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『「まんなか」でいることも、大切な答えです。』ー「軽井沢高原教会」HPより

通勤電車内の広告にあったこの言葉を、しばらく見つめていた。
「まんなか」でいてもいいんだ。
これまで自分の中に当たり前にあったしこりのようなものが、ふわっと柔らかくなった気がした。

私は、好きな人・嫌いな人をはっきり分けて接することがとても苦手である。
こちらから積極的に「嫌い」だと思う人はほとんどいないので、積極的に連絡を取らないという姿勢を取ることはあっても、頂いた誘いや厚意を無視したり断ったりすることはほぼない。

逆に、嫌われたり避けられたり攻撃されたりする(と感じる)ことはしばしばある。
学生時代は苦手な体育の授業や部活動の場で、社会人になってからは苦手な仕事の場で、「できない」ことを責められる(と感じる)辛さを抱えてきた。
責められる原因は自分にあると思ってきたので、責めてくる(ように見える)相手に対して苦手意識を持つことはあってもこちらから責めたり嫌いになったりすることはなかった。
それは、昨年パワハラを受けて辞めた会社の社長に対しても同じだった。

その会社での仕事はパソコン作業を基本としてはいたものの、紙やホワイトボードを使用するものも多く、同じ情報を複数の媒体で管理していた。
それを言い訳にするつもりはないが、媒体の1つまたはそれ以上の更新が抜けてしまうことがたびたびあり、そのたびにひどく叱られた。

でも、いちばん大変だったのは、取引先とのアポ調整や受発注の加減、郵便物の発送や電話のタイミングを「空気を読んで」決定したり、言葉は悪いが「嘘も方便」的な場面に対応することだった。
20代~30代前半の若い新人さんだったら、これらの「塩梅」が初めは分からなくても徐々に身につけていけばいいと判断されるのは自然なことだと思う。
でも、50代になろうとしている人間ならこのくらいの判断はできて当然であり、それができないというのはどういうことだと毎日のように罵倒された。

私は「臨機応変に対応する」ことが若い頃からとても苦手で、自分でも「なぜこんな簡単なことが判断できないんだろう」と情けなくなることが本当に多い。
社会人経験は少なくないはずなのに、いざそのような場面に遭遇するとどうしていいか分からなくなってしまう。

「50年近くも生きてきて、今まで何をしていたんだ。
派遣社員として入社したお前にかかっている人件費は高いんだ。
この程度の仕事もできないなら若いバイトの女の子を雇った方がよっぽどいい。」
そんな言葉も何度となくぶつけられた。
間違った判断やいい加減な対応をして会社に迷惑をかけてはいけないと、社長の指示を仰ぎにいくたびに呆れた顔をされ、「お前、(頭は)大丈夫か?」と真顔で聞かれた。

ひどく叱られるたびに落ち込んだけれど、社長の言うことが全て間違っているとは思えなかった。
私は今まで自分の判断に自信がなかったから、人に判断してもらうことでその場をしのいできたところがある。
社会人歴が長くても、その中身においては「自分で判断し、その責任を自分で負う」という経験が圧倒的に少なかったのだ。
日々の「罵倒めいた叱責」には、そんな私を鍛え直そうという社長の意図が少なからずあるのではと感じていたことも事実だった。
だから、会社での出来事を前職の先輩に話した時「それは明らかにパワハラだよ!」と言われても、「そうなんです!」と素直に肯定できない気持ちがあった。

けれど、常に「ぎりぎりの判断」を迫られる緊張感に追い詰められ、「もう耐えられない」と感じることが増えていった。
取引先への請求漏れの責任を取れと言われ、6万円ほどの金額を自腹で負担するという約束をせざるを得なくなったとき。
(実際に負担することはなかった)
取引先への請求書必着日に間に合わない可能性が出てきて、「支払いがされなかったら翌月まで待たなければならない。その間に資金が回らなくなって会社に損害が出たらお前の責任だからな。これから電車に乗って届けに行ってこい」と言われたとき。
(これも実際に行くことはなかった)

入社して3か月が経とうとしたその日も同様にミスの責任を取れと追い詰められ、私は絞り出すようにして「これ以上会社に迷惑をかけられないのでもう辞めます」と言った。

そこからは、ある意味「本物のパワハラ」だったと言えるかもしれない。
体への直接的な被害こそなかったものの、机を蹴られたり、椅子を押し飛ばされたり、バインダーで顔を小突かれたり、カバンでお尻を殴られたりしたこともあった。

社長のパワハラめいた振る舞いは、私が途中で諦めてしまったことへの無念さの現れでもあったのではないかという思いもある。
この会社は建設業に関係のあるところだったので、その業界を知らない人にとっては「パワハラ」であっても業界的にはごく普通のことだとされる振る舞いだったのかもしれない。
それが業界の常識・当たり前とされ、悪意ではなくしつけ・鍛錬と言われるレベルだったのかもしれない。

