![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/166802503/rectangle_large_type_2_26d0ec3bc440621f34fdaebcf3ae8c0e.png?width=1200)
直木賞作家 渡辺淳一さんの思い出【エッセイ】
※本文1,831字。
昔から小説小僧だった。
小学四年生の頃通っていた進学塾が発行していた文庫本(芥川龍之介著『鼻』『羅生門』)を読んで感銘を受け、小説の魅力にはまっていった。両親が小説好きだったことも大きく影響していたと思う。当時自宅の書庫にあった三浦綾子『氷点』、五木寛之『青春の門』などの名作を片っ端から読んだ記憶がある。祖母(父の母方)も小説が大好きで拝借した芥川賞の全集を一年ぐらいかけて読破した。暇があれば、大学時代は図書館に一日中籠って小説ばかり読んでいた。面白い小説かそうでは無いかを判別するのが楽しくて、人に小説を勧めるのが楽しくて仕方が無かった。
著作に留まらず、いつしか小説家という人間そのものに興味を持つようになった。ある日母が読んでいた渡辺淳一さんの『遠き落日』を読んで、何かのテレビ番組で渡辺さんが医師出身だったことを知った。小説家は作品だけではなくて、張本人にもドラマティックな物語があると分かった。ただ中には人には言えない経験をしている御方がおり、良いか悪いかは捉え方が違うとも思う。
一番小説を読んだ大学生の頃、渡辺淳一さんの新作長編小説『エ・アロール それがどうしたの』の握手会に参加した。地元大阪のこじんまりとした書店にあの渡辺淳一が来る。それまで握手会には全く興味が無かった私は新聞広告を見た瞬間感じたことのない電流が走った。
「渡辺淳一の色気を嗅いでみたい」
全身から放つオーラが小説家らしからぬ雰囲気。一見して俳優かモデルだと言われても納得する出立ち。小説が売れて、見た目が良くて、元医師で、もちろん頭脳明晰で、現役の直木賞選考委員で・・・神に選ばれたとしか比喩出来ない。どんな美辞麗句を並べるより「渡辺淳一」と言ったほうが皆が納得するぐらいの超人気作家だったし、私にとって渡辺淳一とは憧れの知的アイドルであった。
21歳の夏目青年は、やや短かめのスポーツ刈り、白いTシャツにスラックスと言う出立ちでいかにも文学好きを気取り、握手サイン会場である小さな書店に入った。カウンターに並べられた御本を真っ先に購入した。目の前の小さな机の後方には『渡辺淳一さん握手サイン会』と大々的にポスターが貼られてあった。自分は渡辺淳一を見る為に小説を買いに来たのだとはっきりと認識した。
しばらくすると大きな拍手と共に歓声が沸き起こった。あの渡辺淳一が本当に地元大阪に来た、と思った。少し銀色混じりの豊かな頭髪はスターといった感じで、スタイリッシュな雰囲気はやはりイメージ通りだった。一世を風靡する人気作家を絵に描いたような雰囲気に気押された。
用意された小さな椅子に座ると、慣れた感じで淡々とペンを走らせた。しかもとんでもない達筆で明朗に写真撮影にも対応していた。周りを見渡せば夏目青年以外は全員が女性だった。40歳台や50歳台の渡辺ファンは普段夫や大切な人に見せないであろう笑顔を見せていた。
順番になった。すぐに大粒の汗が額から滴り落ちた。目の前にあの渡辺淳一がいる。数々の名作が大女優によってドラマ化や映画化がされ、小説好きでもない人を虜にしてきたあの人物だ。時代そのものが目の前にいるぐらいの気持ちになった。
「お名前は?」
澄んだ優しい声だった。
「〇〇(本名)と申します!」
普段使い慣れない敬語を駆使して必死に話した。
(目の前にあの渡辺淳一がいる)
やはり、尋常では無い緊張感が止まらなかった。何せ渡辺淳一なのだから。
サインが書かれた著作を渡されたタイミングだった、一つだけ訊いておきたいことがあった。
「渡辺先生のように女性を書くにはどうすればいいですか?」
目の前の大先生は一瞬止まった。まるで、時が止まったようだった。
「君、良い恋愛を沢山しなさい」
優美で穏やかな口調だった。やはり、経験しなければ良い小説を書くことは出来ないのだ。文筆家と言えども、経験豊富だからこそ成せる技を何げなく読んでいることを知った。
帰る道すがら、渡辺さんの言葉を頭の中で反芻した。
あれから20数年が経ち、作家のサイン会ならぬものに参加はしていない(これからも参加する予定はない)。あの時の経験が衝撃的過ぎたのか理由は分からない。兎にも角にも、一時代人との邂逅は一生に一度の忘れられないかけがえのない経験になった。
『夏目君、良くも悪くも経験を大切にしなさい』
今年でちょうど没後10年にあたる直木賞作家渡辺淳一さんの言葉の真意はこうではないかと思いながら、今日も活字を追いかけている。
【了】