本の読める場所を求めて〜阿久津隆〜
本を読む時、どこで読みますか?
最近、本を読めていますか?
1人でいる時はたくさん本を読むけれど、
誰かといる時間が長くなると、本を読めなくなる。
あと、人生に余白がないと、
本は読めない。頭がいっぱいになって。
そして、静かな場所。
誰にも何にも邪魔されない場所。
そういう、自分も周りもコンディションが整って、
やっと、「本を読むこと」に辿り着ける。
この本は、ある京都のカフェ店主に、家に持ち帰って読んでいいよ、
と貸してもらったことがきっかけで、出会い、読むことになった。
自分でも、驚きだが、
実は、2年前、本を読める場所(初台のfuzkue)に行ったことがあった。
そういうわけで、当時のことを思い出しながら、書いてみます。
1. どんな本?
この本は、"ガチで"本を読む理想の場所作りをしている
東京の初台にあるfuzkueというお店の創業者が書いている。
世の中には、ブックカフェと謳っていたり、
ゆっくりしていってくださいという文言つきのカフェ・喫茶が存在する。
そういった場所は、
時に、読書に心地よい環境になる。
一方で、誰かにその空間を壊されることもある。
人の話は気になるし、音も、香りも、お金に対する占領時間も常連も…
とにかく、いろいろ気になる。(よくわかる🙂↕️)
では、何にも気にならずに、本を楽しむことができる場所はどうやってできるか。
この本は、そうした場所はない、と感じた阿久津さんが、
本当に本を読むための場所を作るにあたり、
自身の原体験を交えつつ、どのように本を読むための場所をよりよく改善し、
自身の生活を支える仕事にしていったのか、その足跡が書かれている。
詳しい内容は、ここでは控えるが、
この足跡を書く、伝える、という行為そのものが、
私たちの本を読むための場所に対する考えを、より鮮明に、そして新たな視点で、共感をもって書かれているので、読書好きはぜひ一度自身の手にとって読んでほしい。
2. 読書を楽しむための場所がない
映画を見るためには、映画館があって、
コーヒーを楽しむためには、カフェや喫茶店やコーヒーショップがあって、
作品を楽しむためには、美術館があって、
作業をするためには、コワーキングスペースや会員制のカフェがあって、
歌を歌うためには、カラオケがある。
そんなふうに、何かをするためには、何かをする場所がある。
では、読書はどうか。
おそらく、外の環境にはほとんど、ない。
誰もいない、家の中くらいだ。
外の世界には、いつでもどこでも、本の中の世界に、
誰かや何かが入り込んでくるかもしれないというそんな不安と、
不安にとどまらず実際に入り込んでくる誰かや何かがある。
例え、今日はゆっくり家で本を読もうと思っても、
洗い物や洗濯や明日の準備や、もうその他いろいろ。
いつだって、どこだって、
何かや誰かが自身の読書を邪魔してくる。
3. fuzkueというお店
というわけで、
誰にも何にも邪魔されず、読書だけを楽しめるお店が、
初台のfuzkueというわけである。(行ける人は限られるが…)
このお店を機に、この店主の考え方をもとに、
もっともっと、全国に本を読める場所が増えたらいい。
けれど、この本を読む前の、fuzkueに対するイメージは違った。
あんまり、いい客じゃない。多分。
実際にどんなお店かが気になる人は、調べてみてほしい。
一方で、本を読んだ後は、
そういうことだったのか、と納得する部分もかなりあった。
消費社会、資本主義社会を生き、
コスパを重要視する人がそもそも対象として外れているんだ、という感覚。
本を読む場所は、確かにないのかもしれないという感覚。
家族ができても、1人になれる時間がほしいなという感覚。
悩みとして無意識に感じていたことが、
言語化され意識された感じがする。
もう一回、お金を持っていってみたいな、と思う。
京都に住んでいるけれど。
大学生始まった頃に、この場所を、お金が高くてどうしようとも思ったけれど、
経験として捉え、緊張しながらも本をそこで読んでいた私。
とても不思議な気持ちだ。
緊張感がある中だから、本を読むのに最適な環境になるのかもしれないけれど、
カラオケくらい気軽に、どこにでも本を読める場所があったらいいな。
潰れたカラオケを改装して、本を読む1人空間作ろうかな。
また一つ、やりたいことが増えた。
本を読むための場所を、もっと気軽に、作りたい。
本を読む場所を誰でもが選べる世界が、
小さい頃から当たり前にある、
そんなくらい、当たり前に思われるような読書空間が
いろんなところにあってほしいと思う。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました☺️✨
追記: 図書館は?と言われたので。
図書館で本、集中して読めたことありますか?
私は、ありません。
阿久津さんは、地域の人が(本読んでたと思ったら)お昼寝してしまう場所、勉強する場所で、本を読むための場所ではない、というふうに書いていました。寝息聞こえたり…。
私が思う集中できないポイント(本を読むことにのみ価値を持たせられないポイント)は、選べる本が多すぎること、新聞や雑誌を読む地域の人が集まりがちなこと、学生で勉強に使いたい人が多いこと、何よりも無料であり、サンクコスト的なもの(お金払ったからしっかりやろうという動機づけ)がほぼないからというふうに感じます。
あとは、読書空間が決まっていて、誰とも一緒に空間を作っていけないし、途中でコーヒー飲みたいお腹空いた喉乾いたと思っても、多くはコンビニで買うくらいなので、そこまで飲みたくない食べたくないものなのに、欲を満たすために割と高いお金払ったけど満足感ないなぁ…というようなことが、起こるからだとも思います。
もっと居心地いいとこで本ゆっくり読みたいなぁ
が拭いきれない。
自分労り感がない。
(イメージは、体育館用意したから、ガチで運動したい人ここでしてください、に対して、集まる多くは地域の高齢者か小学生で、特にルールもなくわいわいしていて、無秩序で、どこでガチの運動できるん?みたいなのに近い。
自販機に置いてあるの、カロリーゼロのスポドリ?
いや、運動中のエネルギーや電解質を補給できるスポドリ、運動後の筋肉補修するプロテインはないんかい、的な…。(※私は割とガチ体育会人間なので、もし仮に運動ならで例えました))
そう、だから、地域に開かれていて無料って、ガチに対してはむしろ居心地悪くすら感じることありませんか?という話になるのかなーと思います。