選択肢がないという不自由
事故を起こしてから3週間。
この車がなければどこへもいけない場所でその現実を受け止めている。
もともと、外へ出ることはほとんどなかったけれど、少しづつほんの少し重い腰を上げて気軽に外に出るようになった矢先に起こした事故だった。
前向きに何かを期待しながら外に出ていこうとして、それなりに楽しんでいた。
事故を起こしたのは自分であり、誰かを責めたら気が楽になるのかはわからない。でも、誰の責めれない。自分の一瞬の不注意だけ。
後悔できるほどのああすればよかったもない。
運が悪かったとも言えるけれど、とても運が良かったとも言える。
自分の不注意でこの程度の事故で済んで何より相手方にも身体に支障がなかった。
頭では文句のつけようのない不幸中の幸いと理解している。
まして誰にも責められることもなく、暖かい言葉をいただいた。
夫も夫なりに気を使ってくれて、私の理不尽な八つ当たりを受け流している。
なのに私は悲劇のヒロインになろうとしている。
不幸に酔っているのか。。
それは幸せなことではないか。
自分を俯瞰で見たら笑ってしまいそうだ。
外へ出れない
外へ出ない
これは大きく違う。
やりたいけどできない
やりたいと思わない
やっていることは同じだとしても心は全く違う。
あと二か月後にはそのありがたみをかみしめて日常に戻っていこう。