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大前提の違い

昨日も長男を怒ってしまった。
最近は、小3の長男をこっぴどくしかって、“長男がちょっと涙ぐんで寝る”というのが、ルーティーンになっている。

怒る内容は、いつも一緒。

宿題してから寝なさい。
やることはやったのか。
学校の用意してから寝なさい。
机の上を片づけろ。
とりあえず、早く服を着ろ。

長男が保育園の時は、家がぐっちゃぐちゃにちらかっていようと、とりあえず、絵本を読んで歌を歌ったりして寝ていた。

それは、私がそれをやりたかったから。

日中は保育園に子どもを預けていたから、寝る時くらいは一緒に笑って過ごしたい。

そう思っていた。

その裏には、家はぐちゃぐちゃで当たり前。
そんな私の大前提があった。

うちの両親もずっと共働きだったので、
“家は散らかっていて当たり前”だった。

だから私もそれでいいと思っていた。

だけど、やっぱり、ずっとそのままでは嫌だなと思っていたし、本当は、もっとちゃんと片付けもしたいし、子どもたちに片付けの習慣もつけさせたいと思っていた。

でも、心の奥底では、「そんなの絶対に無理だよ」と思っている自分もいた。
だって、自分もできていないから。

不思議なことに、主人が子どもを寝かしつける時は、子どもたちは部屋をきれいに片づけてから寝る。

主人の大前提は、“部屋は片付いているのが当たり前”

コーチングを学ぶ前は、「これを育ってきた環境の違い」で片づけようとしてしまっている自分がいた。

そして、「忙しい」ことを理由に、片づけようとも思っていない自分がいることに気づいた。

子どもの気持ちを大切にしているふりをして、いろいろと最初からあきらめてしまっている自分がいることにも気づいた。

「絶対に片付けられる」

そういう大前提を持つようになってから、自然と家は片付くようになっていったから不思議なもんだ。

どのような大前提を持つか。

それに正解・不正解はないと思う。

だけど、今、自分が絶対に「できない」と思っていることがあるとしたら、
それはもしかしたら大前提にできないと思ってしまっている可能性があるのかもしれない。
自分で自分を締め付けてしまっているだけかもしれない。

最近は、そんな風に思う。

私から見たら長男は、いろいろとつめが甘い。
いろいろと真剣にやっていない姿が腹立たしい。

だから、「怒らないとわからない」と思っている自分がいる。

だけど、赤ちゃんの時は、そこに存在してくれるだけで、笑ってくれているだけで、嬉しかった。いつの間にか、いろいろと期待している自分に気づく。

今は、「怒らないとわからない」という大前提で長男と接しているけれど、
「怒らなくても、わかるはず」そういう大前提にしてみたら、もしかしたら怒る回数も減るかもしれないな。

いやいや、それでは、まだまだ大前提がぐらついている。

「怒らなくても、絶対にわかる」

まずは、この大前提を私の中にしみこませることが必要だな。

コーチングを学び始めて、2年経つ。

そろそろ、“怒る”ではなく、“叱る”に、
そして、“叱る”よりも、“褒める”に意識を向けられる自分に、、、
なっていこう。



今までは、アメブロと同じ内容をnoteに転記してきました。
だけど、実は書きたいけれど、書けていないこと、たくさんあることに悶々としていました。

今年はnoteで、もっとディープな私の想いをふらっと気軽に、どんどん発信していきたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願い致します。


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