ダサさについて
彼はダサい??
のかもしれない。
けど私は彼のセンスをとても重要視している。
私がダサいと心から思うことをしない。
まずもって彼はSNSをやっていない。
今の人は多かれ少なかれSNSの影響を強く受けているんだとおもう。私も然り。
育ってきた環境だとかで価値観や、センスも磨かれていくもんだとしたら、現代の人は必ずそこにSNSの影響も含まれていて、多数に目にする投稿の影響をうけて、無意識に量産型というか今流行りのものに引っ張られているんだと思う。
となると、いい意味で彼は純度の高いまま育っているということになる。
自分のつくったものを愛せる人と毎回駄作だと思う人がいるというけど、自分は完全後者。
すごく生きにくい。
そしてこの性格は死ぬまで変わらないこともわかってる。
少しでも抵抗するために色々なものを吸収すべきと思っていたけど、逆にあんまりこれはよろしくないのではないかと思ってきた。
というのも、好きなもの 好きな映画 好きな服 好きな本 好きな雰囲気とかは自分にもあるけど、最近いろんなものの良さを知る(知ろうとしてる)ようになってからは、ある意味で自分の確固たる「かっこよさ」みたいなものがブレつつあるから。
芸術家だって思想家だって芸人だって、ある意味でブレない「かっこよさ」をずっと唱え続けてるんだと最近気がついた。
あれもこれもやってるわけじゃない。
今彼にとてもききたい、ブレることはなかったのですか?と。