「2分の1の成人式」について、内田良氏はもっと別の角度からも批判するべきです
内田良氏が「2分の1の成人式」について、以前から批判をしています。「2分の1の成人式」については、問題点の1つとして「家族の過去を引き出す点」を挙げています。様々な家庭事情を抱える子は学級の中に少なからずおり、過去の写真や思い出の品等を持ってこさせることは確かにすべきではないと思います。その他にも問題点を挙げていますが、もっと別の角度からも批判すべきではないでしょうか。
生活科の学習指導要領を見ると、内容のところに以下のことが記されています。
自分の成長を振り返ることは大事なことだと思います。2年生の後半ともなると少しずつ自分を客観的に見ることができ、自分の周りの人たちが自分を支えてくれていることに感謝することは大事なことだと思います。
学習指導要領では、さらに以下のことが記載されています。
「2分の1成人式」は過去ではなく、未来志向の、つまり、自分は今後どのようにしていきたいかという夢を語るような形に変えている学校は近隣の状況を見る限り増えているように思います。
しかし、生活科の学習指導要領でも「2分の1成人式」と同じようなことを求めているのです。
こちらの方が法的拘束力をもっていることから、
内田良氏は、法的拘束力をもつ生活科の学習指導要領に対する批判をすべきではないでしょうか。
おそらく気がついているのでしょうが、世の中へのインパクトを与える記事にするために「2分の1成人式」を標的にしているように感じます。
本当に「2分の1成人式」を学校にやめさせたいのならば学習指導要領の過ちを正すことを求めた方がいいと思います。
もう1点内田良氏が指摘していない大事なポイントがあります。
それは、
教員は変化を嫌がる人種である
ということです。
現在、総合的な学習の時間の問題点として挙げられているのが、毎年同じ内容の繰り返しになっていることです。
総合的な学習の時間は教科書がありません。したがって、「2分の1成人式」をやめようとすると、新たなカリキュラムを作らなければなりません。20~30時間程度のカリキュラムを作るのは大変です。
いちいち変更するのは面倒です。前と同じようにやれば批判も来ません。
こういった理由で変えないことが学校現場では十分に考えられるのです。
教員が変化を嫌がるのではなく、新たにカリキュラムを作ることができるような力を身に付けることができるようにすること。
内田良氏は、教員の資質・能力についてもきちんと指摘すべきだと考えます。