都会を流れる水
最近「水のように生きる」という比喩表現を見て、確かに水って人間のようだなと感じた。自然で流れている水は清らかで奏でる音も美しい。逆に都会を流れる水は様々な要因によって汚染されている。そして、汚染された水はろ過することできれいな水になる。自分の置かれた状況で、自分は作られるけど、だからと言って変えれないわけではない。いろんな経験を得たうえできれいな水にもう一度なれるなら、都会を流れる水も悪くない。ただ、きっとろ過に至るまでが大変なのが人間なんだろうな
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