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『 La Stray 』

「俺、美波さんと会うの辞めようと思うんだよね。」

無言を切り裂くように彼は言う。

なんでよぉ〜

言おうとして、やっぱりやめた。

それは、安心したからなのか寂しいからなのかは分からなかった。

冷ややかな店内は、夏ということを忘れさせるくらい静かだ。

まるで、雪が振り積もって溶けることなくその場に残り帰るのも惜しい夜みたいに、店内は夏ではなくてもはや冬だった。

私は無言で割り箸をとって先程頼んだカルパッチョと、イカと蟹のトマトパスタを待った。

さっきまで寝てたもん。

それはまあ頭も働かない。

深夜、急に着信音が鳴った。

寝ぼけながら薄い目で表示名を見る。

瞬間、目が覚めた。

それは紛れもなく、私が好きな彼からだった。

「あのさ」

彼は受話器越しに言う。

「ちょっと、話したいなって思ってさ、こんな時間だけど」

「えぇ〜、もう11時だよ〜」

数日、いや数週間ぶりにきた電話だ。

それなのに、私は好きな人から都合のいい相談相手だと思われているのだろうか。

いや実際、別にそうじゃないとも言いきれなかった。

彼は引き下がらず「一生のお願い!ちょっと真剣に話したいことがあって」と言った。

話し声には少し重苦しいような違和感があったけれど、気のせいだろう。

"一生のお願い"

そんな言葉に、笑ってしまいそうになっちゃう。

私は、いったい何回、"一生のお願い"を許し続けて来たんだろ

「今日七夕じゃん。」

それまで冗談っぽかった彼の声が真剣になる

「頼むよ」

はいはいそれなら、と、わざわざお布団から飛び起きて、就寝前に磨いた歯をもう一度磨いて、少しお化粧をして、家を出た。

そんなわけでこの居酒屋に来た。

こんな感じで4日に1回は明日大学あるのに、を繰り返している。

だけど彼から連絡が来ると堪らなく嬉しくなる。

まるでおもちゃを買ってもらった子供みたい

それか、ご主人様に遊んでもらってる犬みたい

いつもそんなことを考えて、いつもほんと嫌になる。

「やっと、諦める気になったよ。」

ふわりと柔らかい、心底優しい声で彼はそう言った。

美波さん、大学の先輩で、私の事を、「好きだ」と言ってくれる数人の中のひとりだ。

エンゼルフレンチみたいな髪型の店員が「お待たせしましたぁっ」と勢いよく言い、料理を私たちの卓に届ける。

彼は「ありがとうございます」と律儀に言った。

私を都合のいい女扱いするのに、そういう優しさを見せるところに、少し腹が立つ。

何度深夜に呼び出され、何度梅澤さんの相談をされ、カフェを教え、キーホルダーをあげ。

挙げだすとキリがなかった。

それでも、私は彼が好きだ。

こんなことを言っていてなんだけど、そういう優しさが、私は好きだった。

「あ、これ美味しい」つぶやく彼の顔を見て思う。

嫌いになれないなぁって。

いい所だけ好きになったなら、そこが嫌いになれば、その人も嫌いになれる。

だけどプラスの面だけじゃなくて、鈍感で私の気持ちなんか微塵も考えてなくて、そんな所も好きになっちゃったからもう私には嫌いになる術がなかった。

「俺よりイケてる人が梅澤さんの周りにいっぱい居るって話前もしたじゃん?」

「あー、うんうん」

「負けたくないって思ってたんだけどさあ」

「うん、そうだね」

「俺には、なにもなかったなあ」

似たもの同士だね、そんな言葉を掛けたくなった。

似たもの同士なのに、似たもの同士好きになれないのが、辛いね。

そうだね、そもそも私にも、なんにもない。

別に美波さんほどオシャレでもないし、かといってその他に美意識を向けている訳でもないしなぁ

私は天井を見ながらそんなことを考える。

「筒井さんも食べなよ、美味しいよ、カルパッチョなんて何億年ぶりに食べたか」

会う度に、私を呼ぶ名前が違う。あやめん、だのあやちゃん、だの筒井さん、だの。

だからどうって訳では無いけど、それずるい。

私は箸を取ってそれを皿に向ける。

「うん、ん!おいしい!」

「ね、そうでしょ?」

彼は何か言いたげに、けれど言い出せないような顔で曖昧に笑った。

「それで、なんで会うのやめようって思ったの?」

溢れ出る鼓動を抑えて、目の前のバカ男に私は言った。

彼は黙った。

ビールは次第に減っていく

その沈黙は、どこか既視感があった。


ねえ、あなたは覚えてる?





