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モスクワ日本人学校バレエスタジオ(その1・千野真沙美先生に出会うまで)

モスクワ日本人学校バレエスタジオ(モスバレ)は会員募集中である。戦争でモスクワ日本人学校の生徒数が激減し(2024年度新入生は1人)、それに伴ってかつて20人以上いたというモスバレの会員も9人、5人と櫛の歯が欠けるように減っていって、今は娘のポピ子を含めて主に4~5歳の未就学児3人で活動している。

09年の設立以来、講師を務めるのは、国立ロシアバレエ団の日本人初プリマバレリーナ(主役を演じる最高位の女性バレエダンサー)であり、現在は同バレエ団の教官を務める千野真沙美先生(注1)だ。長男の円句(まるく)さん(注2)はボリショイバレエ団のファーストソリスト(主役やソロを演じるバレエダンサー)として活躍している。日本バレエ界の至宝による情熱的なレッスンが「先生、ボランティアですか?」と言いたくなるほど良心的な価格で受けられる、モスバレが今、会員を激しく募集中なのだ。
 
▽YouTube漬けの毎日
バレエとは無縁の人生を送ってきた私が、なぜ娘にバレエを習わせることにしたのか。発端は、モスクワに到着したばかりの7月上旬のこと。保育園の入園手続きを待っていたポピ子(娘)は毎日、自宅のソファに寝そべり、日本から持ってきたiPadでYouTubeを6~7時間は見ていた。公園の数は日本と比べてかなり少なく、あったとしても小規模で、時間を潰すには頼りない存在だった。また、私はシングルビザからマルチビザへの切り替え手続き中で銀行カードを作ることができず、ほぼ完全にカード社会と化したモスクワで、ポピ子とアイスクリームを食べに行くことも、おもちゃを買いに行くこともできなかった。

ところで、日本にいた時はポピ子にいわゆる「習い事」をさせたことはなかった。共働き家庭で忙しく、平日に保育園を早退させてまでピアノや水泳をさせるなんて考えたこともなかった。むしろ、習い事を二つも三つもさせたら子どもが忙しくなって気の毒だろう、ぐらいに思っていた。唯一の例外は、先輩(夫)のモスクワ赴任が決まり、日系保育園がないことから、社宅近くのインターナショナル保育園(ロシア語と英語を使う)に入園する見通しとなった時に、最低限、「トイレに行きたい」とか「水が飲みたい」などと言えるようにするため、近所の英会話教室に入れたことだろう。それだって、多忙な我々にとっては苦渋の決断だった。
 
▽「習い事」にすがりたい
しかし、モスクワで毎日ずっと動画を見てゲラゲラ笑っているポピ子を見ていると、このままでは廃人になってしまうのではないかと、さすがに心配になってきた。そんな親心を知ってか知らずか、ポピ子は無邪気に「将来はゲーム実況者になりたい」と言う。いや、別にいいけど……。私はそこで初めて、「習い事」にすがりたい気持ちになった。ピアノ、水泳、なんでもいい。何か彼女を外に連れ出すチャンスはないだろうかと思うのだが、この広いモスクワのどこに教室があるのかも分からない。ましてや言葉の壁はどう乗り越えるのか。

そんな時、先輩の事業所に彗星のごとく現れたのが、モスバレに通う小学4年の雄太くんだった。取引先の息子さんで、お母様に伴われ、まもなく離任する所長の送別に来てくれたのだ。雄太くん一家も秋には帰国してしまうという。彼と面会した先輩によると、日本に帰れてよろこんでいるかと思いきや、意外にも彼は「モスクワでバレエが続けられないのが残念」と語ったそうである。そして「今度、カザン(モスクワの東にある街)でバレエのコンクールがあるんです」とも。モスクワを離れるのが残念になるくらい打ち込める習い事があるの?――先輩と私の心はざわついた。
 
▽バレエシューズがぴったり
「きょうモスバレの練習があって、ポピ子ちゃんと同い年くらいの姉妹が見学に来るんです」と、雄太くんのお母様から先輩に連絡が入ったのは、その数日後のことだ。先輩から一報を受けた私は「この機を逃すな!」とばかりにポピ子を着の身着のままで連れ出し、雄太くんのお母様の車に同乗させてもらって放課後の日本人学校に向かった。

ポピ子と同じ5歳の亜衣ちゃん、4歳の麻衣ちゃん姉妹は動きやすいTシャツにレギンスを着て、運動する準備ができていた。Tシャツ・短パンでやってきたポピ子には、小学5年の翔平くんと小学2年のさくらちゃん兄妹のお母様が、ロッカーに予備で保存されていた薄紫色のレオタードと薄ピンク色のバレエシューズを貸してくださった。それらは驚くほど、ポピ子にピッタリのサイズだった。こうして、見学だけだと思っていたポピ子は練習着を与えられ、急遽、千野先生のバレエレッスンを体験することになった。(その2に続く)

 
(注1)   千野真沙美先生に関する参照記事

ロシア・ビヨンド「ロシアとバレエに人生を捧げた日本人バレリーナ、千野真沙美さん」(https://jp.rbth.com/arts/82276-ballet-prima-masami-chino

神奈川新聞「国立ロシアバレエ団の日本人初のプリマバレリーナ、千野真沙美さんが自伝出版」
https://www.kanaloco.jp/news/culture/entry-137794.html

毎日新聞「日露の架け橋(5) 50歳で目覚めたトップへの野心」
https://mainichi.jp/articles/20190419/mog/00m/030/009000c

(注2)千野円句さんのインスタグラム(https://www.instagram.com/maruku_chino_?igsh=b2tnYTQ1d2cwd3Fn


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