ゴミ文
得られた感情と情報が多すぎるので
昨日は朝から映画を見て学校の説明会にいった。
次の日別の授業体験いったけど、胡散臭いのはどっちだと。いい人だったよ。飛び込んで自由に生きてきた人だった。
だが陽キャじゃん、あれ。手を振るなよ。
あとはずっとその道でやってきたのはいいことだけど強い、強すぎる〜てなる。こういうナースいるよなぁ。
でも模擬授業を通してやってることは楽しかった。ここに楽しみを感じるのは当たり前なんだっておもえた。
昨日行ったところはおじさんだった。揉まれてきたし、ある意味で枯れてるのかもしれないけど丁寧でよかった。きっと怖いのかもしれない。
私は表現なんてしたくないといいつつ、デザインの過程をみて、それって所謂「普通」なんじゃないのか??て思ってしまった。みんなが求めているのは「普通にいいもの」なのに。
やっぱ今までは無知でいる代わりに自由にいろんな物を馬鹿にできてたんだなー。
私はもしかしたらアートをしたいのかもしれない。
私はこれなんですけどどうですかっていう状態で受け入れられたいのかもしれない。恥ずかしい。
ただ、理論的に勉強もしたい。みっともない。
そのあといった怪談イベントは最高だった。高円寺も最高だった。唯一無二があった。
小さい頃好きだった中国の店、無くなったんだけどそのくらい可愛いのあった。店の人も可愛かった。
おじさんおばさんあつまって、芸として怪談を楽しんでいた。本物としても娯楽としても各々の楽しみ方で楽しんでた。
場の雰囲気を作るために墓が頑張ってた。
優しい楽しい空間。有名な人もいたし、拒否される不安もなかった。
トイレで開かなくなったと騒ぐ女も、なんか寒いですよねとか冷房なのか霊的なのか分からんトーンで話しかけてくるキャップ男も、みんなおもしろかった。
霊といってもいろいろあるんだなーと。都市伝説的なSFものもあれば、ヒトコワ的なもの、あとは守護霊や、昔のいわれ、歴史や文化からきているものがった。
カルチャアってかんじ。
昔から一人でライブにもイベントにもいってきたし、知らない人とも話してきたつもりだけど、
本当にしんどい。しんどいのに、する。
なぜかはわからない。
家に一人で帰った時に死ぬほどホッとする。楽しむより不安と緊張を感じてるくせに、定期的にまた出かけていく。
期待をずっとしてるのかもしれない。
友達がいなかったあの日も次の日は幸せになるって信じてた。苦しかったあの日も明日はうまくいくかもしれないって信じてた。
苦しかったのになーー
誰が自分を、そうさせてるのか。自分のなんの認知が自分をそういう行動にさせてるのか。
自分が人を見下してるから、人にランクをつけてるから自分も自分にランクをつけてるのかな。
認知療法したい。