『 咲いて笑って、夏 』
消えてしまいたくなった。
「暗いんだよあほ〜」
「……先輩に何がわかるんすか」
授業をサボって誰も使ってない旧校舎の廊下を歩いていると、その人は居た。
いつも、教室に入ることなく、廊下で話す。というか話される。
けれど今日ばっかりは、そんな気分になれなかった。
「てか、なんでまた来たんだよ」
「別に、サボりたかっただけです」
「サボるったってここじゃなくていいじゃん、恋?もしかして先輩の私に恋しちゃった?」
僕は彼女を無視して、三角座りした。
廊下の壁は僕の心みたいに冷たかったから、楽だった。
「ちょ、ちょちょちょ、うそうそ、嘘じゃん。拗ねないでって」
ちょこん、と彼女も隣に座ってきた。
山下美月先輩。
ここの廊下は、ほこりっぽいけど優しい古本の匂いがする。
「んで、どしたの。先輩に話しちゃいなさい。」
「いや、特に何もないです。別に、なんも。」
先輩は目を細めて、「嘘付け」と言いながら笑った。
腹が立つ、笑い方だった。
「…何がわかるんすか」
先輩に当たっても仕方ない。そんなこと分かっていた。
「え〜、ごめんじゃん」
こちらがキレといて早速謝るのも億劫で、僕はスカしてしまう。
あ〜。
帰りてー。
♦
夕焼けが暑さを助長させていて、うざったい。
高2になってすぐなのに、明日の課題を忘れるのは、流石にまずい。
そんなことを思いながらがらがらと教室のドアを開ける。
あ、と思った。
多分向こうも、あ、と思ったと思う。
実際、僕含め3人とも『あ……』と声が出た。
僕と、賀喜と、男。
三人のぽつりと呟いた1音が、宙に舞って、爆ぜた。それから、夕焼けに溶けて消えた。
そこには、ずっと好きだった人がいた。
今になって考えると、何故その日教室に向かったのかは分からない。
用事なんて全て忘れてしまうほど、その光景が衝撃的で、声も枯れてしまった。
やっと絞り出した「あ、え、そういう感じ?」という僕の言葉で、時間は動き始めた。
賀喜と、他クラスの男子は「いやいやいや、ちがうちがうちがう」とぴったりの息で言ってきた。
そういう、感じじゃん。
そう思った。
そこからは「なんだよ言えよー」と無理やりヘラヘラ笑って、「お邪魔しました」なんてからかいながら強引に教室から出た。
「ちがうから!」と最後まで否定していたが、その息すらピッタリで、悲しくなった。
訳が分からなくなった僕は、自転車に乗って、河川敷をすごい速さで走った。
河川敷沿い、全速力で自転車を飛ばす。
週末の空の夕焼け模様が、嫌になるくらい綺麗だったから。
ちがうちがう。嫉妬じゃない。
悔しいとかでもない。
弱い自分が心底嫌になっただけだ。
自分が嫌いだ。
本気で傷ついた時、ヘラヘラ笑うしかできない、自分が嫌いだ。
「くそっ……くそ……くそくそ……っ…くそ…」
情けない声を出しながら、ペダルを必死に漕いでいると、
ろくでもないな。
木漏れ日を浴びる度、そう、思うのです。
「なにしてんだろ……なに、してんだろ……」
傷口がどくどくと脈を打っている。
当たり前にもなれなかったから、せめて特別になりたかった。
視界が、滲んだ。
拭っても拭っても、滲んで、滲んだ。
夏が始まったから、今年こそは、変わりたい。
毎夏のように、そう思った。
♦
「まあ、別に言わなくてもいいけどさ、言いたくなったら言ってみ、全然聞くから」
美月先輩は僕を気遣ってか、そう言ってくれた。
「ありがとうございます…」
僕がそう声に出すと、彼女は得意げな目で言う。
「1つ上の余裕ってやつかな」
ほぼ変わんないじゃないすか、そう言うと
いしし、と笑う先輩に、心底安心した。
「まだ、大人にならないでね」と、先輩は僕に呟く。
その意味が、あまり分からなかった。
『おい!誰や!』
体育教師の怒声が響く。
「あ……」
三限の朝の光。
僕と、美月先輩の声が
宙に舞って爆ぜて、ふわぁっと消えた。
「やばやば…逃げよ」
彼女は僕の手を取って、やっぱりいしし、と笑いながら走り出した。
そんな先輩を、気になり始めていた。
ふんわり、夏の匂いがした。