自分にとってはどうでもよくても誰かにとっては大切なものの話
どうも。迫る卒論の提出期限から目を逸らし続けているTANA★です。
僕が卒論について考えることを放棄している理由はこの文章を書きたかったからです。というのは、嘘です。大事な卒論の提出期限をこんな書いてもどうにもならん記事のためにむざむざ守れなくなるのはイヤです。単純に何をどう書いたらいいか分かんなくなって、筆が止まってるだけです。
でも、そんな卒論について考えることを一旦止めているのは、やっぱり胸の内に伝えたくて、吐き出したくてたまらないことがあるからだと思います。最後まで見ていただけると嬉しいです。
さて、ここまでの文章の中で、”卒論”という単語が4回出てきています。僕にとってこの”卒論”というものは、学校を卒業できるか・できないかに関わる、今後の人生が係っているといっても過言ではない非常に大切なものです。しかし、これを読んでいる皆さんにとっては、僕がこの卒論を完成させようがさせまいが、受け取ってもらえようがもらえまいがどうでもいいはずです。なぜなら、僕の人生と皆さんの人生は関係が無いからです。
つまり、僕の”卒論”は僕にとっては大切だけれども、他の人にしてみればネット記事を読んでるときに出てくるポップアップ広告ぐらい関心が無いものだということです。僕以外に僕の卒論の進捗を気にしている人がいるとすれば、それは指導してくれる教授ぐらいでしょう。なかなか進まなくてすいません、教授。
そう、「誰かにとっては大切だけど、誰かにとっては大切じゃない」。
今日はそんなお話をします。
先日、僕がよく見ていたユーチューブのグループが無期限の活動休止をするという発表をしていました。「よく見ていた」と言いましたが、初期こそ毎動画視聴するほどハマッていたものの、動画スタイルの変化によってあまり面白いとは思わなくなり、最近では気になった動画のみを何となく視聴する程度のものでした。そのため、この発表に関しても自分の興味関心において彼らが占めるウェイトがほぼほぼ無くなっていた僕は、「青春が1つ終わる感じがするなぁ」と思いはしたけれど寂しくは感じませんでした。
ところが、その発表動画にこんなコメントがあるのを見つけました。
このコメントを見たとき、僕は「んおっ」となりました。「他にもっと好きなものがあるし、最近この人たち面白くなくなってたから別に休止してもいい」と僕は考えてたけど、このコメントをした人にとっては、今でも動画の更新を楽しみにするほど心の支えになっていて大切だったんだろうなと思ったわけです。この人が僕が考えるほどの熱量があったかどうかは置いておいて、それくらい大切だった人もいるだろうなと気づかされました。前々から、こうした「大切なものの違い」についてはうすぼんやりと考えていましたが、この出来事を通じて改めてそこを意識しなきゃなと思わされました。
また、ある時。こんなポストがバズっているのを目にしました。
僕は「トイ・ストーリー」を見てないので、この極悪非道なクマさんのことをにわか知識でしか知らないのですが、嫌ってる人とそれでも好きな人に分かれてるみたいです。引用元のポスト主は、なぜこのクマを好きな人がいるのかをほんとーに疑問に思ってポストしてるんだと思いますが、それでも他人の「大切」を否定しているように捉えられても仕方ない書き方ではあると思います。要はこういうことですよね。どんなに嫌われているキャラであっても誰かにとっては大切なキャラかもしれない。自分も気をつけなければいけないな、と思わされるポストでした。
たくさんの人の意見で溢れる昨今の社会において、誰かの批判や中傷を見ない日は少なくないです。それはもうしょうがないです。立場が変われば大切にしているものは変わる。善悪、賞賛、批判いろんな意見が混濁しているからこそ前に進むことがある。でもその全てを清濁併せ呑もうとしても極端なものだって多いから難しい。
そこで僕は言いたい。人って何かを好きになると頭おかしくなると思うんですよ。「恋は盲目」って言うじゃないですか。何かを好きになっているときの人間の大半は理性を失って、およそ常識的な思考はできなくなると僕は思ってます。下に例を置いとくんですけど。
⇧ 何かを好きになり、理性を失う人の例
だから思うんです。誰かが何かを好きになって頭おかしくなっているが故の言動について指摘してる人だって、自分が何かを好きになればそれと同じ状態になるんだから似たようなもんだ、って。何かを好きになっても理性を保っていられる人だったら、他人にも大切にしているものがあるって理解できるから、何かを批判するにしたってそこを踏まえて発言ができる。もしくはそうそう簡単に誰かの大切を否定しない。
頭がおかしくなる理由はいろいろあると思います。それしか見えてないほどにドハマりしてるとか、好きなものに目をつぶりたい点があるからわざと頭おかしくしているとか。僕も後者のものはあります。僕、【推しの子】が好きなんですけど、展開で「ん?」って思う部分もあるんですよ。でもやっぱりそれ以上に「好きだ!」って思えるのは、多少の粗には目をつぶってそれよりも作品の好きな面を推すことに力を注いでいるからだと思います。
だから、僕は声を大にして言いたいんですけど、
あなたが
それを
好きなことは
おかしくなんて
ない!
ってことです。
もちろん、「他人はそれをどう評価しているか」、「それが好きだと言うことがどう思われているか」はまた別の話として気にするべきだとは思います。主観だけの世界じゃないですからね。
でも、やっぱり「好き」って最強の感情ですから。それを否定することはないと思います。自分がそれを好きでいれたらそれでいいんじゃないですか。
言いたいことも言ったので、卒論に戻りたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。