梅澤さんにパーティに招かれて、のこのこ来たのを後悔し始めた頃だった。

みんなお酒を、飲みかわしながら楽しそうにお話している。

そんな光景を眺めながら小洒落た店の隅っこでひとり萎縮していた。

綺麗なイタリアンに来るのが初めてだった、という訳では無い。

ただ本来静かな場所で、本来楽しむはずの食事を私は出来ていないようだった。

スプーン、フォーク、ナイフ。綺麗なカトラリーの中に、お箸があるのがなんとも場違いなように、私もここにいるということがひどく場違いに感じられた。

私を連れてきた梅澤さんも、私の知らない友人と楽しそうに恋の話をしていた。

こんなに賑やかなのに、楽しく笑えないのはなんでだろう。

そんなことを考えながらずっと一点を見つめている。

「退屈?」

細身の男の子に声を掛けられた。

「退屈だったらさ俺と話そうよ」

「…いいですよ」

「敬語じゃなくていいって」

「なんで私なんですか?」

「ぶっちゃけ、タイプだった」

気づいたら私は頬を緩ませていた。

「なにそれ、うそ、ふふ」

「嘘じゃない嘘じゃない!」

「えぇ〜」

「名前は?」

「えと、筒井あやめです」

「おー、あやめん、だね」

「なにそれ、んふふ、呼ばれたことない」

私は笑って、彼も笑う。

他愛もない会話をずっと続けて、その後私たちはその店をこっそりと出て、誰にもバレないよう2人で帰ったのだった。

店を出て連絡先を交換して、たまたま帰り道が一緒で、私たちは同じ駅に向かって歩く。

「あー、今日は来て良かった。実は後悔してたんよね〜、あれに行ったの。」

言いながら、彼は私に笑いかける。

「そうなんですね、ちょっと一緒だ」

「はは、なに、ちょっと一緒って」

腕の触れそうな近さだった。

彼は色っぽい声で続ける。

「そういうとこ好きだわ」

「へへ」

空気が澄んでいて、私は思わず空を見上げてしまう。

星が無数に散りばめられていた。

まるで誰かがラメをこぼしたみたいに、輝いている。

もう何年も星など気にせずに歩いていたものだから、数年越しの星空はとてつもなく綺麗なものに見えた。

少しだけ救われたような気持ちになった。





「お待たせしましたーっ!」

皿が運ばれてくると同時、彼はビールおかわりの合図を店員に出して、また「うーん」と唸った。

「もう、つかれたというかなんというか」

追加の注文のビールが届いて、「そうだなあ」と言葉を探すようにまた彼は静かになる。

「それって好きでいることが怖くなったってこと?」

私は言うと、カシスオレンジに口をつける。

彼は困ったようにジョッキの氷を見つめる。

図星なくせに。

そう思った。

「んーそうだな」

彼は続ける。

「まあ、なんだろ、そんな感じのような違うような」

「ふーん」

もしさ、と彼は言う。

「もし、筒井さんだったらどうする?」

「あたしだったらって?」

「筒井さんに好きな人がいてさあ」

あなたです。そう言ってしまいたかった。

「アタックしまくってさ…それでも振り向いてくれなかったら…?」

もう既に、それは私のことだ。

この人の思ってることが考えても考えても分からなかった。

私があなたを好きなこと、知ってる?知ってるでしょ。思うけど聞けない。

「あたしだったらかあ…」

「それでも諦めないか、諦めてすぐ次に行くか」

「諦めて、すぐ次に行くかなあ」

「やっぱり、そうだよね……」

「なにウジウジしてるのよぉ」

彼は弱ったように、ははは、と笑った。

思うことがなかった訳でもないけど、言わなかった。

時間が経っても、ちっとも酔いが回らない。心臓は鼓動を大きく、そして早く打ったままだ。

「まあ……相談乗ってくれてありがとね」

美波さんと、彼が会わなくなる、ということはつまり、私と彼の回数も極端に減るんじゃないか。

