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モスクワ日本人学校バレエスタジオ(その2・千野真沙美先生のレッスン)

※「モスクワ日本人学校バレエスタジオ・その1」から続く

モスバレのレッスンが開かれている日本人学校

▽3回泣きついた
急遽、千野真沙美先生のバレエレッスンを体験することになった保育園児の娘・ポピ子は、小学5年の翔平くん・小学2年のさくらちゃん兄妹と小学4年の雄太くん、そして幼稚園児の亜衣ちゃん・麻衣ちゃん姉妹とともに、鏡張りのスタジオに入室した。保護者は室内に用意されたパイプ椅子に座って様子を見守る。

レッスンの前半はストレッチを兼ねたリトミックで、それぞれが床に敷いたマットの上に足を伸ばして座り、足の甲を上下に動かしたり、足を上げて胴体とV字をつくったりする。初めて参加した未就学児の3人は、どうしても猫背になってしまうので、先生から「お背中は板のように(真っすぐに)するんですよ!」と何度も注意された。

一人一人のフォームをチェックして回っていた先生に「背中を板のようにピンとして」と形を直されたポピ子は、目をうるうるさせて私の方を見たかと思うと、すくっと立ち上がり、ダッと走って抱き着いてきた。どうやら泣いているようで、小声で「帰る」と言う。まだ始まったばかりである。「もうちょっとがんばろうよ」と言っても「やだ。帰る」と言う。「先生、怒ってないよ」とか「じゃあここで一緒に見てようか」と声を掛け、10分ほどコアラ状態(私が木)を維持していると、レッスンはスキップの練習に移った。それを横目で見ていたポピ子はこれならできると思ったのか、涙を拭いて練習に戻っていった。これは意外であった。

それからしばらく見守っていると、今度は片膝を曲げて立つ練習に入った。先生は「膝を曲げて机のように(地面に平行に)するんですよ!」と言って、また一人一人のフォームをチェックして回る。再び注意されたポピ子、またも泣きながら私に抱き着いてきた。見かねた先生は「食べたりしないですよ」と声を掛けてくれ、私もポピ子に「ほら、先生食べないってよ」と繰り返した。何気なくこのセリフを言った時、私はハッと気が付いた。そしてポピ子の心情を理解したように思えた。なぜなら、この状況は私と「渋谷のおばちゃん」(故人)との関係性に似ていたからだ。
 
▽「渋谷のおばちゃん」の思い出
私がポピ子くらいの年齢の時、私の家族は、父の叔母である通称「渋谷のおばちゃん」夫妻が経営する東京・渋谷の喫茶店「アカシア」に出入りしていた。私の両親は若いころ、この店で修業し、独立して杉並で喫茶店を開業したため、両親にとっては第二の家のような場所だった。おばちゃんは声が大きくぶっきらぼうにしゃべるため、ガラスのハートを持っていた幼い私はたいそう怖がった。おばちゃんが「みりん、焼うどん食べるか?!」とか「ソーダ水飲んでいきな!」などと親切で声を掛けてくれても、その強力な雰囲気に圧倒され、震え上がって何も答えられなかった。父がふざけて「お前、おばちゃんに食べられちまうぞ」とからかうたび、小声で母に「早く帰ろう」とせがんだ。今振り返れば、おばちゃんは心優しく、繊細で、気遣いの人であった。だからこそ渋谷という街で10年以上も喫茶店を経営できていたのだろう。

そんなことを思い出した私はポピ子に「先生はポピ子が嫌いで言ってるんじゃなくて、上手になってほしいから、親切で言ってるんだよ」と、誤解を解こうとした。ポピ子は徐々に私の言っていることを理解したらしく、心配して来てくれた雄太くんに付き添われて、再びレッスンに戻っていった。そのあとまた泣きついてきたが、その時間は最初と比べて短くなり、なんとか適応し始めているようだった。一方、亜衣ちゃん・麻衣ちゃん姉妹は最初から最後まで落ち着いてレッスンを受けていたのだから、すごい精神力である。
 
▽「もうおしまいかなと」
レッスン終了後、「継続するかどうかはポピ子の気持ち次第だな……」と複雑な気持ちで先生にお礼をしに行くと、先生の表情は明るく、「同じ年代、しかも同じレベル(初心者)の子どもたちが3人も来てくれてよかったですよ。もうさくらちゃんたちで(モスバレが)おしまいかなと思っていたから」と言う。小学生3人のお母様方も後ろで頷いている。

なんと、さくらちゃん・翔平くん兄妹は、8月中旬にカザン(モスクワの東にある街)で開催されるコンクール終了後、すぐに帰国してしまうという。雄太くんは秋に帰国するというから、つまり、現役の小学生3人は数カ月以内に退会してしまうのだ。先生の安堵した表情を見た私は、「そうか、すごいタイミングで来てしまったのだな」と悟り、少し考えた。2009年から15年続いてきたという、日本人子女とその保護者たちがバトンをつないできたモスバレを、気分屋なポピ子の態度次第で潰してしまっていいのだろうか? 答えはノーである。こうして、ポピ子はモスバレに入会した(させられた)。(その3へ続く)

子どもたちはレッスン終了後に校庭で遊ぶのが好きだ


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