見出し画像

自分らしく生きる。

こんばんは。もうあと少しで2024年を迎えようとしています。
みなさんにとってこの1年は、どんな1年でしたでしょうか。
どうしても2023年のうちに自分で変化の年であった1年を振り返りたくなり書いてみようと思います。

今年になって、全然SNSを更新できてなかったけれど、2023年を振り返りつつ、”今”の私についてやっと少し話せる気がして、初めてこのnoteを書いてみる。
2023年一言ではまとめることはできないけれど、あえて言うならば”自分と向き合う”一年だったと思う
間違いなく19年間の中で一番苦しかったし、しんどかったし、悩んで考えた。けれども、その分自分の中での成長も大きかったし、価値観が変わった一年だった。

きっと何してるの??と思ってる方も多いはず。
私の周りの方、数人にはお話をしたことがあるけれど、単刀直入に、
私は2月の大学受験の結果が出てから約1年間”ギャップイヤー”を取っている。
日本ではまだまだ知られていないと思うけれど、ギャップイヤーとは…

ギャップ・イヤー: gap year)とは、高等学校卒業から大学への入学までのモラトリアムのこと。英語圏の大学(特に英国の大学)の中には入試から入学までの期間をあえて長く設定して(7月卒業、9月入学)、その間に大学では得られない経験をすることが推奨されている[1]
意義[編集]
本来は大学入学資格(フランスを含む多くのヨーロッパ圏ではバカロレア、ドイツとフィンランドではアビトゥーア)を得た若者が入学を延期して親元を離れ、長期旅行、ボランティア、国内外留学、インターンシップアルバイトなどを体験することを言った[2]。イギリスで1960年代からみられるようになった慣行で、特に1990年代以降に安価に渡航できるようになったことで一般的になった[2]。本来は大学入学前のものを言ったが、休学時のほか卒業後のスキルアップや能力開発も含む概念として用いられるようにもなっている[2]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC

私はこの中でも、スキルアップや能力開発を含む概念、一番大きなところは「自分と向き合う」という意味合いで使用している。

そんな私も一年半前までは、「ギャップイヤー」の言葉さえ知らなかった。

当時の私がいたのは(一応)進学校の理系の進学クラス。周りは国公立の大学や難関大学を目指して、どんどん進路先を決めて、受験勉強に取り組んでいる。そんな中で、私はなかなか進路先を決めることが出来ず、どうしようと焦りながら悩む日々。

そんな中、私の何倍も沢山の経験をしてきた、お姉ちゃんのような、友達のような大切な頼れる親友に進路の相談をした。その時に教えてもらったのが「ギャップイヤー」というもの。でも、その時の私にはしっくりこなくて、なるほど~と頭の片隅にある程度だった。最終的に進路を決めたのは、部活を引退してから。
クラスの子達よりも、一歩も二歩も出遅れながらも受験に向き合った。

友達や仲間と切磋琢磨して、総合型推薦や公募推薦、一般入試の前期を含めて計5回の受験を経て、結果は全て全落ち

総合型推薦も一般入試と同じように、志望理由書や面接練習を何度も練習。
夜遅くまで友達と塾で勉強して、休日は家を出て友達と「頑張ろう」と言いながら何時間も勉強した。友達と励まし合いながら、クラスの仲間が頑張る姿にやる気を貰いながら、一生懸命頑張った。
だからこそ、当時は本当に悔しかったし、あんなに勉強も頑張ったのに…という気持ちでいっぱいだった。
同時に、もっと勉強できたんじゃないかな。努力が足りなかったのかな。と自分の事を責める時もあった。

そんなことを思っている暇もなく、次の後期受験の志望校を決めなければならなかった。
でも、なかなか志望校探しに向き合えなくて、頭ではわかっていても体が言うことを聞いてくれないような感じ、心が同じ方向を向かないような感じで。しんどかった。
同時に何が学びたいのか、どこの大学に行きたいのかが分からなくなってしまった。
両親は、本当に行きたいのなら私立の大学も応援してくれた。けれど、高い学費を出してもらうのに、中途半端な気持ちで、なんとなく大学に行くのは違うと感じたし、自分の中では許せなかった。受験に落ちたことでまた落ちたらどうしようという怖さもあったんだなって、今になって思う。

