自分以外の何者かを語る

 ー私は変態小説の書き手を自認しているものの品のない作品は嫌い。
 私が20年来、愛してやまない芥川賞作家吉村萬壱さんの名言である。吉村先生は、私が大学時代を過ごした第二の故郷京都の大先輩でもある。
 元教員でもある吉村さんらしい。さすがである。誤解されがちな日本語を区別されている。つまり、単なる変態は芸術ではないとも仰っている。何とも上手くまた端的に言い表している格言だ。
 私の吉村作品好きはさておいて。
 他人の作品を、いや誰かを無性に語りたくなる時ってある。
 古賀裕人氏(私設文学賞通称『古賀コン』主宰)

 ユニークな視点をもつ優れた読み手であり、またやや変態志向のある書き手でもある。
 私も変態的(あくまでも芸術に対して)志向をもつところがあり、大いに共感する。
 ただ、私の場合は後天的な変態(?)で吉村作品及び吉村先生X(旧Twitter)が無ければノーマルな人間のまんまだったかもしれない。
 (吉村作品紹介レビューはまた別稿にて書かせて頂きたい📕)
 本稿の主題が吉村氏なのか、古賀氏なのか、はたまた変態なのかよく分からなくなってきた。

 結論から言ってしまうと、古賀裕人氏の作品の中で今まで一番感銘を受けた作品が今回ご紹介する掌編小説『ギョク』である。

 ネタバレにならないようにご紹介申し上げると、生まれつき肉体のある部分に激しいコンプレックスを持つ或る男性が他人を通じて成長していく純文学小説である。
 普段あまりテーマになり得ない人間のある箇所なのだけど、作者が懸命に描いていることが伝わる。何か形にしたかった想いをヒシヒシと感じることが出来た。通じてくる。通じてますよ。古賀さん。決して、恥ずかしいなんて思わないで沢山のnoterに『ギョク』を読んで頂きたい、芸術として捉えて欲しい。
 「これは、芸術!」
 読んで頂く方々にそう思わせたなら、作者の『賭け』は間違っていないし、沢山のコアなnoterにも趣向的マニアック小説『ギョク』が万感の拍手をもって受け入れられるはず・・・。
 個人的には、昨夜から何度も読んで、主人公の儚くとも力強く生きる姿に涙した💧

 もっと言うと、
 こんな想いで、私は『ギョク』を読んでいた。願っていた。自らを重ねながら。

 変態が、いつか芸術に成り変わりますように。

 本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 【了】

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