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女性のファッションに革命を起こした「モードの帝王」ポール・ポワレ


こんにちは。
ご覧いただきありがとうございます。
シャネルの第4話では1908年から1918年を取り上げました。

時代背景がわかると面白いので、服飾史の「かなめ」となる部分を扱おうと思います。シャネルが表舞台に出た1900年代初めは色々なデザイナーが交錯していて面白いです。

今回はポール・ポワレを取り上げます。簡単に書こうと思っていたのですが、かなりのボリュームになってしまいました。

ではどうぞ☕️



「モードの帝王」


1789年にフランス革命が起きた結果、1800年代はこれまでの基盤は揺るがされ、女性の服装は目まぐるしく変わっていった。

ガブリエル・シャネルはその末期、1883年に生まれた。つまり、1900年代を通してクチュリエ*として活躍したことになる。

*クチュリエ(couturier):縫製師。あるいは服飾分野で働く職人のこと。主にパリのオートクチュール組合に加盟するデザイナーを指して用いられる。著名なデザイナーはグランクチュリエ(大クチュリエ)と呼ばれる


同年代のクチュリエに、ポール・ポワレ(Paul Poiret)という人物がいる。シャネルより4才年上で、モード史においては欠かすことのできない存在である。

ポワレは女性の身体をコルセットから解放した「モードの帝王」だ。

ファッションの概念を変える


いつの時代も、女性は美しい体型を追求してきた。特にヨーロッパでは、コルセットで非常に細いウエストを作った。これを男性からの抑圧とする声もあるが、女性にとってもスタイルが重要だったのは間違いないだろう。

時々のドレスに合わせて形状は変化しているが、1800年代のモード誌を見ると、コルセットの型紙のウエストのサイズは約48cm〜58cmで、本来のサイズから15cmほどしぼっていたと思われる。

1907年のコルセットメーカーの広告(中央)
ウエストがかなりほっそりしていることが伺える
1891年のコルセット
1945年Miss Marion Hagueにより寄贈
メトロポリタン美術館所蔵

同時に身体への負担や危険が指摘されてもいた。パリのオートクチュール界が初参加した1900年のパリ万博では、最新の医学や技術を用いて改良したアンダーウェアが多数展示された。

そんな中、ポール・ポワレは1906年、コルセットを使わないハイウエストなドレスを発表。女性たちのスタイルに大きな変化をもたらしたのだった。

ポワレは脱コルセット時代の服として、昔の時代の服装や東洋の衣服を参照した。

丁度アールデコ*の時期とも重なり、グラフィカルな刺繍や原色使い、「キモノ」コートや「孔子」コート、ハーレムパンツなど、オリエンタルな要素をふんだんに取り入れた独創的なアプローチを取っている。

*アールデコ(art deco):1910年代から1930年頃に興った芸術スタイル。幾何学図形や原色、古今東西の美術を掛け合わせたアートが特徴。産業化へのアンチテーゼとして起きた手工芸の復興(アーツアンドクラフツ)運動、自然からモチーフを取った新しい芸術様式(アールヌーヴォー)に続いて登場した

少しマニアックにはなるが、興味のある方はパリ市立 ガリエラ美術館・モード&コスチューム博物館が所蔵するポワレのドレスの構造を研究した論文も参照してほしい。


ポワレの作品ギャラリー


ここで少し実物を見てみよう。

Rodier社製リネンクレープショートドレス
パリ市立 ガリエラ美術館・モード&コスチューム博物館
1912年


ラメ刺繍入りショートドレス
パリ市立 ガリエラ美術館・モード&コスチューム博物館所蔵
1919年


布を重ね合わせたドレス
紫の布には中国風の柄が、
金の布にはクリムトの刺繍が入っている
パリ市立 ガリエラ美術館・モード&コスチューム博物館所蔵
1919年


イブニングドレス
1986年頃エレーヌ・ドゥ・グラモン公爵夫人(旧姓エレーヌ・グレフュール) 遺品より寄贈
パリ市立 ガリエラ美術館・モード&コスチューム博物館
1922年


V字に空いた胸元、肩のストラップ、刺繍、テクスチャーのある素材といった部分にこだわりを感じる。シルエットについていえば、今と大きくは変わらなそうである。


時代の境目 


実は、独立する前の数年間、ポワレは「オートクチュールの父」と呼ばれるチャールズ・フレデリック・ワース(Charles Frederick Worth)が創設したメゾンで働いていた。

しかし面白いことに、1900年頃のワースのドレスと1910年代のポワレのドレスを比べてみると、20年しか変わらないにも関わらず、全く別時代な感じがする(年数の開きでいうと、今とY2Kファッションといった感じだろうか)。

メゾン・ワース
イブニングドレス
メトロポリタン美術館所蔵
1976年Miss Eva Drexel Dahlgrenにより寄贈
1898年〜1900年

メゾン ポール・ポワレ
布を重ね合わせたドレス
パリ市立 ガリエラ美術館・モード&コスチューム博物館所蔵
1919年


1900年代に入って、大きく変わっているのがわかる。

ワースの場合は、厚みのある生地をふんだんに使って、丸く立体的に仕上げているのに対し、ポワレは薄い素材を重ねつつ、直線と曲線を合わせて軽やかな仕上げになっている。

ワースの顧客はウジェニー皇后やエリザベート皇后などの王室貴族たちだった。彼女たちは単に自分が着たい服を買いにやってきていたわけではない。立場上見られることを意識した衣装を必要としていた。

エリザベート皇后
ワースのボールガウンを着ている
フランツ・ヴィンターハルター
美術史美術館
1865年

ポワレはワースにいたときも、着物風のデザインを提案して王女に断られていたようだ。しかし、1903年に独立して、その作品が世に受け入れられたことを考えると、1900年代は衣服に対してまったく異なった機能が求められるようになったことが分かる。

コルセットからの解放は、すべての女性にとって想像以上に画期的な出来事だった。洋服の機能が変わり、外で働く女性たちを後押ししたのである。

おまけのはなし


ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は初めての服飾史シリーズです。

各美術館が公開しているおかげで写真をたくさん使用することができました。
細かいところまで見ていただきたく高画質な写真を載せているため、読み込みに時間がかかります。すみません。

ワースのドレスもポワレのドレスも繊細な刺繍が入っています。今でも各メゾンのクチュールコレクションでは刺繍がたくさん使われています。

ワースのドレスの刺繍


今回はアールデコの話が出ましたが、日本のアールデコ様式の建造物である東京都庭園美術館が、明日2024年9月14日から建物公開みたいですね。今度行ってみたいと思います。

また今度このシリーズでは男性服の革命についても取り上げてみたいです。


参考文献:
キャリー・ブラックマン(2012年)『ウィメンズウェア100年史』桜井真砂美 訳、スペースシャワーネットワーク。
古賀令子(2004年)『コルセットの文化史』、青弓社。

表紙画像:
モーニングドレス Brooklyn Museum Costume Collection at The Metropolitan Museum of Art, Gift of the Brooklyn Museum, 2009; Gift of the Princess Viggo in accordance with the wishes of the Misses Hewitt, 1931
画像:
コルセット Gift of Miss Marion Hague, 1945
ワースイブニングドレス Gift of Miss Eva Drexel Dahlgren, 1976

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