そして、再び親友に相談した。その時に自分の中に出てきたのが、ギャップイヤー。
もちろん後期受験を受ける選択もあったけど、1年間ギャップイヤーをとる、と自分自身で決断した。

これまでも自分で選択、決断してきたつもりだったけれど、よくよく考えてみたらそうじゃなかったなと。何か決めるときは誰かに相談して、いいねと言われればするし、反対されたらやめておく。責任を取るのが怖くて、いつも安全な方を選んできた気がする。

ギャップイヤーを取るのも簡単に決めれたわけではない。みんなは進学や就職する中で、みんなと違う選択をする怖さや先の見えない不安。もし1年後大学生になるとすれば、みんなよりも1年遅れてしまう。怖さや不安、心配も沢山あったけれど、それでもその時の私は一番納得のできる選択だった。

自分の意思を、決断を夜中に、泣きながらお母さんに話したとき、「葵の選んだ選択は全て正解。だから自信を持ちな。」と言ってもらったことを今でも鮮明に覚えている。他にも、お兄ちゃんから「恥ずかしいことじゃないから、堂々とすればいい。自身を持ちな」や「頑張ったことは忘れたらだめ。ゆっくり休みな~」と言ってもらえたことが凄くすごく嬉しかった。
もちろん学校の先生や塾の先生には、後期受験をすることを勧められたし、かなり心配された。
それでも、こんなにも私の事を応援してくれる家族がいて、自分の行きたい大学に行きなと言ってもらえる環境があって、一緒に頑張れる仲間がいて、今もずっと応援してくれる友達がいて…本当に恵まれていて、幸せだなと。
これが当たり前じゃないということは、ずっと忘れたくないし心に強くとめておきたい。

実際自分で決めたけれど、決めてすぐの頃はもっとできたんじゃないかって、自分を責めたり、あの時指定校推薦受けてたらな、なんて思ったこともあった。自分で自分自身の頑張りを認めれあげれていなかったんだと思う。

きっとあの時、一つでも大学が受かっていたなら、ギャップイヤーを取っていなかっただろうし、きっと今頃は大学生になっていたと思う。でも、全て落ちたからこそできた決断であり、ギャップイヤーを取ったからこそ出会う事の出来た方も本当に沢山いる。きっとあの時、指定校推薦を選択していたならば、受験という自分を成長させてくれる経験はしていなかったと思う。

正直周りの大学生を見ていて、いいなと思うこともある。
ずっと私の事を思って何度も何度も家族から大学の話をされた。そのたびに、上手く言葉が出てこなくて話せなくて、黙り込んでいつも泣いていた。「大学」というワードが出てくるのが怖いと思った時期さえあった。
でも、私が何で大学に行きたいのか、本当に心の底から行きたいのか向き合った時、私が大学に求めていたのは『安心』だということに気が付いた。それまでずっと「大学」に縛られてるようで苦しかった。実際に思い込んでいた、縛っていたのは自分自身なんだけれど笑
それが分かってから今までの苦しさがウソのように楽になった。きっと自分を知るってこういう些細な事なんだと思う。

その受験からもう1年。私的には、2.3年経ったような感覚だけれど、改めて今思うのは、世の中の受験生ってほんとにすごい。
きっと、一緒に頑張る仲間がいなかったら、あの時の私は頑張れていなかったと思う。「頑張れ」と言ってくれる家族が、友達が、応援して下さる方がいなかったら、乗り越えられなかったと思う。
それくらい、私は周りの方々に力を、エネルギーを沢山頂いていた。
本当ならもっと早くに報告して、ありがとうございましたと感謝を伝えるべきだったのかもしれない。遅くなってしまいましたが、この場をお借りして、お伝えさせてください。本当に本当にありがとうございました!

