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君は完璧で究極のアイドル#6 触れることはできないけど

疑似片思いって何さ

 思い返せば、中学生高校生くらいまでの恋愛の殆どがこれではないかとも思う。実際に渦中にいる本人は、決して疑似などではないし、成就を夢見ているのだろうが、今になって振り返るとやはり疑似というか、幼い恋心であったなという点は否めない。
 私は高校生の三年間、どだい成就など叶わない相手に片想いを続けていた。その想い人は生活圏内も遠い相手だったので、普段からちょくちょく会えるわけでではなかったし、月に一度程度、電話で会話するくらいしか接点がなかった。改めて書いてみると、片想いということすらおこがましい気がしてきたが、一方的に恋心を抱く相手がいたということは確かなので片想いであったとする。
 学生生活の中でも、私は高校の3年間がとにかく楽しかった。今で言う陽キャ的な青春は何一つなかったが、個人的には楽しい事ばかりの高校生活だった。
 片想いの相手はとにかく会えないので、普段はバイトに通い、部活で遊び、委員会で遊ぶ日々。その合間にクラスの友達と買い物や映画にでかけたり。おおよそ月に一度、電話で話すのが唯一とも言える接触だったので、次の電話で話すことを集める日々。
 思い返せば幸せな日々だった。高校3年間がこんなに楽しかったのは、友人やクラスメイトに恵まれたなどいろいろあるが、この片想いにより支えられていた部分は大きい。
 この片想いの楽しさの秘密は「現実的な相手の不在」である。
 片想いのお相手を仮にAさんとしよう。家族と暮らす家から自転車で高校に通い、通学路途中のバイト先で働く私の毎日に、Aさんはいない。クラスの同級生でもなければ先生でもなく、バイト先の先輩でもなければ客でもない。普通にすごしていたらまず会うことはないのだ。
 会うことも叶わない相手なので、普段の生活にアタックなどというものは存在し得ない。ただただ、相手を「好きだなあ」と思いながら毎日を暮らすばかりだ。それでもふと「今何してるかな」などと妄想したり、バイト帰りに借りた映画が面白かったりしたら「次に電話したときこれ言おう」と心に留め置く。前回、電話でした会話を思い出してはニヤニヤする。
 完全なる一人相撲である。私の恋に、Aさんは存在しない。
 いや実際にはAさんは私の身勝手な恋愛感情の相手を無事勤めてくれた(?)。不在ではないのだが現実的には生活の中に存在はしない、片想い相手である。

 やや無理やりのような気もするが、アイドルへの憧れと似ている。ライブなど実際に観ることが叶う可能性はあるが、基本生活の中に存在はしない。
 大好きなのに、手は届かないしアプローチのしようもない。
 しかしその反面、前回も書いたようにアプローチも何もできないので、マイナスも起きない。デートに誘ったのに断られてガッカリとか、他の女の子と仲良く話してたとか、恋愛におけるションボリエピソードが発生しない。日々、私の生活を営みながら、好きな人がいるときめきを抱え過ごす。
 楽しいところだけなのだ。この片想いは何度かの告白と対話を経て、いろいろあって終わるのだが、もちろん泣いた。大いに泣いたが、なんとも美しい思い出だ。今となってはAさんには感謝しかない。
 実際に交際へと発展し、晴れておつきあいが始まると、楽しい事ばかりではない。相手がいるということは、恋愛に限らずそうである。
 片想いの相手が身近にいないが故の、楽しい部分ばかりを味わうことが可能となる。
 さらに立場や年齢の壁もない。外から見たらいわゆる「イタイ」部分はあるかもしれないが、いくつになっても10代20代のアイドルたちを応援しても罪には問われない。
 アイドルを推すことを「疑似恋愛」と表現するとちょっと語弊と生々しさが出るが、広義でそう呼ぶこととする。


アイドルに片思い

 しかしまた、アイドルを「推す」ということには「応援する」という意味のほうが大きいのではなかろうか。
 売れて欲しい、TVにたくさん出たり各種ランキングにひとつでも上の順位にランクインしてほしい、ライブもたくさんできるように人気になってほしい。雑誌掲載にイメージキャラクター、番組MC、いろいろ露出が増えて欲しい。
 これらをまるっとまとめると「国民的アイドルになって欲しい」ということになるのだろう。
 献身的な愛、である。
 大きな夢を抱き精進する恋人と、それを支える私、といった風に置き換えてみるとなんとも献身的である。恋人の夢を実現してもらえたらと願い、自分にできることを探しては実行する。
 しかし人はそう簡単に献身的な聖母にはなれないものである。見返りを求めてしまう。尽くした恋人には、同等とは言わずとも何らかの愛を求めてしまう。
 アイドルの場合それは、コンサートでのファンサや、各種媒体などでのファンへの感謝の言葉だったりであろう。突き詰めれば推しがアイドルとして輝いて活動していてくれることこそがそもそも見返りと言えるだろう。
 長々と書き連ねてきたが、この応援と活動の継続の関係こそが、アイドルとファンの関係性の基本姿勢であろう。

応援するとは

 じゃあ、応援ってなんだろう。
 アイドルが提供してくれるもの、それはエンターテインメントである。
 歌い踊るショーステージを構成し、演じ、観客にエンターテイメントを提供する。我々は演者から感動や喜びを得て満たされる。
 演者はよりよい、自らの目指すクオリティに向かって歌や踊りを磨くべく日々努力を重ねる。
 スポーツ選手やチームに対する応援も同じ構図が成立すると思うが、我々観客は結果のみを見ているわけではなく、その結果の背後で積み重ねられた努力や試行錯誤を想像したり感じたりしている。
 演者や選手に関心を持てば持つほど、その背後の努力を察し、苦悩や葛藤を感じ取り、結果に至るまでに思いを馳せる。

 誰しもが、キラキラとした夢を持つわけではない。そして夢を持っても、皆がそれを叶えられるとは限らない。
 人はその、なし得ない、達成できない夢や憧れを投影したくて応援するのではないか?

 人はなぜ、推しを応援したいのか。続く。






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