切り離すと消えてしまう
こんにちは、今日は5時に起きれなく、ひとりの時間がとれなかったので、昼から書き始めました。今日は書いておきたいテーマ、「切り離すと存在自体が消滅してしまう」なにかについて書いていきたいと思います。頭がしっかりしているので論理だてて書こうとしてしまうのですが、これまでと同様しっかりだらだらを心掛け、おもいつくままに書いていこうと思います。
2項対立はその2項対立のままで存在を成立させている。片一方が絶滅してしまうと、もう一方が存在意義をなくしてしまう。思いつくままに列記すると、善と悪、陰と陽、右と左、上と下、貧困と富裕、女と男などがあげられる。躁と鬱もそれにあたるかもしれない。鬱的な状態が躁的な状態を補完しており、鬱の状態になると、自信を欠如して、それを埋めるために躁の人格が作られる。創作することはその欠損の大きななものを埋めることと解釈できる。村上春樹さんもよくそのように言っている。闇は闇のままで尊い。光を当てて救済する行為。自分では手一杯であれば、誰かに頼ることも必要だし、自分で解決しなければ先に進めないという局面もタイミングによってはあるだろう。人間みな、なんらかの行為をしなければ生きていけないし、その作業は社会彫刻的な観点では生きることはすべて創造行為である。社会における人間は凸と凹の関係にあり、その積み重ねにより、なにかのきっかけにより止揚により高次に次元が上昇する。
魂と肉体は切り離すとどうなるのか、生命体としての肉体は存在を維持できなくなります。魂はどうなるのか、消えてしまうのか。そうではないだろう。肉体には魂が必要だけど、魂は対する「もの」がみつからない。消えてほしくないと思っているからだろうか。空気と生物の関係も似たようなものでしょうか。いや、違うだろう。そもそも魂は「存在」に対する概念なのではないか。イデア、時空を超越した非物体的、絶対的な永遠の実在として。今、存在していると実感している心のことで、肉体を持って生命活動をしている当の自分自身は魂をもっており、存在も同時にしている。魂がなくなれば、存在自体がなくなる。存在していたという記憶が魂の正体なのではないだろうか。。。
とりあえず考えて書きました。正解はわかりません。
自分の頭で考えることが重要だと思っているから、まず自分の頭で考える。その後に先人の知にアクセスする。とてもめんどくさいことを小さなころからやっていて、いかにも鈍くさいのだけど、考える力がついてくるから、なんでも考えてみる。
ひたすら思うままに書いていくことは無駄かもしれませんが、自分を癒す行為には間違いないと思っているので、今後も継続していこうと思っています。
今日もありがとうございます。