語学学校CREFの仲間たち(ロシアで出会った人のこと・その1)
8月11日に秋雨が降ると、すぐに気温が低下して一気に秋めいた。朝は15度前後で、長袖に軽い羽織がないと寒いくらいだ。11日の雨は確かに秋雨だった。なぜ分かるかというと、降り方がこれまでの雨と明らかに違ったからである。夏の雨はスコールだ。どす黒い雨雲が近づいてきて、ヒューと冷たい風が吹くと一気に激しく降り出す。そしてすぐに止む。一方、秋雨はしとしとしとしと、冷たい雨が長い間降り続く。そんな雨が降って、モスクワはさわやかな秋を迎えた。
7年前の今ごろ、私はモスクワ中心部にある語学学校「CREF」に入学して、ロシア語学習を本格的に始めた。今はもう会えないであろうクラスメートたちのことを思い出したので、記録しておこうと思う。
▽キリル文字に恐怖
CREFはロシア語や英語、フランス語、中国語など多くの言語の講座を持つ、モスクワで最も信頼できる語学学校の一つだ。学校といえども2017年当時はとあるアパートメントの2フロアに展開するこぢんまりとした空間で、そこにさまざまな国籍の講師と生徒(子どもから大人まで)が集う、アットホームな空間だった。私にとってそこは、言語によって自分の世界が開かれていく(ことが感じられる)、とても楽しい場所だった。
ロシア語を学び始めた理由は、街中のキリル文字が読めず、バスに乗ることも、スーパーに買い物に行くこともままならないことに恐怖を感じたからである。モスクワにやってきてすぐの2017年7月ごろは、日本人の知人を介して知り合ったロシア語の家庭教師、リラ先生(「ロシアで出会った人のこと・その2」で後述)のレッスンを受けていたが、それだけでは量が足りないと感じ、秋口からCREFの短期集中グループレッスンに参加した。このクラスは駐在員とその家族向けに月曜から金曜の毎日3時間、最多6人のグループレッスンを行うハードなものだった。
▽クラスメートは地質学者や元水泳選手
担当講師はロシア人のアンナ先生で、年齢は20代後半くらいだっただろうか、くるくるとカールした金髪ボブスタイルが元気な彼女によく似合っていた。アンナ先生は教えるのがとても上手なうえに、ユーモアのセンスが抜群で、難解なロシア語を学び続けるモチベーションを保ち続けてくれる最高の講師だった。とはいえ、鬼コーチであった。ロシア語は格変化の数が多く、それを覚えるだけでも大変で、クラスメートはみんなふぅふぅ言っているのに、先生は「残念なお知らせだけど、ロシア語は例外も多いのよ」と不敵な笑みを浮かべ、どんどん先に進んでいった。彼女は褒めるのも上手で、渾身の「Харашо!」(ハラショー!・オッケー!の意味)「Маражец!」(マラジェツ!・よくできました!)「Отли́чно!」(アトリーチナ!・素晴らしい!)が忘れられない。
クラスメートはアメリカとフランスから来た20~40代(おそらく)の男女4人。アメリカ・テキサス州出身の地質学者ケントさんは、ロシア人の奥さんのご家族とコミュニケーションを取るためにロシア語を学び始めたという。彼も20代後半だったろうか。好奇心旺盛で少年っぽいところがあるため、女性陣は母性をくすぐられていた。「Why not?」(もちろんだよ!の意味)が口癖だが、レッスン中はロシア語に言い換えて「Почему нет?」(パチムー ニェット?)と言うので、私はいつも吹き出しそうになっていた。
ほかの3人はいずれもフランス人であるが、いつもニコニコしていてマイペースな職業不詳のジャンさんと、せっかち(?)で家族思いの主婦フェリシアさんは、正反対の気質を持つ姉と弟のようで、なかなかいいコンビだった。宿題をやってこないジャンさんはよく、アンナ先生ではなくフェリシアさんに怒られていた。もう1人は、アフリカ系フランス人で元水泳選手のシャルロットさんだ。ラジオフランス記者の夫のモスクワ駐在に帯同する形で、家族4人でCREFの近くのアパートメントに暮らしていた。なんというか、優しさと温かさが体全体からにじみ出ている人で、なんてハートワーミングな人がいるものだろうと思った。
▽シャルロット邸でクリスマスパーティー
そんなシャルロットさんが自宅で懇親会を兼ねたクリスマスパーティーを開くからおいでよ、と誘ってくれたのは12月のこと。イルミネーションで彩られた通りを、私は先輩(夫)と日本酒のプレゼントを持って、やや緊張しながらシャルロット邸を訪ねた。インターホンを鳴らしてドアが開くと、シャルロットさんが「みりん! よく来てくれたね」と言って、右頬を私の左頬に、左頬を私の右頬に優しく当てて、歓迎してくれた。これがフランス流のあいさつなのだろうか、すごくかっこいいと思った。リビングに通してもらうと、すでにケントさん、ジャンさん、フェリシアさんはそれぞれ家族や恋人を連れて集まっていた。シャルロットさんもジャーナリストの友人を招いていたので、彼女の家族を含め、総勢13人はいただろうか。残念ながら、アンナ先生の姿はなかった。
シャルロット邸は白を基調としたおしゃれな空間で、リビングの中央にある大きなテーブルには、彼女の手料理がたくさん並んでいた。立食パーティーの形式でワインや日本酒を飲みながら、参加者はそれぞれ、ソファに座って身の上話をしたり、シャルロットさんの旦那さんの書斎で紛争地取材の体験談を聞いたり、彼女の中学生になる娘さん(彼女も水泳選手)とおしゃべりしたり、リラックスして思い思いの時間を過ごした。
冬のモスクワで、まさかこんなに素晴らしいホームパーティーに招かれると思っていなかった私は感激した。文字通り一生の思い出になった。帰り際、シャルロットさんに「きょうは本当に楽しかったです、ありがとうございました」とお礼を言っていると、隣にもう一人、感激している日本人(先輩だった)がいて、「ぜひもう一回やってください!」と懇願しているので、シャルロットさんも、周りにいたみんなも苦笑していた。二回目は開かれなかった(いや当然でしょ)。それにしても、クリスマスのいい思い出である。
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