前向きになるために
交通事故を起こしてから、完全なる悲劇のヒロインになっていた。
人を寄せ付けずに一人の世界に浸りたかった。
慰めの言葉よりも、なんて不運で可哀そうなんだと同情されたかった。
そんで、同情されてもなお、不幸に浸っていたかった、それは楽だから。
楽なんだよ。
不幸で可哀そうだけど頑張っている私。
不幸で可哀そうだけど頑張ってるけど結果が出ないのは、不幸で可哀そうだから。なんて。
いいよな、不幸で可哀そうでない人たちは頑張っても頑張らなくても私よりもずいぶん素敵な人生を送っているようにしか見えない。
何でそんな風に見えるのだろうか?
そう見えているだけなのか、本当にそうなのかそうじゃないのかだとしても私の現在地は何一つ変わらない。
人と比較することが苦しみを生むことは重々承知してる。
私がこの現状でどんな心持だろうとそれはすべて自分にしか影響を与えない。
私はどうありたいか?と考えたときにお金持ちになって私に見えている幸福な人たちになりたいというよりは、自分の現状にありがたさを感じその先を楽しめるようにありたい。私はきっとあの人たちの幸せを楽しめない。私の幸せは、日常のふとした時に感じるあの多幸感。
あの感覚を、感じていたい。
くだらないことであの幸せを見ずに不幸だと酔いしれているの今の私はおろかでありそれが不幸だ。
私って、私の中ではイケてる
そう思おう。
不幸煮びたしはそろそろ乾いてきた。