「梅澤さんと、ほんとにもう会わないんだ」

彼はカルパッチョの最後一切れを飲み込む。

「会わない。もう連絡もしない。」

「へぇー…」

考える。

考えれば考えるほど先程の安心が嘘みたいに不安になってきた。

ねえ、そんなのやめようよ。

諦めるとか、らしくないよ。

言いかけて、言葉が出ない。

「筒井さんはあれだよね」

彼はおかわりのビールを飲み干す

「あれって?」

最後の一口を食べて、言う。

薄明かりの中で、私の心臓はふわっと浮いたように緊張した。

「恋愛弱者だね」

うるさいよ、そう思った。

いじわる。

「……そう、なのかもね」

「彼氏とか作ればいいのに」

「…まあ、ちょっとは思ったりもするよ……」

「ならよかった」

なんにもよくないけどね。

そのまま、注文した料理を平らげて、私たちは夜の街に出る。

寝床のない野良犬みたいに、フラフラしながら。

「じゃあね、また」

私は言うと、

「またがあればね」

彼は少し火照った、だけれど悲しそうな顔でそう告げた。

気づけばもう深夜の1時だ。
だーれも居ない。
横の車道から、ほんとにたまにタクシーが通る位だった。

彼は私に背中を向けて歩き出す。

深夜1時に女をひとり帰すような男だ。

どこが好きだったんだろう。そう思う。

答えは即時に出ない。

けれど、頭の中は彼しかいない。

付き合いたかった。付き合わなくてもいいから好きになって欲しかった。

好きにならなくてもいいから私を少しでも見て欲しかった。

見てくれなくていいから、まだそばにいて欲しかった。

ださい、誰に対してそう思ったのか知らないけどその一言を感じた瞬間、堪らなく泣きだしたくなった。

「他人のこと本気で好きになったことないって言ってたじゃん」

「暇になったらすぐ呼び出して用が済んだら帰すくせに」

私の呟き声は夜街の静けさに消える。

腹が立って、無性に叫びたくなって、抑えようと思うほど、それはでかくなる。

「恋に疲れたとか、かっこつけた言い方しないでよ!」

街の隅々に響いて、しだいに溶けていった。

彼は振り返ったようだけど顔までは見れなかった。それから少し経つと彼の影すら闇に消えていった。

「1回や2回くらいデート断られただけでそんな風にならないでよ!あたしのは何回も断るくせに!」

どれだけ叫んでも叫びたい気分を抑えることは出来なかった。

「バカ男!ばか!あほ!」

「好きなら告白しろ!付き合いたいなら付き合え!」

彼に言ってるのか、自分自身に言ってるのか、わからない。

歪な関係が今日で終わることが分かっているから、私は叫ぶ。

切った爪みたいに白くて細い月が、ゆっくりぼやけていくのに気づく。

アスファルトに染みが出来ているのに気づく。

泣いていた。

「ほんとは、最初は、私みたいなのが、タイプって言ったじゃん!」

へたれこんで、バッグがアスファルトに落ちてしまう。

気にする余地もなかった。

「…好きって言ったくせに」

そうは、叫べなかった。


やっとのことで立ち上がって大きく息を吸って、吐くと、胸が痛んだ。

小学6年生の時、その頃からあまり感情を出すのが苦手だった。それで、卒業文集にも、将来の夢、の授業でも決まって「立派な大人になる」と書いていた。

そんな彼女に、今の私を見せたらどう思うだろう。

"またがあればね"

そう言った彼の顔が浮かぶ。

私は白くて細い月に優しく微笑みかける。


ぐしゃぐしゃの顔で


「あれば、じゃないよばか」


それから、私は、歩き出す。

七夕の夜なのに、願い事も忘れて。








『 La Stray 』

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