2023年の正月は、久しぶりのザ・お正月。そして本格的な子供がいる年末となり、花子の負担が増えた。僕は子供の世話を言い訳にしてあまり正月準備は手伝わなかった。

1月1日、僕と子供以外は全員、寝転がっていた。
疲れ切った。彼らはやり切ったのだ。おせち料理は12月31日26時に完成した。

紅白が終わるのにおせち料理が終わらないの図

なんだこれ!?

(おせち好きじゃない)僕は食べたくないおせち料理をせっせと勧められる。花子は熱が出て寝込む。義父母も疲れ切っている。2歳の息子は休みなのに誰とも遊べない。誰が幸せなの!?これが守りたい正月なの??こんな正月ならもう三田には来ない!

そういう不満を花子に伝えて子供と二人で公園に遊びに行ったところ、先のLINEが届いた。
公園から家に戻ると、花子がかばんを持って玄関から出てきた。
「クルマ出して!」という花子を、義父が「もうちょっとちゃんと話せばいいんじゃないか!?」と追いすがった。僕はクルマを出した。
またすぐに会社で顔合わせるから気まずいなぁと思いつつ。

議論は、
花子「子供もいるのにこんだけタスクこなせない!おせちは買おう!」
義母「昔より全然楽になってる!甘えすぎや!!」
義父「おせち料理は食べたい」

という内容だったらしい。おせち料理作って年始はダラダラ食べて過ごす、というのは親戚たくさん集まってお酒飲む人たちにとっての最適な過ごし方であって、客も来ない5人家族にとってはヘビータスクだし、それによってみんなの笑顔が失われていることに気付かないのが悲しい。

年始の集合写真。漆器のお膳でおせちを食べる

※ちなみにおせち料理はそれぞれ漆器のお膳で食べる。このお片付けも大変。小さいこどもがいる中では食べるのも大変。

ここで気を付けたいのは、花子は優しい、ということだ。
千種家がこれまで作り上げてきたフォーマットの中で動くことを前提に、それを実現できる方法を提案している。
実際、喧嘩して帰った後、どうにかして効率的におせち料理を作れないかを考えている。

口論後の投稿。おせち料理のメニューを書き出している

僕は何度も「もう行くのやめよう。あれは義父母の正月であって、俺らの正月じゃない」と提案した。それでも彼女はこの正月を過ごすことを諦めなかった。

この衝突は無駄じゃなかった。この後も話し合いは続き、年末の過ごし方もいくつか変わった。

  • おせち料理は買う。花子と義母が作りたい食材だけ作る。

  • 0時の初詣は希望者のみ。義父は一番最初、0時0分にお参りしなければ気が済まないらしく23時から並んでいた。それに付いていっていたのだが「僕は行かない」と言い希望者だけ行くことになった。今は義父だけ行っている。

  • 年越しそばはなし。「年越しそば要らないです。その前にごちそういっぱい頂いたので」と言うと「俺もいらない。もともとその風習は無かった」と義父が言ったので年越しそばがなくなった。義母の「早く言ってよ…私はなんのために作り続けてたんや」という嘆きだけが残った。

5.お餅つき

12月30日にお餅つきを開催する。これも長く続く伝統らしい。
30kg(昔は50kg)のもち米を杵と臼でつく作業は、準備も含めてとても大変。過去は友人に声をかけて助っ人を読んで、お小遣いを払うスタイルだった。僕もお小遣い欲しさに友人として高校生の時から参加している。

それを花子が転換した。前はお金を払って助っ人を呼んでいたが、今は「お餅つき体験したい人!」と同級生、ママ友に声をかけ一つのイベントにしてしまった。
その結果、参加者は言われてから動く助っ人ではなく、イベントを成功させる協力者(しかもタダ!)となり、効率的に動いてくれるようになり、全体として笑顔の数が増えるイベントとなった。(花子は逆にどうにかしてお金が取れないか画策している)
その結果、昔の主戦力だった僕はお餅をつかなくなり、ただ子供たちと遊んでいる。

義務感で行事をこなす、ではなくせっかくなら笑顔を増やすイベントに、とただ行事を止めるのではなく、新たな価値を生み出す方向に発想の転換が出来るところが、花子の良さだと思う。

6.三男が婿入りしたら

誰も好きじゃないいとこ煮はなくなり、全員強制参加イベントは希望者のみになった。重労働のお餅つきはみんな笑顔のイベントになり、おせち料理は買えるようになり、僕はゆっくり紅白が観ることが出来るようになった。

長男として会社と家を継いだ義父と、それを長年支えてきた義母。
その二人からすると、そのような教育は受けていない次女の花子と、そもそも家の行事がない僕は、頼りない後継ぎだと思う。ラクしたいから今まで続いた伝統を変えられてきた、と思っているかもしれない。実際、僕はそうだが花子はそうじゃない。家族で笑顔になるために、伝統行事を持続可能なものに変えていくことを願い、行動している。
家を継ぐってなんなんだろう。この答は今も持っていない。だって行事をやったってやらなくたって千種家は続くから。
この考えは、行事を強制させられてきたし、それこそが家を継ぐことだと信じている義父母(特に嫁として苦労した義母)には受け入れがたい考えなのだろう。

僕は婿入りした時のように「すべて失くしてしまえ」ほどに極端な反発心はなくなったし、全て失くすことが正解とも思っていない。息子が義父とお墓に手を合わせる姿は、やはり良いものだと思う。

お経を唱える祖父を不思議そうに見る息子

ただ、我々が不参加の年があってもいいと思うし、もっとみんなが幸せになれる形はあると思う。この辺は花子とも話しながら、毎年模索していきたい。
きっと、婿入りしてすぐに「僕は不参加です!」と決裂していたら、失われたものもあったと思う。そう考えると、緩やかながら、ぶつかりながら少しづつ変化が起きているのは、それこそ僕たちが家を継ぐための準備期間なのかなと、今は思える。僕自身、多くのことを学ぶことが出来た。きっと、義父母が受け入れる時間も必要なのだと思う。

行事をやめたことで失われたものもきっとあった。だけど、義務や強制で行事を続けるのではなく、自分で考え、続けることを選ぶ方が大事。やらされて「私たちだって続けてるのに」という感情を相手にぶつけるような人間にはなりたくない。

自分の人生の大事な時間のあり方は自分で決める。当たり前だけど、その想いの方が、自分の子供に継いでいってほしいことだと思う。

※このnoteでは、慣習や伝統を中心に記載しています。義父や僕の信仰心や宗教観はちょっと横に置いておいて、こんな家族もあるんだな、程度に見てもらえれば幸いです。


わぁわぁ言うとります。お時間です。さようなら。


参考note

花子とのなれそめのアメリカ横断旅行

会社を継ぐまでの話(プロポーズなんかもこちら)


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千種純(三田理化工業_RACOON)
千種 純(ちぐさ じゅん) 男児2人の父親 三田理化工業株式会社 代表取締役社長 「道なきところに道をつくろう」