わたしも天才はあきらめた。
努力を知らない子供
自分でいうのもなんだけど、小さい頃からある程度のことはなんとなくやり遂げてこれた。
特別できた子ではなかったものの何かで劣っていると感じたこともない。
小中高と、自分は世間の一般、大衆または背景。
そんな感じで紛れて生きてきた。
山里亮太のエッセイを今更ながら読んでみたんだけど、ああいう努力の天才って一定数いるんだと気付かされた。
自分は努力のできない人間だ。
だって努力なんてしなくてもある程度のことができてきたから。努力する必要性を、努力による可能性の広がりを体感できていないから。
努力なんかして自分の理想に届かなかったときに受けるショックなんか想像もしたくないし嫌になるから。努力をしないである程度生きてこれた自分を、きっと誇りにおもっているから。
わかりやすい例が化粧や美容を嫌っていた理由。
頑張って可愛くなっている友達をみて、素材のよさが足りないなんて思って、自分は手をかけない美しさがあるはずだと自惚れていたた。
だけど、そんなわたしはただの芋女だった。
以上。因果関係を見つけて、何故自分が頑張れないかを見つけるかったるい言い訳でした。