辞めると伝えてから後任の方が決まるまでの2か月間はそれこそ地獄のようだった。
そんな中、自宅で経理を担当している社長の奥様から仕事の依頼が入った。
過去10年間の書類の中から必要なものを探し出してほしいとのことだったのだが、その資料は小さなプレハブ倉庫の2階にあり、ボロボロになったいくつもの段ボールに詰め込まれていた。
目的の書類は20件ほどあったと思う。
梅雨時期の晴れ間にはかなりの室温になり、2時間も作業すると全身汗びっしょりになった。
ただでさえ追いついていない仕事の合間をぬってやらなければならなかったのでかなりの負担ではあったが、奥様がとても明るく優しい方で「忙しいのにごめんね、暑いから無理しないでね」と気遣ってくれることに救われた。

3日ほどに分けて何とか作業を終え、ホッとしたのもつかの間、数日後に奥様から再度の依頼が入った。
探し出した書類では不十分だったので(私の作業ミスではなく、あとから分かったこと)、もう一度探して欲しいとのことだった。
公的機関に提出するものらしく、担当者のOKが出るまで繰り返さなければならないらしい。
この時点で3回目以降の作業の可能性も覚悟して取り組んだ。

一方、社長からは倉庫の整理も頼まれていた。
今回の作業は数年おきに発生するものなので、定期的に点検しておかないと次回以降大変なことになる。
予想どおり依頼された3回目の作業を済ませたところで整理に取り掛かり、これも3日ほどに分けてどうにか終わらせた。
ついでに、乱雑に積まれていた梱包資材も仕分けして使いやすいように整えた。
数日後、社長から「倉庫をきれいにしてくれてありがとう」との言葉を頂いた。

退職まであと数日となったある日の朝、社長から手提げの小さな紙袋を渡された。
その中には、某大手筆記用具メーカーの名前が書かれた長細い箱が入っていた。
奥様からのプレゼントだとした上で、社長は言った。
「お前は字がキレイだったからな。
これまでだいぶ厳しいことを言ってきたが、ここで学んだことを今後の人生に生かしてほしい。
俺も、ここまで叱るのは本当に大変だったから。」
それまでも叱られるたびに泣いていたが、このときは本当に号泣してしまった。
プレゼントは、赤い花柄のきれいなボールペンだった。

奥様とは最後まで直接お会いすることはなく、電話でのやりとりのみだった。
プレゼントのお礼を伝えると、奥様は今回の資料の準備についての感謝と共にこんな言葉をくださった。
「みまりいさんがいてくれて本当に助かっていたのよ。
プレゼントはたいしたものじゃないけれど、時々会社のことを思い出してもらえたらと思って・・・。
ここまでいろいろ大変だったと思うけど、もしよかったら何かあったときにまた声をかけてね。」
この時も、涙を堪えるのに必死だった。

社長と私とのこれまでのやりとりについて奥様がどの程度ご存じだったのかは分からない。
私が辞めると決める前、ミスを連発して経理の仕事にもご迷惑をかけてしまったことがあった。
そのとき社長は「あまりにもミスが続くと俺もお前を守り切れない」という意味のことを言っていた。
その言葉から、会社運営上お互いに干渉しない部分を決めているのだろうと思った。
それでも、状況を何となく感じ取っていらしたのだろう。
最後まで優しい言葉をかけ続けてくださったことに、感謝しかなかった。

こんな温かい出来事でこれまでの半年を締めくくれるのかと感激していたのもつかの間、最後の最後に大きなミスをしてしまい「怖いから早く辞めてくれ」と言われて最終日を終えた。

この半年間で心身共に大きなダメージを受けたことも、そのために退職したことも事実だが、「パワハラのせいだった」と言い切ってしまうことには抵抗を感じていたこともまた事実だ。
退職に至った経緯についてはnoteの過去記事でも何度か触れているが、さらりと書けるボリュームの内容ではないと思ったのであえてそこに含めなかった。

ここまでの経緯があっても、やはりパワハラには違いないと捉える人もいるかもしれない。
半年間も我慢せずに、さっさと辞めてしまう方が良かったのかもしれない。
「イヤだ、辛い」と思った時点で無理をしない選択をするべきだったのかもしれない。
でも。
こんなとき、私はやっぱり「まんなか」を取ってしまうのだ。
辛くて苦しかったのも確か。
でも、それだけではなかったのも確か。
どんな選択が正しかったのか、最適だったのか、「これが答えだ」とはっきり言いきれない。
こんな自分だからいつも困ったことになるんだよなあ・・・
と、最終的には自分を責めて自信をなくすところに落ち着いてしまう。

人間関係においても、両者の間で板挟みになったときにウロウロもやもやしてしまうことが多い。
どちらにも良い顔をしたいというわけではなく、どちらの言い分も分かるから、どちらの味方にも敵にもなれないのだ。
「八方美人」と思われるかもしれないが、「まんなか」でいることが自分の本心に一番近いのでそうするしかない。
もやもやを抱え続けることになるのでこれもまた辛いのだけれど・・・

そんな自分を、タイトル名の言葉が救ってくれた。
「まんなか」でいることを自分の答えにしてもいい。
もやもやと一緒にいてもいい。

今の職場でも、早くも板挟みになりそうな気配がある。
自分の気持ちに正直になることが「まんなか」にいることだと感じる場面もあれば、誰かに同意することが納得できる答えになることもあるだろう。
その時々でしっくりくる心の置き所を見つけられればいいなと思う。

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