もちろんみんなと全く違う選択をして大変で苦しんだこともあった。5月17日。私の19歳の誕生日。もうそのころは、自分で自分の事が分からなくて、分からないことが怖くて、情けなくて苦しくて。沢山の星が見える夜空の下、一人で大泣きしながら誕生日を迎えたのを覚えている。

自分と向き合うってなんなのか、言葉だけ見ると簡単そうに思えるけど、実際は何なのかわからなくて。この1年を通して少しずつ自分「髙田葵」についてわかってきた気がする。

この1年は、和歌山県の白浜で3カ月過ごしながら、ホテルで働いたり、1カ月は岐阜県の下呂市で過ごしながら働いたり。実家で過ごす時間も長かった。私の中で5月、9月、10月は停滞期というか、動けなくて苦しい時期があった。もっともっと、考えすぎず行動、アクションすればよかったと最近まで思っていたけれど、私にとっては必要な時間だったんだと最近になってわかった。
沢山悩んで嫌でも自分と向き合って、何度も何度も心が折れそうになったし、分からなくなった。「今の葵は自分の軸が無い」と正直に言ってくれたあなた。(正直耳が痛くなるくらい刺さる言葉だったけど笑)「周りと比べなくていい」と言ってくれたあなた。「フリーターやん」と悪意なく言ってくれたあなた。
沢山の方の言葉を頂いて、沢山の事を感じたからこそ、私が大切にしたいのは、有名大学の名前や凄い肩書よりも自分自身の価値、「自分らしさ」なんだと気が付くことができた。
沢山の方に相談に乗って頂いて、支えて頂いて。周りに沢山の方がいてくれたから今の私がいられる気がする。

この1年、色んなことを学んで気が付いて知る事ができた。
まだまだ今の私はそのすべてを上手く言葉にすることが出来ないけれど、少しずつ、確実に前に進んでいる気がする。


本当はこうやって言葉を綴り、みんなの前に出すのは怖い。
ギャップイヤーを決断してから、どこか自分に自信が無くて、怖くて隠れるように生きている感覚がして。

3月にも、10月にもnoteを書こうと思ったけれど、周りからどう思われるかが怖くて、自分に自信が無くて断念した。
でも、これは本当のありたい自分の姿ではないとわかっていながらも、なかなかこの一歩が踏み出せなかった。

もっと自分のしたいこと、していることに自信を持って、誇りをもって、自分らしくワクワクしながら生きていたい。
昔からしっかり者や、賢いと言われることが多かったけれど、嬉しい反面、プレッシャーというかしんどくなる時も多かった。周りから見られる「髙田葵」と、私の中での「髙田葵」にギャップを感じていて、しっかりしなきゃって繕う自分もいた。弱い部分、強い部分どんな私も私なんだけれど、こんな私もいるんだよって知ってほしい。

時間が経つにつれて、記憶が薄れて、考え方や捉え方も少しずつ変わってくる。それでも少しでも当時の感情を経験を、忘れずに残していきたい。

今の私だからこそ、綴る事の出来る言葉がある気がしていて。
私が「ギャップイヤー」というものを知るきっかけを頂いたように、誰かの新たなきっかけや、勇気に少しでもなる事が出来るのなら、幸いです。

最後までうまくまとめる、気持ちや想いを言語化することが出来ず、長くなってしまいました。まとまり、を考え出すと終わりがないので、まず書き終えれたらOKにしようと思います。
まだまだ苦手分野ではありますが、少しずつ練習しながら、これからも
言葉を紡いでいけたらなと思います。
最後の最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました!

2023年数えきれないくらい沢山の方にお世話になり、ありがとうございました!
2024年も私らしく、あなたらしく笑顔いっぱいの1年になりますように…

ありったけの愛と感謝を込めて。
良い年をお迎えください。

2023年12月31日
髙田 葵



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?