ニッチ・マーケティング序説。「狭い門から入りなさい」
「狭い門から入りなさいなんて、もしかしたらイエス・キリストもニッチに賛同している?」と思ってしまいました。
マタイによる福音書7章13節14節「狭い門」にはこうあります。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通ずる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない。」
「狭い門…それを見出すものは少ない…」。これはニッチですね。「イエスさまもニッチの道を説いている」。自称、ニッチ教の狂信者です。思わずキリスト教にも帰依してしまいそうになりました。
しかし冷静になって解説などを読んでみると「狭い門」とはニッチのことではなく、イエス自身のことのようです。
ヨハネによる福音書10章9節には「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。」とあります。
つまり「門」とはイエスの言葉を信じてついていくことを指しています。残念ながらニッチの話ではありませんでしたね。私の早とちり。いつもながらの思い込みの誤解でした。
しかし、あらためてこの節の「広い門」をマス・マーケティングとし、「狭い門」をニッチ・マーケティングと考えてみましょう。
テレビの広告のようなマス・マーケティングはわかりやすく使いやすいものです。マーケティング関係者のほとんどが大企業や多くの消費者に向けた仕事をしています。ビジネスとして成果が得られやすいからです。
しかし最近ではYouTubeやSNSのようなメディアが増大しマス・マーケティングは苦しい状況です。
一方でニッチ・マーケティングは気がついている人も少なく、認められてはいません。ビジネスとして儲かりそうもないからです。しかし、そこには重要な使命(ミッション)が隠されています。生態学が示すように、社会は多様化する必要性があるからです。
ということでニッチ教の狂信者としての私は「狭い門」を目指し、ニッチ・マーケティングを心に抱き、なんらかの救いがあることを信じます。
ということで、ニッチ・マーケティングは聖書の言葉からも学ぶことがありそうですね。