82年生まれ、キム・ジヨン(2018年)
チョ・ナムジュ(斎藤真理子 訳)
33歳の女性「キム・ジヨン」の人生と、その周辺の女性たちの苦い経験を、淡々とした文章で描いた作品。(キム・ジヨンが受診した精神科の医師が、彼女について記したカルテ、という体で進んでいる。)
時代を超えた女性たちの生きづらさに、読んでいてい胸がふさがる思いになる。
キム・ジヨンの母の世代から続く、女性たちの生きづらさ(男児を産んでこそという風潮…実際に、妊娠したのが女児だったため中絶手術を受ける、という場面もある…、家父長制がまかり通る世間等)は、現代に続いている。
性的搾取、性によって教師や上司から軽んじられる経験、キャリアや進路決定の際に立ちはだかる見えない壁、妊娠出産の身体的・精神的な苦痛、周囲の無理解…
小説の中の出来事に、真新しいものはなく、常に自分が感じている憤り・悲しみを、ただ、なぞっていくようだった。
フェミニズム小説について、「これは、私たちの物語だ」とキャッチコピーがつくことが多い。その言葉に気持ちが沸き上がる反面、それに疑問を抱く。同じ女性というだけで、私たちは別々の人間だ。経験や価値観も全く異なる”私たち”は、ひとまとめにできない。
同じ女性として、信じられないような発言をする人はいる。政治家や有名人、SNS上の赤の他人…そのたび愕然とするが、
同じ女性というだけで、共に戦ってくれる、と期待する方が間違っているのかもしれない。
小説の中で、キム・ジヨンを性犯罪から助けてくれた女性が「世の中にはいい男の人の方が多いのよ」という言葉を残す場面がある。
女性というだけで仲間ではないように、男性だからといって敵ではない。
不条理に襲われるたび、男性という半分の人類を憎みそうになるが、それは間違っている。何と戦っているのか、見失ってはいけない。(自戒を込めて)
でも、それでも、私は、無防備に、結婚や出産はできない…。
妊娠や出産によってキャリアを諦めることになったら?パートナーやその家族に、悪意でなくても深く傷つけられたら?それを話し合いで解決できなかったら?「あんなに分かっていたのに」と深く後悔するのが怖い。
こんなにも予想できる苦しみに、誰が飛び込めるというのだろうか…世の中に対して、常に静かな諦めと怒りを持って、なんとか自分を守る方法を模索しているというのに…。